カバー

一夜の契りで主従逆転!?

街の中央にそびえ立つ巨大樹であり迷宮のユグドラシルで、冒険者生活を送るリヒト。わずかな稼ぎを握り締めて宿屋に帰る日々を送っていた。ある日、街の通りで奴隷商の檻を覗くと埃にまみれた少女と目が合い、衝動的に購入してしまう。彼女の傷を癒す為に激甘に接している内に心が通じ合い、奴隷契約を破棄して一夜を共にする。しかしそれ以降、少女の様子が一変し、完全に主従関係が逆転してしまい――?

書籍化に伴い大幅改稿!
出会いの物語も書き下ろしで収録!

  • 著者:中名加奈
  • イラスト:まうめん
  • 本体価格:1,200円+税
  • ISBN:978-4-8155-6510-7
  • 発売日:2018/11/30
口絵

タイトルをクリックで展開

 僕の名前はリヒト。

 雲すら突き抜ける巨木が有名なこの街『ユグドラシル』で、慎ましく生活している。

 街の名にもなっている巨木ユグドラシルはその内部へ入ることが出来て、そこには神々の残した金銀財宝が存在するという。

 日々、魔物──神々が自身の宝を守るために創成した生物──が蔓延るユグドラシルの上層へ危険を顧みず登って行く者達を、人は冒険者と呼んだ。

 僕も冒険者の一人なのだが、実際稼げているのか? と聞かれるとあんまり稼げていない。

 上の階層へ行くほど価値のある財宝が存在するのだが、それに比例するように魔物も強くなっていく。

 はっきり言って死ぬのが怖い僕は、既に他の冒険者に荒らされきった第一階層で鉱石や薬草などを採取し、それらを売却して生計を立てていた。英雄を目指して冒険者になったけど、所詮は浅はかな夢だったのだ。死に怯え、未開の地に恐怖を抱いてしまった情けない僕には、そんなお金の稼ぎ方がお似合いだろう。

 貯金はないのかと聞かれれば、そりゃあったよと答えた後、昔はねと付け足す。

 続いて何に使ったんだと聞かれれば、理由を説明するために宿に案内しよう。

 さっき僕のような臆病な冒険者は稼げないと言ったけど、特に今日は酷かった。稼ぎの良いクエストも出ておらず、日課の鉱石採掘で稼げたのはほんの銅貨十枚だけだった。

 ユグドラシルでの売買には主に銅貨、銀貨、金貨が使用されており、どの硬貨も百枚集めると価値が一つ上がる。一日に三回の食費、そして宿代を含めると大体銅貨二十枚くらい必要だ。銀貨が一枚あれば五日は三食付きの宿で過ごせるという形になる。一般的な日払いの冒険者の収入が銅貨五十枚なので、続けてさえいれば路頭に迷うことはないだろう。金貨ともなると稼ぐこと自体難しいが、一枚でもあればしばらくは安泰だ。まぁ僕が金貨を手に入れる日はもうないだろうけど……。

 銅貨十枚、されど十枚。ないよりはマシなので、その銅貨十枚を握りしめて、僕は帰路に就く。

 しばらく歩いて到着したのはゴミ屋敷……じゃなくてアラクネの宿。築百年くらい経っているんじゃないかというボロ屋で、木造の外壁は緑の蔦に覆われている。

 そのボロさから格安で宿泊出来るため、とある一件で一人暮らしを始めてから、ずっとここに住み着いている。ちなみに決まった食事はなく、各部屋についたキッチンで自分で調理することになっている。

 一見してどこが入り口か分からないような宿の、錆びていて動きにくい横開きの扉に手を掛け、力いっぱい動かして開ける。するとカウンターで本を読みながら座っていた老婆が顔を上げ、自然と目が合った。

「あらぁ、リヒト君おかえりぃ」

「シャネル婆、ただいま。彼女は部屋にいる?」

 シャネル婆は、僕が扉を閉めたのを確認すると、目元の皺をさらに深くさせてニッコリと微笑んだ。

「あぁ、あの子なら今日も部屋から出て来とらんよぉ」

「それならよかった。じゃあ今日もここ泊まるから、二人分のお金、銅貨八枚置いておくね」

「はぁいはぁい、ありがとねぇ」

 握りしめていた銅貨をシャネル婆の前にそっと置いてから、カウンター横にある、これまた古びた階段を登って二階へと向かう。

 そして僕が泊まっている部屋である月詠の間の前に立つと、ゴクリと生唾を呑み込みながらドアノブを捻り、扉を開いた。

 玄関の扉を後ろ手に閉めると同時に、廊下の突き当たりで扉が開く。すると鋭い目つきの美少女が腕を組んで睨みを利かせ、開口一番に罵倒してきた。

「──ホント遅い、トロすぎよ」

「すいませぇんっ!!」

 最近習慣になりつつあった高速土下座で古びた木の床に頭を擦りつける。ヒタヒタと裸足で歩み寄る音が聞こえ、目の前まで彼女が迫る気配を感じた。

挿絵1

「だぁかぁらぁ、何度言ったら分かるの? 夕刻前にはここに帰ってきて、私に料理を作ってって。ちゃんと聞こえた? このダメリヒトっ!」

「ぅぐっ! ご、ごめん、アウラ……」

 早口で紡がれた言葉と共に、後頭部に重い衝撃が走る。多分、足で踏みつけられたのだろう。

 僕は今、美少女に全力で土下座をした挙句罵声を浴びせられ、ダメ押しと言わんばかりに後頭部を踏みつけられている。一体どうしてこうなったのかと内心で溜息をついて目の前の美少女を目だけで見上げた。

 絹のようなサラサラの銀髪を慣れた手付きで払い、その銀髪を集めて溶かし込んだような、さらに深い銀の眼で僕を睨み続けている。

 そんな彫刻の如き美しさを持つ彼女こそ、僕が貯金を擲ち購入した奴隷、アウラだった──。

 二年前、僕は食い扶持を稼ぐためにいつも通りユグドラシルへ足を運び、大した危険もなく銅貨二十枚を稼いで帰路に就いていた。

 その日は街の生誕祭で街全体が活気に満ちていた。屋台が並び、中には普段は見かけない奴隷商も通りに面した場所に檻を並べ、奴隷が数多く売られていた。

 借金の形に売られた者や、僕のような少しでも稼げる冒険者にもなれず、身を売った者も奴隷には存在するらしい。

 物珍しげに眺めながら歩いていると、ふと、ある奴隷商店の檻の中に一人の少女が儚げな表情でしゃがみ込んでいる姿が見えた。

 その時、突如天啓のような、「何としてでも助けなきゃ」という使命感に駆られ、気が付けば故郷から持ってきていたお金を含めた貯金の九割、金貨三枚を奴隷商人に払っていた。


 思わぬ買い物にどうすればいいか迷ってしまった僕は、とりあえずアラクネの宿へ連れて部屋に入った。すると少女が、震えるか細い声で僕に対して頭を下げてきたのだ。

「アウラと……申します……。お……お買い上げ、いただき……ありがとうございます……っ」

「ぼ、僕なんかにそんな……。あ、頭なんて下げなくていいよっ!」

 慌てて少女──アウラの頭を上げさせようと言葉を掛けるが、一向に上がる気配がない。

 一体どうしたものかと、改めて彼女の姿を観察してみる。

 体中の傷痕を隠しきれていないボロボロの服。いや、使い古した大きな雑巾に三つ穴を空け、無理やり着せたような服とも呼べない物だ。血痕が付着していないのが幸いだが、肌には泥や汚れが付いていて、肩にかかる灰色の髪も一切手入れがされていない。

 部屋が汚れるというのもあるが、まずは疲弊しきった精神面を癒さなければと思い、お風呂に入ってもらおうと考えた。

「え、えーっと……そろそろ頭を上げて欲しい、な……?」

「……申し訳ありません……ご不快になられましたでしょうか……」

「いや! そんなんじゃなくてっ! あっ、まず服を脱いでくれる?」

 二度目の指示でようやく頭を上げたアウラに、焦っていたせいで考えが先走り、ボロ布を脱ぐように指示してしまう。そのせいでアウラは小さく悲鳴を上げて震えると、怯えた表情で後ずさった。そういう意味と勘違いさせたと気付き、急いで彼女にお風呂に入るようにと説明する。

「な、殴ったりも触ったりもしないのですか……? そ、それに私ごときにお風呂を……っ?」

「さっきは言葉が足らなくてごめんねっ……。ほら、体も汚れてるみたいだし、一度さっぱりした方がいいかなって」

「ありがとうございますっ……ご主人様っ……!」

 儚げな銀色の瞳に不安の色を覗かせていた彼女は、突如感謝の言葉を口にしながら地面に頭を擦りつけ始めてしまった。

「ちょ……! 頭を上げて! そんなことしなくていいから!!」

 部屋の床は一応掃除をしてはいるが、汚いことに変わりはないのですぐに止めさせる。しかし落ち着かせるのにしばらく時間が掛かってしまった。

「少しそこで待っててくれる? お湯を張ってくるね」

「かしこまりました、ご主人様」

 何も言わずに離れたら不安になってしまうかもと考え、説明をしてからお湯を張りに行く。アラクネの宿の外観は擁護しようもなくボロいが、設備自体は整っているのだ。アウラをリビングに残し一度廊下に出ると、すぐ右手の扉を開け浴室に入る。

「とはいえ、まさか奴隷を買っちゃうなんてなぁ……」

 手際よく小さい浴槽にお湯を張っていると、ついそんな呟きが漏れてしまう。

「でも、ご主人様、なんて大層な器じゃないし、どう接すればいいんだろ……」

 これからの生活についても考えているとあっという間に時間が経ち、お風呂の準備が整っていた。

 部屋に戻るとアウラは指示通り、まるで置物のように指定した場所から一切動かずにいた。いきなり扉を開けて部屋に入ってきた僕に驚いた様子で、小さく肩を揺らした。

 徐々に一人暮らしに慣れ始めていたせいか、ノックという気配りを失念してしまっていた。怖がらせたようで悪いことをしたと、胸の内で反省する。

「お、おかえりなさいませ……」

「椅子に座っていても良かったんだけど……。っと、お待たせっ。お風呂の準備が出来たよ。……えと、一人で入れる、よね?」

「……はい、大丈夫です。二週間に一度、軽い水浴び程度は許されていたので。でも、本当にいいのですか? 私、奴隷なのに……」

 アウラは表情を暗くさせ、声も徐々に小さくなっていってしまう。

「あぁえと、先に説明しておこうかな。僕はこのユグドラシルの街から北に離れたベルナントって村の生まれでさ。ほら、この髪、白と黒が薄く混じったような色してるでしょ? ベルナントで生まれた人は皆こうなんだって」

 アウラの雰囲気に釣られ、重くなりそうな空気を切り替えるために、少しおちゃらけた声音で自分の髪を指して、故郷を思い出しながらそう語った。

 しかし笑いを狙った話題も、ピクリとも動かない無表情で聞き流されてしまう。けれどこの反応は予想出来ていたので話を続ける。

「そのベルナントで関わりを大切にしろって耳にタコが出来るほど言われてさ、村を出ても関わった人のことは忘れないようになっちゃって……。その名残で、たとえ相手が奴隷だとしても普通に接するようにしてる。だから、ボロボロの服を着て埃を被ってる女の子を放ってはおけないよ」

 その言葉に驚いた様子のアウラを見て、衝動的に優しく頭を撫でてしまう。その行為によってかは分からないが、恐縮しっぱなしだった彼女の緊張が少し緩んだような気がした。

 その機を逃さないようにアウラをお風呂に向かわせて、僕は一人、部屋の椅子に座って飲み物を飲みながらアウラを待った。

「ご主人様、お風呂、ありがとうございました」

「ぶぅッ?」

 十分ほど待つとノックと共に扉が開き、生まれたままの姿のアウラが現れた。直前に使うように言っておいた布で丁寧に髪を拭きながら、心なしか嬉しそうな足取りで僕に歩み寄ってくる。

 浴室に着替えを置いておかなかった僕の不手際とはいえ、まさか全裸で戻ってくるとは思っていなかったので、口の中の飲み物を盛大に吹き出してしまった。

「ご主人様? もっ、申し訳ありません! このような体をお見せしてしまって……」

 僕の反応を見て、またも盛大に勘違いするアウラ。必死に頭を下げるアウラを宥めながら、寝室のクローゼットから替えの服を取ってきて渡した。

 その際にアウラの体を汚く思ったわけではないと説明を加えておく。

「そう、ですか。え、こっ、こんな上品な服をっ!? う、受け取れません!」

 僕の説明に困惑しつつも、ここで初めて強い意志を示したアウラは、頑なに僕のおさがりを嫌がり、お風呂場に先ほどのボロ布を取りに戻ろうとする。せっかく綺麗にしたのにまた汚れてしまっては意味がないと、アウラの腕を掴んで止める。

「命令、だよ。君はこの服を着なきゃいけない、分かった?」

「……っはい、ご主人様」

 奴隷を購入する際に、主従の儀と呼ばれる儀式が行なわれる。それによって主従の効果が付与され、奴隷は主人に危害を加えることが出来なくなり、命令には逆らえなくなるのだ。

 初めての命令に、彼女は渋々といった様子で受け取った服に袖を通す。僕は椅子に座り直し、彼女が髪を拭き終わるのを待ってから声を掛けた。

「えっと、今更で悪いけど、君の名前はアウラ、でよかった?」

「あ、はい、ご主人様……」

「うん、良い名前だ。僕はリヒトだよ」

「はい、ご主人様」

「リヒトでいいよ」

「ごしゅ──。リヒト、さま?」

 アウラの、遠慮はしているがどこか嬉しそうな様子から、僕のおさがりを嫌がっているわけではなさそうだと分かった。

 アウラが一瞬何か考え事をしたように見えたが、しかし何もなかったかのように彼女は頷いた。そして少しだけ俯いて、確かめるように小声で僕の名前を何度も口に出して呟いていた。

 俯きがちな表情はお風呂上がりのせいか僅かに火照っており、服越しに纏う薄い湯気と合わさりとても魅力的に見えた。年端もいかない少女には似合わないはずの背徳的な美しさに、視線を釘付けにされ見惚れてしまう。

 病的に白かった肌はじんわりと赤く色づき、拭き切れていない滴が皮膚を伝い床に落ちる。

 精巧に彫られた彫刻のように整った輪郭に、弓のように美しい曲線を描く鼻背。顔が上がり目に入る、パッチリと開かれた両の瞳。艶のある銀の睫毛に守られるかのように、より凝縮された濃い銀の瞳。

 それは見れば見るほど吸い込まれそうになる眩い輝きを放っており、真っ直ぐに僕を見つめていた。

 さらにボサボサで埃や汚れを帽子のように被っていた髪は、洗髪のおかげで本来の姿を現していた。月光を集め織り込んだような銀髪は腰に届くほど長く、乾ききっていないせいか癖が取れて、地面へとスッと伸びていた。

 よく見ると髪は白色に近い銀色で、どこか神々しさを含んでいる。

 か細い指で掻き上げられたその銀髪は、サラサラと宙を流れて右耳へと掛けられた。それに伴い、女の子の特有のほんのりと甘い匂いが鼻孔を擽る。

 血色の良くなった愛らしい桃色の唇は生気を取り戻し、瑞々しさに溢れていた。

 まるで美しい人形を眺めている気分になっていた僕は、ふっと気が付き、首を振った。

「アウラ……って、わぁっ!?」

 やはり何か我慢していたのか、アウラは感極まったように両の目からぽろぽろと涙を流し始めた。

「ひぐっ……。よかったぁ……こ、こんな良いご主人様に買われるなんてぇ……ひぅっ……」

「な、泣かないで? お、落ち着いてっ!」

 こうして、僕とアウラの共同生活が始まったのだった。


 アウラとの出会いから、今日で一年。

「アウラただいまー」

「リヒト様、おかえりなさいーっ!」

 ユグドラシルへの稼ぎから帰った僕の元へ、リビングにいた笑顔のアウラが走り寄って出迎えにくる。

 隣にアウラを歩かせながら、荷物を置きにリビングまで進む。

 その廊下を歩く短い時間でさえ、「今日は何があったのですか?」といった質問攻めをアウラに受ける。もちろん今日に限った事ではないので、対応は慣れたものだ。

「今日はね、早めに純度の高い鉱石が見つかったんだ。時間の短縮にもなったよ」

「もう……そうだったのですね? 今日は少しお帰りが早いから驚いたのですよ?」

「はははっ、ごめんね。念話で言っておけばよかったかな?」

「でも、私はリヒト様が早く帰って来てくれたので、凄く……すっごく嬉しいですっ♪」

「うっ、うん。そっか……」

 やはり何の躊躇いもない好意の表現と、この笑顔は心臓に悪い。

 改めてそんなアウラを見ていると、良い意味で本当に変わったと思う。

 性格はいうまでもなく明るくなったし、昔とは比べ物にならないほど笑うようになった。それに、奴隷としての精神的な傷痕も治ってきたようにも見える。

 例えば勝手に動いたり、喋ったり。当たり前のように聞こえるかもしれないが、以前のアウラはそれさえも出来なかった。

「きょ、今日は誰かとユグドラシルに行ったのですか……?」

「うぅん、今日も一人だよ? 弱い僕と組みたい冒険者なんていないだろうしね」

 頬を赤く染めて、瞳を潤わせつつ僕にそう質問してくるアウラ。リビングの壁に背負っていた鞄を掛けつつその質問に答えた。

「そうですか……。よかったぁ」

「アウラ?」

「なな、なんでもないですっ!」

 胸に手を当てて息を吐き、安心するアウラ。可愛らしい嫉妬もあるものだとクスリと笑ってしまった後、汗を流すためにお風呂に入る事にした。

「あ、お風呂ですか? 既にお湯を張ってありますので……ご、ご一緒致しますよ」

「いっつも洗ってくれるのは嬉しいんだけど、めんどくさくない? 嫌なら言ってくれればいいからね」

「嫌だなんて滅相もないですっ!! ……あっ。大きな声を出してしまってごめんなさい……」

 しばらく一緒に暮らしてきて分かったが、彼女は基本的に物静かで大きな声を出すことは珍しい。つまりそれだけ今の言葉に心を籠めているのだろう。

「……いや、気にしなくていいよ。じゃあ先に入ってるからね」

 久しぶりに聞いた大きな声に怯んでしまって、思わず少し間を作ってしまう。心配させたくないのでひとまず笑顔でそう返すも、アウラはまだ少し不安そうな表情を浮かべていた。

 安心させようとゆっくりと持ち上げた右手を、彼女のサラサラとした髪の上に置き数回撫でてあげると、今度は「はい!」という元気な声が返ってきた。


 脱衣所で服を脱ぎ終え、扉を開けて浴室へ入る。設置式の簡易魔法によって温められたお湯に足を浸け、ゆっくりと体を沈めていく。

「はぁ~」

 お湯に浸かる気持ち良さに思わず声が漏れた。今日も生き残れたという実感と共に、アウラと生活する楽しさを改めて噛みしめる。

 今日でアウラと出会った日から一年が経つ。お祝いの品も買ったのだけど、女の子が喜びそうな物がよく分からなかったので、少し厚めの本にしたのだ。

 あの時アウラを買って本当に良かったと感慨に耽っていると、扉の開く音と共にアウラが浴室に入ってきた。

「お、お待たせしました」

「それじゃあお願いしようかな」

 恥ずかしいところを見られないように布を体に巻き付けたままのアウラ。いつもより少し赤らめた頬が魅力的で、尚且つ興奮を煽る。

 必然的に大きくなってしまう股間が見つからないように湯船から上がり、アウラに背中を洗ってもらうために木製の椅子に座った。

 数秒経つと、恐る恐るといったように背中に細く、柔らかい手の感触がピタリと伝わる。一年一緒に生活したとはいえ、二人でお風呂に入る……というより背中を流してくれるようになったのは最近のことだ。

「んっしょ……」

 本人は洗っていると思っているようだが、指が這うように僕の背中を擽り、こそばゆさから声が漏れてしまった。

「どど、どうかしましたか!?」

「い、いやさっ、アウラの洗い方が優しすぎるから、擽ったくて思わず笑い声がね」

「ごごご、ごめんなさいっ! もう今回で八回目なのに……。す、少し強く致しますね」

 背中越しにアウラの焦っている声が聞こえた後、背中を洗う指の力が強くなった。

 ちょうど良い力加減で背中を洗ってもらい、それから右腕から左腕と続く。

「ありがとねアウラ、前はいつも通り自分でやるよ」

「そ、そうしてもらえると助かります……っ」

 鏡越しに真っ赤になるアウラを見て、またも笑みが零れてしまう。

 最後に自分で前を洗った後で、もう一度お湯に浸かってお風呂は終わり。普段はそうなんだけど、今日はそれだけでは終わらせない。

 椅子から立ち上がってアウラの手を引き、先ほどまで僕の座っていた椅子に座らせた。

「え? リヒト様?」

「いーの、気にしないで。動いちゃダメだよ?」

 すぐに立ち上がろうとするのを肩を軽く押さえて引き留め、振り返って状況を探ろうとするアウラに笑顔でそう返す。

 最初は若干の抵抗感が感じられたが、すぐに大人しくなったのを確認すると、お湯をアウラの背中に掛けてあげる。

「わわっ!」

「あぁ、急にごめん!」

 誰かの体を洗うなんてことには慣れていなかったため、何の忠告もせずにお湯を背中に掛けたせいで、アウラを驚かせてしまったようだ。

 謝りつつもう一度お湯を汲んで掛け流す。それからアウラの背中を洗い始める。

 アウラの女の子らしくなった肉付きに僕が癒されてしまい、いつまでも洗っていられそうだ。

「あ、あの……リヒト様! リヒト様に洗っていただくなんて、その、恐れ多いです!!」

「いいからいいから、気にしないで?」

 しばらく洗い続けている内にアウラも慣れたようで、鏡越しに表情を見るとうっすらと口元に微笑みを浮かべていた。

「ねぇ、アウラ。今日は何の日か覚えてる?」

 声を掛けると、頭上に疑問符を浮かべながら振り返ったアウラにそう聞いてみる。

「私がリヒト様に買っていただいた日ですけど……?」

「正解! それでね、実はアウラにプレゼントがあるんだ」

「ぷ、プレゼントですか!? き、期待してもいいのでしょうか……?」

「き、期待はしないでいてくれると助かる……かな」

 アウラのそんな言葉に僕はギクリとして、頬を掻きながらそう答える。しかしアウラの反応は上々だ。たとえ渡されるのが本だとしても嫌われることはなさそうだ。

「お風呂から上がったら渡すね」

「はいっ! えへへっ、リヒト様のプレゼントーっ♪」

 背中を洗われながら、まるで子どものようにはしゃぐアウラ。その姿を見て、アウラを幸せに出来ている実感を得られた。

 それから二人で湯船に浸かってしばらく話をした後、アウラが準備してくれた部屋着に着替え、リビングに戻る。そこで今日のプレゼントである本をアウラに渡すと、

「一生大切に致します……っ!」

 感激といった様子で嬉し泣きをしてしまった。

 それから記念日を祝って、豪華な夕食を食べたり──作ったのはアウラなんだけど──一緒にベランダで夜空を見上げたり。普段しないことを沢山楽しんだその日、僕は今まで生きてきた中で最高の幸せを感じながらアウラと過ごした。

この幸せが、ずっと、永久に続くと思いながら──。

 そして現在に至る――。

「まぁいいわ、早くご飯作ってよね」

「う、うん……」

 今ではいつものことのようになってしまったこのやり取りだが、やはりショックは大きく、アウラとの記念日を思い返して現実逃避してしまった。

 後頭部を踏みつけられていた感覚がなくなり、ヨロヨロと立ち上がる。僕の頭を踏んでいたアウラは鼻歌混じりにベッドに寝転んで、『あの日』にあげた本を読んでいる。

 今のアウラに素直だった頃の姿を重ね合わせ、その異常な変化に大きく溜息をつくと、また怒られない内にトボトボとキッチンへ足を運んだ。

「昔はもっと良い子だったんだけどなぁ……」

 手早く買い置きしておいた食材で淡々と料理を作っていく。アウラがご飯を作ってくれなくなったおかげで、皮肉にも料理の腕前が上がってしまった。

 作りながらも頭に浮かぶのは過去の健気なアウラの姿。口から零れるのは溜息。

 言うことを聞かないなら命令すればいいじゃないかって?

 確かにアウラは僕の奴隷だけど、今はもう奴隷じゃない。

 どういうことかと説明すると、『あの日』、僕はアウラとの主従の儀を破棄した。

 普通の奴隷の主人が聞いたら絶句必須だ。他の主人は奴隷には人権など必要ないとばかりにただの道具として扱っているわけだから、主従の儀を破棄した瞬間に恨みや憎しみで殺されてしまうかもしれないからだ。

 でも僕はアウラとずっと過ごしてきて良い子だと知っていたし、彼女も自由になりたいと望んでいた。

 だから彼女との主従の儀を破棄して、奴隷と主人ではなく、人と人の関係になった。そしてその日の夜、貞操を捨てたのだ。

 いやぁ……あの日は最高だったなぁ、まるで絵物語の中みたいで……。

 と、いけないいけない、今は感傷に浸っている場合じゃない。

 たとえ主従の儀を破棄したといっても、主人と奴隷という関係は残り続ける。体に付けられた傷が否が応でも奴隷という過去を忘れさせないのだ。

 今にして思えば、アウラの性格が変わったのは主従の儀を破棄してからだった。

 次の日僕が家に帰ると、今までの行動が嘘だったかのように、いつものお出迎えがなくなり、食事も作ってくれなくなって、エッチどころかスキンシップすらしなくなって……。

「ご飯まだー? だからトロいんだって!」

 最近ではこんな風に性格まで荒れてしまって、今では僕の方が彼女の奴隷のようになってしまっているのだ。

「今出来たよ、すぐ持っていくからもう少し待っててね」

 キッチンからそう声を掛けると、出来た料理をお皿に盛りつけてリビングまで運んでいく。

 そこには水色のワンピースに袖を通したアウラが、両手にナイフとフォークを持ち、待ちきれないといった様子で椅子に座っていた。

「ごめんね、待たせちゃって……」

「謝るのは後でいいから、それ、早く置いてよ?」

「あぁ、うん、ごめん……」 

 急かされるままテーブルの上に料理の盛り付けてあるお皿をコトリと置くと、アウラは食い散らかすようにすぐさま食事を始めた。

「ふぁに? 見られてると食べにくいんだけど?」

「あ、うん。美味しそうに食べるなって」

「んっ、邪魔だから向こう行ってて」

「ご、ごめん……」

 正直泣きそうだった。

 こうして謝るのが日常化してきたし、日々積み重なっていく惨めな気持ちに僕はだんだんと我慢が出来なくなってきていた。

 今までは何かのきっかけで元に戻ってくれると信じていたが、一向にアウラの性格が直る気配はない。

 そこで僕はアウラの様子がおかしくなってしまった理由を見つけるため、入念に考え、準備した作戦を実行することにしたのだ。

「どう? 美味しい?」

「まぁまぁー」

 アウラの死角に入り込むと、いつものように話し掛けて彼女の気を逸らしながら部屋の隅々に、映った光景を離れた所で確認出来る道具、通称〈トルンデス〉を設置していく。

 アウラをチラッと横目で確認するが、食事に夢中で僕の行動に気が付いていないようだった。そして数分掛けて月詠の間の全ての部屋に〈トルンデス〉を設置し終えると、一つ深呼吸をしてからアウラの元に戻った。

 アウラの正面の椅子に腰を下ろしたせいか、彼女は食事の手を止めて不機嫌そうに睨んでくる。

 それに怯まず、僕は事前に考えておいた話を切り出した。

「ねぇアウラ、僕、用事でしばらく宿を空ける事になりそうなんだけど、平気だったりするかな?」

「……ん、別に、宿のお金さえ払ってくれれば」

「あのさ、ちょっと凄いクエスト見つけちゃったんだ。一週間以内に一階層の鉱石をそこに届けるだけで三金貨も貰えるんだって!」

「金貨三枚!? って、二年以上は遊んで暮らせるじゃない!? で、でも……それってちょっとやば──」

 ──そんなクエスト、もちろん嘘だ。

 金貨三枚なんて、ユグドラシルの中に存在するとても強力な魔物、ドラゴン討伐のクエスト報酬くらいの価値がある。

 流石にアウラもちょっとおかしいと思ったのだろう。ポカンとしていたが、ふと我に返ったように口を開く。しかし僕はその言葉を遮るようにして返す。

「ありがとうアウラ。明日の昼に出発だから、よろしくね」

 いつもユグドラシルに赴く際持っていく鞄は、中身もあまり見せないため、前もって準備していたと言っても違和感はないだろう。

 出発を今日ではなく明日の昼にしたのは、先の会話の後の、アウラの反応を窺うためでもあった。

 まぁ、こんな簡単な会話で状況が良くなるとは思っていないが、それなりに時間を置かなければ怪しまれる可能性も考えられたからだ。

「今日は探索もしたし、疲れたから最後の準備をしたらもう休むよ。食べ終わったら食器は水に浸けておいてね」

「う、うん……分かった」

 珍しく歯切れの悪いアウラにそう告げると、壁に掛けてあった鞄を手に取り寝室に向かう。

 最後の準備、と言ってもでまかせに過ぎないので特にやることもない。鞄をベッドの脇に置くと、昼間の疲れからかすぐに睡魔に襲われる。

 クローゼットから取り出した地味な寝巻に着替えてベッドに潜り込むと、すぐに意識を手放してしまった。


「ふぁ……っ」

 翌朝、自然と目が覚めると大きな欠伸が不意に出た。

 まだぼんやりとする頭を動かしながら、布団を跳ね除けてベッドから這い出る。

「あれ、アウラ?」

 リビングから繋がるこの寝室は、僕とアウラに一つずつのベッドと、飾り気のない本棚やクローゼットがあり、薄暗い雰囲気が特徴的だった。その薄暗さは寝室に窓が一つしかないのが原因で、さらにその窓がびっしりと蔦に覆われてしまっているからだ。だが、この何とも言えない薄暗さをアウラは気に入っているようで、昼になるまでは大体ベッドで眠ったままだ。

「まだ七時……だよね? アウラが起きてるなんて、うーん……珍しいなぁ」

 壁に掛けられた古臭い時計はまだ朝早い時刻を指しているものの、隣に並んだベッドにスヤスヤと眠るアウラの姿はなかった。

 一瞬時計の故障を考えたものの、つい最近修理してもらったばかりだ。

 不思議に思いながら服を取り出し、微かな木漏れ日に照らされながらそれに着替える。

 次いで再びアウラのベッドに視線を戻すと、布団、そしてシーツまでもが、綺麗に整えられたままであることに気が付く。昔ならともかく、最近は僕がそういったベッドメイキングじみたことを行なっているので痕跡で分かる。アウラは昨日ベッドで眠っていないのだと。

 何だか不思議なことばかり起こるなと疑問に思いつつも、持っていく荷物の確認を行なおうと鞄を探し始める。

 けれど、昨日の記憶では確かにベッドの脇に置いたはずの鞄が、どこを探しても見つからない。

 いつもと違う出来事が立て続けに起こり、嫌な予感がして寝室を飛び出した。

 もしかしたら昨晩の内に強盗が入り、鞄を盗まれ、アウラが襲われてしまったのでは──。

「アウラっ!!」

 冷や汗を背中に感じつつ、リビングに突入する。

「ひゃんっ!? な、なによリヒト! 朝からびっくりさせないでくれる!?」

 こちらに背を向け、大きく体を揺らして驚くアウラ。

 その女の子っぽい反応が可愛らしく見えて、先の考えが全て杞憂だったことに心から安堵する。

「そ、それで何よ? いつもの仕返しってわけ?」

「いや違うんだ、その、僕の勘違いで、ってアウラ、何持ってるの?」

「な、何も持ってないわよ! そんなことより早くご飯作ってよね」

 依然、僕に背中を向けて一歩も動かないアウラに違和感を覚える。少し観察してみると、何かしらを抱えるように持っていることが分かった。

 回り込むようにそれを確認しようとするも、アウラは僕に合わせて体の向きを変えるので、何を持っているのか分からない。

 アウラが僕に隠すようなものを持っていた記憶はなく、かといってこのまま隠されるのも気分が悪い。そこで一つ、カマをかけてみる。

「うーん、でも端っこの方が見えちゃってるけど……」

「えぇ!? ちょ……あぁっ!?」

 効果は絶大だった。アウラは慌てて動いた結果手を滑らせたようで、それを支えようとしてさらにバランスを崩し、その場で転んでしまった。

 そして間を開けて床に落ちたのは、先ほどまで探していた僕の鞄だった。

「それって、僕の鞄だよね?」

「あいたたぁ……。はっ! ち、違うし! 似てるだけだし!」

「でもその使い古した感じは確かに僕のだよね?」

「……う、うぅ……うわぁーーっ!」

 床に落ちた鞄を拾い上げたアウラは大事そうに抱きしめ、蹲った。

 今までこの鞄にこれほどの執着を見せたことはなかった。アウラの不可解な行動の理由を考えるも、特に思い当たることがない。

 埒が明かないと思いアウラへ一歩近寄ると、突然寝室の方へ逃げ出してしまった。

「あうらっ!?」

 突拍子もない行動に一瞬呆けてしまったが、急いでアウラを追いかける。

 幸い、玄関以外に鍵が掛かる扉はないので、大きな音を立てて閉められた寝室の扉は、特に障害もなく開いた。

「どうして、逃げたの……?」

 寝室に戻ると、アウラはベッドに腰掛け、リビングの時と同じように僕に背中を向けていた。

 何だかいつもより小さく見えるその背中に、優しく声を掛ける。もしかしたらアウラの性格が変わってしまったことに、何か関係する行動なのかもしれない。

 慎重に考えながらアウラの返事を待つ。緊張から徐々に溜まってきていた唾液を飲み込むと、ゴクリと喉が鳴った。

「──べつに」

 しばらく様子を窺っていると、アウラはベッドをギシリと鳴らして振り向いた。それからモゾモゾとベッドの縁に座り直すと、浮いた足をプラプラと動かし始めた。僕の鞄をギュッと抱きしめて、親に怒られている子どものような拗ねた表情を浮かべている。

「心配とか、してるわけじゃないんだけどさ。今日のクエスト、怪しいとか、思わないの? リヒトが他人を信じやすいっていうのは分かってるけど、今回のは、その……やっぱり……」

 ぶっきらぼうにそう言いつつも、言葉の節々から思いやりが感じられる。そっぽを向いたままだが、アウラの頬は微かに赤くなっているように見えた。

 どうやら今までの不可解な行動は僕のことを考えてのものだったようだ。

「私、今の暮らしが嫌ってわけじゃないよ? 確かに貧乏だし、リヒトは頼りないけど、大金なんかなくても二人きりでいられるだけで、私は──」

「アウラ、ありがとう。でも僕はアウラにもっと幸せになって欲しいんだ。ギルドを通しているクエストだから大丈夫だって! 絶対帰ってくるからさ、鞄を返してくれない?」

 クエストのことは嘘だけど、アウラに幸せになって欲しいという気持ちは本心だ。だから安心させるようにそう言って、深く頭を下げる。返事があるまで頭を上げないつもりだったが、すぐに返ってきた。

「絶対、……絶対に、帰ってきなさいよね」

「うん、分かったよアウラ。……あっ」

 と、そこまでは冒険物の小説でもありそうな感動のワンシーンだったわけだが。

 頭を上げた僕の視界に入ってきたのは、鞄の代わりに膝を抱きしめ、潤んだ瞳の上目遣いで僕を見る、まるで一枚の名画のようなアウラの微笑み。

 ──だけではなく、清涼感のある水色のワンピースの奥。飾り気のない純白の下着が脚の間から見えてしまっていた。

 思わず見えてしまったそれは何とも言い難い魅力を纏っており、無意識に目を奪われてしまった。

「じゃあこの鞄も返すわ……って、リヒト? どうしたの?」

 アウラがベッドに置いていた鞄を差し出してくれたが、返事も忘れてその光景に夢中になっていた。僕の様子を不審に思ったアウラがゆっくりと僕の視線の先を目で辿っていき──。

「こ、こ、ここっ、こんのッ!! 変態リヒトッ!!」

「ぐえぇっ!?」

 眦が下がったしおらしい表情から一転、眉を吊り上げて真っ赤になったアウラが、手に持った僕の鞄をぶん投げてきた。それまで天国のような光景に見惚れていたため回避が遅れ、吸い込まれるように顔面に鞄が直撃した。

 ベッドに倒れ込み手で顔を覆って痛みに耐える。こればかりは僕の失態であり、アウラを悪くは言えない。

 未だに痛む顔をさすりつつ立ち上がり、再びアウラに頭を下げる。

「その、つい……」

「……まぁ、私もさ、それ、隠してたわけだし……今回は特別に許したげる」

「アウラ……ごめ──」

「あ、謝る前にさ。その、おっきくなってるの、何とかして欲しいんだけど……」

「……えっ?」

 アウラは頬を赤く染めて目を逸らしながら、僕の下半身を指さしてくる。一体何のことかと今度は僕が視線を辿ると、ズボンの生地が薄いことが災いし、先の光景で興奮しきった股間がこれでもかというほど自己主張をしていた。

「あっ……」

「あっ、じゃないわよ。はぁ、もう……、しょうがないんだから」

 アウラは呆れたように溜息をついて、しかしどこか嬉しそうな表情でベッドから跳ねるように下りた。

 大きくしてしまったことによる追加の罰を覚悟していたが、「しょうがない」という言葉に疑問が浮かぶ。

 軽やかに僕の目の前まで歩いてきたアウラは、何かを待つように見つめてくる。彼女が一体何を期待しているのかいまいち理解出来なかった僕は、とりあえずアウラの頭を撫でた。

 すると気持ち良さそうに目を細めたので、これが正解だったのだろうとそのまま小動物的な可愛さを堪能していると、

「って、違うわよっ!!」

「えぇっ!?」

 顔をさらに赤くしたアウラに手を払われてしまった。どうやら見当違いだったようで、腕を引かれてベッドを背に立たされる。それから念には念にとでも言うように、グリグリと胸の真ん中を軽く押される。

「クエスト先で主人が性犯罪者にでもなられたら、私が困るんだから!! ……な、何ボサッとしてんのよ、早くズボン脱ぎなさいよ!」

「ず、ズボンを?」

「あぁもう! 何でこんなに鈍いのよ!! わ、私が一回だけシてあげるって言ってんの!」

 そこまで言われれば、いくら鈍い僕でも理解出来た。

 そして理解すると同時に、これまでアウラに恥ずかしい思いをさせてしまったと情けなさを感じてしまう。しかしそういったことに反応出来なかったのも仕方がない。名誉のために言い訳をさせて欲しい。

 初夜以降、アウラの性格が急変し、性行為以前に浮いた話すら話題に上がらなくなった。それ故に、アウラに誘われるなんて考えもしなかったのだ。

 アウラは僕の胸に添えていた手にさらに力を込めて押してきた。先の会話で動揺していたこともあってか、転ぶようにベッドの縁に座り込んでしまう。

 アラクネの宿のような安宿のベッドは硬い。若干の痛みがお尻に走り意識を向けていると、下半身がこそばゆい感覚に襲われた。 

「んっ、しょっと。まったく、脱がせにくいったらないわ」

 顔を下げると僕の両脚の間にスルリとアウラが入り込んでいた。床にペタンとお尻をつけて座り、文句を口にしながらズボンをグイグイと引っ張っている。

 すかさず腰を浮かし、脱がせやすいようにしたのだが、

「きゅ、急になにっ!? まさか、口でしろって? ふんっ、あんまり調子に乗らないでよね。シてあげるとは言ったけど口でシてあげるわけないじゃないから。手で十分でしょ」

 アウラの目の前に股間を持っていく形になってしまい、不機嫌にさせてしまったようだ。

 しばらくエッチを出来てはいないが、ただでさえ美少女なアウラとヤリたくないわけがない。この機を逃せば次はないかもしれないと考え、素直に謝る。

「ご、ごめん。アウラが脱がせにくそうにしてたから」

「……別にこれくらい全然余裕だし」

 僕の謝罪に上目遣いで一瞬だけ反応したアウラは、ズボンを脱がしきり床に放った。どうやらこのまま続けてくれるらしい。

「下着も……脱がすわよ……」

「えっと、嫌なら自分で──。いや、……お願いします」

 僕に一声掛けて、アウラは膨らんだ下着を睨みつけながら手を掛け、一気に脱がした。

 勢いよく脱がされたことでぶるんと勃起したモノが解放された。アウラに抜いてもらえる期待もあってか、いつもよりもさらに大きくなっている気がする。

 驚いたように固まるアウラの吐息が先端にかかり、むず痒い気持ち良さにビクリとモノを揺らしてしまった。

「こ、これがリヒトの……初めて見た……」

 アウラはいきなり動いたモノから反射的に顔を逸らしつつも、頬を朱に染めたまま横目で見つめ続ける。

 男心としては、美少女が自身のモノに惹かれているというのは非常に気分の良い体験ではある。しかし、アウラがうわごとのように呟いた言葉が気掛かりだった。

 初夜の際には口でしてもらったことを覚えている。だからこそ、初めて見た、という表現には疑問を覚えた。

「うっ……ぁ」

 それについて質問しようとしたタイミングで、モノを優しく握られてしまう。考え事をしていたせいで、唐突に襲われた微弱だが確かな快感に思わず声が漏れる。見るとアウラが右手の、その細く柔らかい指をまるで蛇のように竿に纏わり付かせ、ゆっくりと上下に動かし始めた。

「た、確かこう、よね」

「っぁ、くっ」

「ん……でもちょっと、やりにくいっ、かも」

 本格的に始まった愛撫の前に、先ほど浮かんだ疑問は簡単に霧散する。代わりに、快楽を求める欲望が疼き、ぎこちなく竿を扱くアウラに期待するような視線を送ってしまう。より強い刺激を欲して彼女の名前を呼びそうになるが、そこはどうにかプライドが勝り、視線を送るだけに留めた。

 久々に味わう甘酸っぱい快楽に、我慢汁が漏れ出てしまっていた。しかしそれだけでは指が上手く滑らず扱きづらいのか、アウラの手が次第にゆっくりになり、最後には止まってしまった。

「結構、疲れる……。あっ、そうだ。んー……ぐちゅッ、れちゅ……えれぇー……」

 手を休めるアウラは何か閃いたようで、膝立ちになり口をモグモグと動かす。しばらくして口内に溜まった唾液を小さい舌先に伝わせて、亀頭にたっぷりと垂らした。

 生暖かいその感触に背筋を震わせ興奮していると、アウラが手の動きを再開させた。 

「ふふん、思った通りね。これなら、んっ、やりやすいしっ」

 ちゅこちゅこッ、ぎゅちぐちゅッ、と卑猥な水音が早朝の寝室に響く。先ほどまでは打って変わり、スムーズに行なわれる愛撫に思わず出しそうになってしまい、慌てて我慢して射精欲を抑えた。

 滑りが良くなったおかげか、どこか楽しそうに扱き続けるアウラ。それに加え、我慢汁と唾液が合わさり泡立っていくのを見ると、視覚的にも射精欲を刺激してくる。

「しこっ、しこっ、と……どう? なぁんて、聞くまでもないか……♡」

 快楽に歪んでいるであろう僕の顔を満足げに見上げ、アウラは蠱惑的な笑みを浮かべる。

 不慣れからくる、もどかしさを感じる力加減と、稀に柔らかい親指の腹で裏筋を撫で上げられる刺激に、腰をガクガクと震わせてしまう。

 アウラは慣れない動きで疲れやすいのか、またも扱き続けていた右手の速度を少し緩めた。だが今度はそれを補うように、空いた左手で玉袋を揉み始めた。

 意識は完全に肉棒のみに集中しており、その虚を衝く新たな刺激に、ウットリとした息を漏らさざるを得なかった。

「へぇー、ここってこんな感じなんだぁ……♡ ほらっ、こりこりーって♡」

 男の大事な部分を、小悪魔のような色香を纏うアウラに弄ばれる背徳感。玩具で遊ぶみたいにコロコロと手の平で転がされたり、時には皮をそっと摘ままれたりして徐々に絶頂へと導かれていく。一気に高められるよりも、ゆっくりと快楽を蓄積させていくような刺激に加え、最近の性処理事情が射精欲を加速させる。

 ここ一ヵ月はずっと忙しく、一人でする時間さえなかったのだ。そのせいかもう抗えないほどの迸りが肉棒に集まり始めていた。

「あっく……あう、らっ、もう……出そうっ!」

 ようやく出せた喘ぎ声のような掠れ声に、アウラは不敵な笑みを浮かべ両方の手の勢いを強める。それを射精の許可だと信じ、荒い息を吐きながら絶頂へと身を任せる。

「あぁ……っ!! うぁッ! い、イ──」

「はい、すとーっぷ♡」

「ほぇっ!? あ、あぅ……」

 しかし絶頂への階段を上がりきる直前にアウラはピタリと手を止め、肉棒から離してしまった。射精の解放感を期待していた故に、受ける喪失感も大きい。

 我慢しても情けない声が漏れ、ギリギリ届かなかった魅惑の快楽を求め、無意識に腰が未練がましく動いてしまう。

「ふふっ、ふふふっ♡」

 アウラがそんな僕を見て、とても楽しそうに笑っている。普段の彼女からは想像も出来ない妖艶な表情だ。満たされない快楽への渇望は止まることを知らず、僕の中でゾクゾクと情欲が渦巻く。

「アウ、ラ……? な、なんで止めるの……?」

「もしかしてイきそうだった? ふふっ、ごめーんっ♡ だって手が疲れちゃったんだもん」

 離した手を何度か振り、わざとらしい口調で答える。アウラは疲れたと言っているが、僕は先ほどの彼女の笑みを思い出した。まるで僕が感じている様を喜ぶような、それでいてどこか楽しむようなそれ。

 もしかしたら今の疲れたというのは嘘で、初めから僕を虐めるために寸止めを考えていたのでは、と思えてしまう。

 甘い刺激を期待してか鈴口から我慢汁がトロトロと流れ出ている。早く続きを、と逸る気持ちを落ち着かせ、再び唾液を溜めているアウラに声を掛ける。

「ね、ねえアウラ? まだ疲れてる……?」

「んー、んんッ……。ひーお、はっはえるっ」

 また焦らされると思っていたが、意外にもアウラは快諾してくれた。唾液のせいで舌っ足らずに答えた彼女が再び肉棒に向き直った。

 前回よりも多めに唾液を垂らし、両の細い指を使って先端から根本へと満遍なく馴染ませる。敏感になったままの肉棒は、唾液のほんのりとした温もりによってビクンと大きく跳ねた。

「じゃ、続けるね♡」

 ──ちゅこッ! きちゅッぎちゅッ! じゅちッ!!

 再開の言葉と同時に、今までで一番の猛烈な責めが肉棒に襲い掛かってきた。

「この段差んとこ、好きでしょ♡」

 カリ首に触れた際、いつもビクリと感じていたことがバレてしまったようだ。人差し指と親指だけで作った輪っかで集中的にカリの段差のみを攻撃してくる。

 コリッカリッと、段差を越える度に瞬間的な快楽が蓄積される。もちろん空いている左手は依然玉袋を揉みしだいていて、そちらからの気持ち良さにも喘き声が漏れてしまう。

「リヒトってば分かりやすすぎっ、ほら、こんなのは?」

 口元にいじわるそうな笑みを浮かべて立ち上がったアウラは、僕の太ももの上に左手を置き、逆手で肉棒の根本を強く握った。その時点で先ほどまでとは全く違う箇所を刺激され、尿道から我慢汁を絞り出すようにヌルヌルと扱かれ始める。

 根本は強く握り、先端に行くに連れて手の力を緩めるその動きに、早く出してとせがまれているような錯覚に陥る。実際にアウラに聞いたら鼻で笑われそうな妄想だが、それが新たな呼び水となり射精欲が加速度的に高まっていく。

「また、イキそうっ!! でるっ……でちゃう……っ!!」

 逆手で扱くアウラの体勢は、必然的に前のめりになる。

 線の細い体躯のアウラは見た目相応に力も弱い。そんな彼女が一生懸命に竿を扱いているのだから汗も掻くだろう。

 密着するように体を近づけたアウラからはほのかに甘い汗の香りが漂い、耳元に近づけられた彼女の口からは普段の生活では絶対に聞くことの出来ない色香を含んだ吐息が聞こえてくる。

 嗅覚と聴覚から雄の本能が刺激され、再度の寸止めという可能性を捨てて最高の射精へ至る準備を行なってしまう。後ろ手にベッドに手をついて体を支え、自然と足がピンと伸び、無意識に腰が持ち上がる。全ての快楽を生み出してくれる雌に捧げる準備は整った。

「ふふっ、はぁむ、へれれッ、じゅるッ、れぇろッ♡」

 射精の態勢に入った僕の様子を察したのか、アウラは手コキを速め、トドメとばかりに舌先で僕の耳穴をほじくるように舐める。

「くぁっ……ッッ!! い、っく──」

「はい、すとーっぷ、ふふふっ♡」

 もう少し、あと一歩で、ようやく頭の蕩けるような快感を手に入れられたのにっ!

 未練がましく視線を上げると、アウラの顔にはくっきりと加虐的な表情が浮かんでいた。それは一回目の寸止めがわざとだったのだと確信させるには十分な笑みだった。

「くふふっ♡ ごめんね、リヒト♡ ……リヒト?」

 一度目はしっかりと我慢が出来た。それはアウラを気遣ってのことだったし、無理やり襲うなんてダメだと理性が働いたからだ。

 でも、二度目はなかった。

 たった二回の焦らしでも、理性は本能によって擦り切れかけていた。

 衝動的に立ち上がりアウラの腕を掴んで、ベッドに押し倒した。

「ちょ、ちょっとリヒト? ね、ねぇってば!」

 いきなり押し倒されたことに驚いたアウラが焦った声を上げる。微かな怯えを含んだ声音に我に返り、彼女を押さえつけていた手をパッと離した。

「っ! ご、ごめん……アウラ……」

 一時の欲望のために、無理やりにと一瞬でも考えてしまった自分を叱する。

 もしも、アウラの性格が変わってしまったことに精神的な何かが影響していたなら、さらに症状が悪化してしまうかもしれないのだ。

 こんなことしちゃいけない。それは分かっている。

 だけど未だ胸の内に燻る絶頂への欲求が消える事はなかった。

 アウラを押し倒したまま、荒い息を繰り返す。

「アウラ……お願い……入れたいんだ……」

「で、でも、手だけって言ったし……」

「お願いだっ! でないと君を、無理やり襲ってしまいそうで!」

 ほんの僅かに取り戻した理性で僕はアウラに懇願する。異常なほど高まってしまった性欲が、彼女を襲えと囁いてくる。

 無理やりにでもアウラの中に押し込みたい気持ちを押さえつけるも、そんな我慢ならない気持ちを表すように、ガチガチに勃起した肉棒がワンピース越しに彼女の下腹部を小突いてしまっていた。

「……ほんと、ほんとのほんとに、しょうがなく、なんだからね」

 頬を赤く染め、僕と視線を合わせないように顔を逸らしたアウラは、つんと口を尖らせながらそう言った。それから自身でワンピースの裾を徐々に捲り、真っ白な下着を露わにする。

 男心を擽るいじらしい仕草に、飛びつきたくなるのを必死に堪える。

「でも! 私は動かないから。わ、私のここ……勝手に使えばいいじゃない……っ」

 緊張しつつ下着を脱がそうとすると、慌てて付け足すように言って自分で下着を脱ぎ捨てた。

 下着が空を舞い、床に落ちる。ついそちらに視線を移している間に、アウラはうつ伏せになり、枕に顔を埋めていた。恥ずかしかったのか、ワンピースの裾は元の位置まで戻っていた。

「ごめんね……アウラ……」

「う、うっさい! 謝ってないで早く済ませなさいよっ……」

 くぐもったアウラの叱責を受け、今度は僕がアウラの腰辺りまで裾を捲り上げる。

 そこに見える光景に、思わずゴクリと生唾を飲み込んでしまった。

 現れた両脚は、ほっそりしているようで、女性特有のふくよかさも持ち合わせているようにも感じる。やんわりと丸みを帯びた柔らかそうなお尻は汗で微かに濡れており、揉みしだきたいという気持ちを昂らせる。

 しかし、精巧に作られた人形を思わせるそれらには、幾重にも残る裂傷痕が存在し、元奴隷という事実を嫌でも実感させられる。消えないアウラの過去に胸がチクリと痛み、つい腫れ物に触るようにそっと傷痕を指で撫でてしまった。

「ひゃん!? いきなり何すんのよっ!?」

 耳まで真っ赤に染めたアウラが振り返りつつ睨みつけてきた。

「ご、ごめん! そ、その、入れるからっ!」

 気を取り直して僕はアウラの太ももの裏に跨り、体勢を整える。所謂、寝バックの体位だ。もちろん完全に伸し掛かっているわけではなく、膝立ちになっているから重さはあまり感じないはずだ。

 察したアウラがそっと脚を広げてくれた。

 本当に、今すぐにでも入れたかったが、彼女の傷痕を見て少しだけ冷静になっていた。

 一度愛撫などで濡らさなくて大丈夫だろうか。そんな考えが浮かび、おまんこに手を持っていくと、指先にぬめりを帯びた感触が伝わってきた。

「え? もう濡れてる……?」

「う、うっさい! ただの汗よ! そ、それより……まだ、なの……?」

 アウラは正面を向いたまま慌てたように声を荒らげる。そして不安そうに語尾を弱めると、微かに潤んだ銀の瞳を僕に向けた。

 最早全部考えてやっているんじゃないかというくらい、アウラの仕草は絶妙に男心を擽ってくる。それによって理性を焼かれ、本能のままアウラのおまんこに肉棒を押し付けた。

「……あっ……入って……く……んんっ」

 アウラの膣口は侵入してきた肉棒を押し返そうと拒んでくるが、徐々に力を込めて押し入れていく。

 一度入れきってしまえば挿入時の抵抗感は極上の締め付けとなり、怒張した肉棒に余すところなく快楽を与えてくれる。中は既にぐっしょりと濡れきっており、動かすのに支障は全くないだろう。

 入れていく時にはきつく閉じた肉壁を掻き分ける感触を亀頭で楽しむ。

 彼女のお尻と僕の腰が隙間なく密着するほど奥まで押し込むと、手で握られたような心地良い圧が竿全体にかかり、アウラの膣内がピッタリと僕のモノの形に変化するのが肉棒越しに分かってしまうほどだった。

 引き抜く際には、まるで一瞬でも離れたくないとでもいうように強く吸い付いてくる。それによってツブツブとした肉ヒダの刺激が直接カリに響き、その快楽に思わず涎が垂れそうだった。

 一往復ごとに脳内で快楽物質が弾け、さらに味わおうと腰を打ち付け続ける。その度にパコッ、パコッと肉のぶつかり合う音が部屋中に響き、一拍遅れてアウラの押し殺した嬌声が聞こえてくる。

「ぅ、うぅ……♡ ふぐぅ……♡ んっひ……っ♡」

 僕自身あまり性行為の経験は多くなく、上手くアウラを気持ち良くさせることが出来ているか不安だった。けれど枕を抱えて顔に押し付け、必死に声を抑えようとしている様を見ると、言い知れぬ優越感が胸の内に湧き上がってくる。

「はぁっ、はぁっ……!! あうらっ、キモチいいっ……っ!!」

「ふぅぅっ♡ そ、そう……♡ よかった、じゃないっ、ひっ♡ あ、あんたのっ、へっぽこな腰使いじゃ、んぁっ♡ わたっ、し……はぁ♡ かんじるわけっ、ない、しっ♡」

 彼女のプライドがそうさせるのか、一向に受け取る快楽を素直に言葉にしない。

 アウラに無理をさせていないか確かめながら、ゆっくりと抽送をしていたが、この様子なら大丈夫そうだ。一度頭を振って気分を切り替えて、今度はアウラにも快感を味わって欲しいと思い直した。しかし、徐々に上ってきていた射精欲を抑えるために少しだけ腰の動きを緩める。

「そ、それでっ……焦らしてるつもり? ぜ、んんっ、ぜんぜん意味ないからっ」

 それを先ほどまでの仕返しと勘違いしたアウラが煽るようにそう言った。平静を装ったような声音に、今度は完全に動きを止めてみる。すると、アウラのお尻がフリフリと動き始めた。

 艶のある銀髪に、吸い込まれそうな銀の瞳を持つが故に一種の神々しさを放つ美少女が、自らの肉棒で情欲を貪ろうとする瞬間を目撃し、入れたままの肉棒が熱く脈動する。

 汗で背中に張り付いていた銀髪を指で掬い、しっとりとした手触りを楽しむ。

 さらにそのまま脇腹を越えて、背後から服越しの胸を包み込むように右手で揉みしだく。ベッドに押し潰されても柔らかさを保った胸は、服の上からだというのにいつまでも揉んでいられそうだ。

「んんっ! にゅぐぅ……♡ あっ、むねっ、はっ……、はんそっ、くぅっ!」

「もうちょっと、激しくするね」

「ひゃふっ! ……っぁぁ♡ クッ!! ひゃにゅっ♡♡」

 さらに快楽を求めた僕は、煮えたぎる射精欲を何とか我慢しつつピストン運動を加速させる。すると勢いをつけたせいか今までは感じなかった、亀頭の先にコツンと当たる感覚を得ることが出来た。

 直感的に子宮口だと悟る。グリグリと亀頭を擦りつけるように刺激すると、突然ビクリとアウラの体が仰け反り、膣内が肉棒を握り潰すかのように収縮を強めた。背を反らしたせいで顔を枕に押さえつけられず、アウラの可愛らしい嬌声が寝室に響き、僕の鼓膜を震わせた。

「ふっ……♡ ふぅっ……♡ はふっ……♡」

 アウラはしばらくの絶頂に全身を震わせたのち、再び枕に顔を埋めて荒い呼吸を繰り返した。

 ──アウラをイかせることが出来た。

 その喜びは、より腰の動きを活発にさせる。

 先ほどは気付かなかった、ザラついた部分に亀頭を擦り付けると心地良い。合わせて何度も子宮口を膨らんだ亀頭でノックしていく。

 一度絶頂に達したおかげか、アウラのおまんこはさらにうねるように蠢き、愛液の分泌量も増えたようだ。

「んんんっ!! あぁっ♡ しょこっ♡ きも……っ♡ ちっ、あぁんっ!!」

 アウラもついに箍が外れたのか、枕を投げ捨て肉棒を刺激させる嬌声を上げる。どうやら彼女はこのザラついた箇所がお気に入りのようで、何度も擦り上げるとお返しのように子宮口がクパクパと亀頭にキスしてくれた。

「りひっ、ひょ♡」

 しばらくそこを責め続けていると二度目の絶頂に達したのか、またもビクリと反応してキュッと肉棒を抱きしめてくる。

 短い間に二度の絶頂をしたので少し休ませた方が良いと考え、一度挿入していたモノを抜く。するとアウラは体をゆっくりと起こし、仰向けに寝転がった。

 ようやく見る事の出来たその表情はトロトロに蕩けており、汗ばんで紅潮した頬や涎を垂らすぷっくりとした唇、いつもより微かに垂れ下がったツリ目が涙に潤んでいた。最初からこの表情をされていたら、問答無用で襲いかかっていただろう。

「こにょ、ままぁっ♡」

 すっかり発情しきった魅惑の顔で、しかし少女のような無垢さを交えた笑顔を見せる。脚を自分で持ち上げておねだりしてくる姿に興奮してしまい、覆い被さりアウラの中を掻き乱す。

「あうらっ! はぁっ、アウラァッ!」

「あっんんっ♡ んくぅっ♡ んんぁっ! ひゃうっっ♡♡」

 アウラと見つめ合いながら、必死に腰を突き動かす。この甘えるような態度が酷く懐かしく、このまま繋がっていたいという思いが浮かぶ。

 しかしずっと我慢してきた絶頂への高ぶりはついに限界を迎え、精液をアウラの最奥で放たんと抽送の勢いを増した。

「ふにゃっ♡ んちゅっれちゅっ♡ ぷはっ♡ んっきゅっ! まらイっひゃうっ!! あぅっ♡」

「はぁっ!! 僕も、イキそうっっ!! アウラも、イッて!!」

 激しい動きにベッドがギシギシと悲鳴を上げている。しかしそんなことは気にも留めず、アウラの首に手を回し、抱き寄せるようにキスを貪る。

 互いの口内を舐め合うと唾液の橋を作りながら離れる。空いていたアウラの手を愛おしむように握り、指を絡めた。

「ひゃあぁっっ!? ──イ、っきゅッッ!!」

挿絵2

 様々な箇所で繋がり合いながら、アウラがビクリと体を揺らしたのを感じた。

 それを合図に僕はアウラの子宮口にぴったりと亀頭を擦りつけ、我慢し続けた快楽を爆発させた。

「あぁっ! でるっ!! イクッッッ!!」 

 ──びゅるるるゥッ!! どくどくどくッ!!

 腰が砕けてしまうのではないかと感じるほど、これまでに味わったことのないような凄まじい快楽が全身を襲った。それに伴い精液が大量に発射され、アウラの中に溶け込んでいく。

 長い射精が続き、数回腰をビクリと震わせ最後の一滴まで中に注ぎ込んだ。

 やがて快楽の波が引いていき、大きな息を一つ吐いて肉棒を引き抜く。

 アウラの膣口から栓が抜け、ゴポリと精液が零れ落ちた。

 零れた量だけでも普段の一回の射精量はあり、子宮内に残っている物も考えると相当な量を出したのだと自分でも驚くほどだ。

 一方アウラは口を半開きにして気を失っているのか、時折ピクピクと体を揺らし、快感の渦に飲み込まれているようだった。

 アウラを満足させられたことに、男としての自信が湧いてくる。

 しかし未だに零れ落ちる精液を見ていると、流石に中出しはまずかったかと冷や汗を掻いた。

 チラと見た時計は既に十一時を回っていた。ずいぶんと長い時間、アウラに夢中になっていたようだ。久しぶりの行為だったし、アウラには無理をさせてしまったかもしれない。

 眠ったままのアウラの頭を一度だけ撫でた後、起こさないように軽く体を拭いてから、お風呂場に駆け込んだ。

 体を洗い終えて着替えを済ませ寝室を覗くと、アウラが目を覚ましていた。ベッドの縁にちょこんと座ってこちらを見ている。

「もう、行くんでしょ?」

「……うん」

「約束よ? 絶対帰ってくるって」

 アウラは顔を逸らしつつも目線だけを合わせると、呟くようにそう言った。

「分かってる。絶対に守るよ」

 僕はもう一度アウラの頭を優しく撫でて答えると、床に置きっぱなしだった鞄を拾い肩に掛けた。

「い、行ってらっしゃい……リヒト」

 久々に聞いたアウラの挨拶に、意気揚々と寝室を出ようと思ったが、ベッドのシーツが汚れや皺だらけなのを思い出してしまった。

「あ、その前にシーツだけ片付けないとね」

「って、折角の雰囲気壊さないでよっ!!」

 良い雰囲気のまま出て行こうとした僕のそんな言葉に、アウラはガクリと肩を落としてツッコミを入れる。

 アウラの小言を聞きながら、シーツの取り換えを終えて玄関に急ぐ。

「じゃあ改めて。行ってくるね、アウラ」

「ふん、一回ヤらせてあげただけで、あんまり調子に乗んないでよね……その、行ってらっしゃい」

 アウラの言葉を背中に受けた僕は、自信過剰になっていたところを突かれてギクリとしてしまった。

 その後、玄関まで見送りに来ていたアウラにポンと背中を叩かれ、はじき出されるように部屋を出る。

 振り返ると、アウラが少し儚げに微笑んでいた。

 それに答えるように一度コクリと頷いて、扉を閉めた。


 アウラとの別れを済ませると、左手にある一階へ降りるための階段ではなく、右手方向に歩き始める。そして月詠の間を一部屋挟んだところにある、陽炎の間の扉を開けた。

 廊下を進んでリビングに入ると机の上に、両手でギリギリ抱えられる大きさの、箱型の物体が載せられていた。

 これは映像を出力する道具〈ウツスンデス〉だ。対応する〈トルンデス〉という道具で撮った映像を映し出すことが出来る。数日前に購入し、アウラが眠っている間にこの部屋に設置しておいたのだ。

 高価な品物だったが、アウラのためだと考えればそう大きな買い物でもなかった。

「ちゃんと動くんだろうか? ちょっと見てみるかな」

 説明書片手に〈ウツスンデス〉の操作を数分掛けて行なうと、ジジ、という耳鳴りにも似た音が聞こえた。すると次の瞬間、〈ウツスンデス〉の正面の壁に、いくつもの画面が小分けされて映し出された。上手く〈トルンデス〉からの映像が送られているのだろう。

 どうやら部屋の設備は全て正常に稼働しているようだ。気になると言えば昨日設置した〈トルンデス〉の角度が少しだけ傾いていたことぐらいだ。

「よし、アウラは……と」

 いくつもの画面に視線を這わせながらアウラの姿を探す。とはいえ部屋から出たばかりなので目に見える変化はないだろうが、とりあえず機能の点検も含めて確認してみよう。

 初めての操作にもかかわらず、存外早く見つけることが出来た。再び〈ウツスンデス〉を操作して、アウラが映った画面を拡大させる。

『ふぁぁ……』

 アウラは今、寝室のベッドで寛いでいるらしい。

 不意に漏れた欠伸だろうが、どことなく美しさすら感じる彼女の所作に数秒見惚れてしまう。だが首をブンブン振って意識を集中させ、頭の中で監視の目的を再確認する。

 一つ、アウラに何か辛いことがあり、そのストレスの捌け口として僕に不満をぶつけているのではないか。

 アウラの性格が一変した理由が主従の儀の破棄ではないとしたら、という仮定だ。日々の小さな不満が積み重なって、だんだんと心を蝕んでいるのかもしれない。もしそれが僕の前では話せないようなものだったら解決するために何でもしよう。アウラのためなら苦労も厭わない覚悟はある。

 二つ、考えたくはないけれど、実は僕のことを嫌っているんじゃないかというパターンだ。

 昔から僕のことが嫌いで、奴隷から解放されるために嫌々好きになったフリをしていた……的な……。

 奴隷だった時のアウラの行動や言動は全部偽りで、奴隷から解放された今の彼女が本当の彼女の姿なのだろうか。考えただけで泣きたくなってきた……。

 ちなみに購入した奴隷は、主従の儀を破棄しても奴隷売買の規定によって再び売る事が出来ない。つまり僕は、責任を持ってアウラを養わなければいけないのだ。

 アウラが僕の元奴隷だとしても、盗撮するなんてプライバシーの侵害だ。でもそれが、たとえ常識的に考えて異常な行為だと言われようとも、アウラの本心が知りたかった。

 こんな馬鹿なことをするほど、僕は追い詰められていたのだ。

 この監視からアウラの本心を探るために、僕は目の前の画面に集中する。

 画面には問題なく映像が映っており一安心した僕は、先ほどの疲れからか酷い眠気に襲われた。まだ本格的に監視する必要もないだろうと、一度仮眠を取ることにした。


 目が覚めたのは夜だった。仮眠のつもりだったが、既に外は真っ暗になっていた。

〈ウツスンデス〉が発生させる光が室内を照らす中、携帯食料を食べて一息ついているとアウラに動きがあった。

『リヒトー、布団取ってー』

 現在の時刻は夜九時。いつもであれば八時に眠っているアウラとしては少し妙だ。今まで読んでいたのだろう本をベッドに置いて、どこかボーっとした表情で僕を呼んだ。しかし一向に戻ってこない返事に、アウラは僕が出掛けていることを思い出したようだった。

 今日の夕食は作り置きをしておいた。僕が寝ている内にもう食べただろう。後はお風呂に入って寝るだけのはずなのだが、アウラはベッドに仰向けに寝転んだまま動こうとしない。

『…………大丈夫かな』

 天井を見つめたままアウラが呟き、それからゆっくりとベッドから降りて寝室を出て行った。どうやらお風呂場へ向かうようだった。

 入浴する姿を覗くことに少しの罪悪感を覚えるが、〈ウツスンデス〉の映像を切り替える。

 映ったのは脱衣所だ。まぁ脱衣所と言っても脱いだ服を入れる籠と、洗濯を自動で行なうことの出来る道具、他には小さな洗面台しかない。だけどこれはこれで僕は結構満足している。

 画面を切り替えている時に気付いたのだが、アウラはなぜか脱衣所までの全ての部屋の灯りを点けていて、キョロキョロと周りを確認するようにして籠の前まで歩いてきた。

 その謎の行動について考察している間に、アウラはそそくさと着ている服を脱いでいく。

 衣擦れの音を響かせながら最後に下着を脱ぎ終わり、生まれたままの姿になったアウラ。その姿は可愛らしく、それでいてとても美しい。少女から乙女に移り変わる時期の絶妙なバランスを保った顔立ちは、いつまでも眺めていられそうだ。

 四肢は今にも折れてしまいそうなほど細く、それが彼女の儚さを演出していた。くびれた腰周りは、意識していないとすぐに掴みたくなる衝動に駆られてしまう。

 年齢は僕と同じで、身長は百六十程度。まだ嫌われていなかった頃にお姫様抱っこをした時は羽毛でも持ってるんじゃないかと思うほど軽かった。

 この一年で胸は結構成長したようでそれなりの大きさがある。先の行為の際、久々に触れた胸の感触が今でも思い出せる。一瞬だけ映った秘部や太ももには拭いきれなかった僕の精液が付着しており、脱衣所の照明を反射して特有のテカリを作っていた。

 ──はっ!? ダメだダメだ……僕は劣情に駆られて盗み見ているわけじゃないんだ。

 アウラの作られたような体に目を奪われてしまったが、今すべきことはアウラがお風呂場で何か見られてまずい事をしていないかを確かめることだ。

 服を脱ぎ終わったアウラはまたも周りをキョロキョロと見回して、警戒しながら浴室に入った。

 心なしかビクビクしながら木製の桶を使ってお湯を被り、椅子に座って固形の石鹸を手に馴染ませると、慣れた手付きで髪を洗い始めた。

「まずは髪から洗い始める……と」

 女の子が髪を洗っている仕草に一瞬ドキリとしてしまうが、ブンブンと頭を振って集中する。

 再び眺めているとどうやら長い髪を洗い終えたのか、お湯の汲んである桶を手に取って『壁に背を付けると』、やはり周りを確かめてから、ギュッと目を瞑ってお湯を頭に掛けた。

「…………もしかして」

 アウラってお化けとかが怖いんじゃ? と思えてきた。すると何だか今までの彼女の行動が全て可愛いらしく見えてくる。

 そういえば僕はいつも暗くなる前には帰っているし、当たり前だけどアウラが一人でお風呂に入っているところを見たことがない。部屋の灯りを点けていたのも、暗がりを怖がったからなのだろう。

 実は怖がりというアウラの隠れた性格を知った僕は、何だか無性に悪戯がしたくなってきた。機能確認も兼ねて〈トルンデス〉の隠し機能を使ってみよう。

『ウゥゥゥウッ』

『はひゃあっ!!?』

 浴室に設置された〈トルンデス〉から動物の低い唸り声のような音が響く。髪を洗い終えて胸に手を当てて安心しきっていたアウラが大きく跳ね上がった。この隠し機能は撮影中に邪魔な動物などを追い払う時に使うそうだ。

 唸り声に涙を滲ませ縮こまってしまったアウラは、ビクビクと周囲を見渡していた。

『……空耳?』

 どうやらアウラはそういう形で自身を納得させたらしい。しかしまだ怯えてはいるようで、そこに僕は畳みかけるように次の作戦を実行した。

《アウラ、まだ起きてる?》

《コホンッ……お、起きてるけど……?》

 念話と呼ばれる、長距離での会話を可能にするユグドラシル産の魔法だ。頭の中で相手に呼び掛けるだけで、実際に喋らなくても意思疎通が出来るとても便利なものだ。

 僕の呼び掛けには流石に悲鳴を上げなかったが、映っているアウラの様子はソワソワと落ち着かない。

《料理は作れなかったらお店に頼んでもいいからね。これだけ伝えておこうと思って》

《別に、それくらい作れるから》

 念話を続けながらアウラは湯船に腰を下ろした。自惚れかもしれないけど、僕が念話をしたことで少しはリラックスが出来たのかもしれない。両脚を伸ばしてお風呂に浸かっていた。

《じゃあ僕はこれで》

《え? あ、ちょっとリヒト》

《ん、どうしたの? アウラ?》

《……な、何でもない》 

 念話を切ろうとする僕を引き留めようとしたが、しかし言い捨てるようにそう言って、アウラの方から念話を切断してしまった。

 映像を眺めていると、アウラは伸ばしていた両脚を抱えてプルプルと震え出した。不謹慎かもしれないけれど、その様子になぜだか凄く癒された。

 それから先ほどの悪戯の効果もあったのか、体を素早く洗って浴室から出たアウラは、僕が予め用意しておいた着替えを手に取る。

『はぁ、今日はもう寝よっと……』

 アウラはそう小さく呟きながらブラを着けずに下着のみを穿くと、就寝時にいつも着ているピンク色のキャミソールを羽織って寝室へ歩いて行った。

 ちなみに主従の儀を破棄して以来、寝室で隣合っていた二つのベッドは、部屋の両端に離されている。一度部屋を分けようと提案したが、そこまでしなくても良いと言われたので、この処置に落ち着いている状態だ。

『……』

 早く寝ようと呟いていたのに、アウラはベッドを見つめたままなぜか直立不動になっていた。これには少し心配になってしまって、映されるアウラの姿を食い入るように見つめる。

 そして何か決断したように無言で頷いたアウラが、キッチンへと歩いて行く。

 あまり見ることのない真剣な表情だったので、まさか本当に訳ありなのではと、すかさず画面をキッチンへと切り替える。

 アウラの後を追うと、キッチンで鍋に何かを入れて料理をしているようだった。

 夜食でも作るのだろうか? でもアウラは小食だし、夕食もしっかり食べているはず……。 

 アウラの行動に興味が湧き、不審な動きをしないか画面に張り付いて観察していると、ものの数分で完成させたようだ。

 何かを煮込んでいたのか、湯気の立っている鍋を持ち上げる。中身を零さないよう慎重にアウラのベッドの前まで移動すると、あろうことかそのベッドに鍋の中身をぶちまけたのだ。

『ふぅ、よしっ……』

 突然のアウラの奇行に目が釘付けになってしまった。正直、言葉に出来ないくらいショックだ。

 毎日アウラが心地良く寝られるように洗濯して、純白の綺麗なシーツにしているというのに、鍋の中身、おそらくトマトをドロドロに溶かしたものだろう液体をベッドにぶちまけたのだ。

 ベッドは殺人事件後のような酷い有様になってしまい、どう足掻いてもそこでは眠れそうにない。

「そりゃないよ……」

 嫌がらせのつもりであれば、反対の僕のベッドに掛けてくれた方が良かったし、なぜアウラはそんな事をしたのだろうか。

 もしかして薬物による禁断症状だったり!? でも今までこんな酷いことはしなかったし……。

 グルグルと嫌な想像をしていると、アウラが鍋をキッチンに置いて寝室に戻ってきた。するとアウラは、敷きっぱなしにしていた僕の布団に仰向けで寝転がった。

「え……?」

 僕の口から間の抜けた声が出た直後に、アウラから念話が届いた。

《ねぇ、聞こえる? リヒト》

《んっ……あれ、アウラ? まだ起きてたの?》

《なに? 起きてたら悪い?》

《別にそんなことはないけど……》

 動揺を悟られないように今起きました感を装いつつ、アウラからの念話に答える。その声を聞いて僕が起きていたことに安心したのか、確かめるような声音から、会話を続けようとするものに変わった。言葉自体に棘があることは否めないけれど。

《それで、いきなりどうしたの? やっぱり料理したくなくなったとか?》

《だからそんなのは私一人で出来るって!》

《ほんと? じゃあどうしたの?》

 今のアウラの奇行を見ていても、その行動の意図が読めない。

《ちょっとさ、ベッドに料理零しちゃった》

《え、零した?》

 ぶちまけたんじゃなくて? とつい言いそうになるが、なんとか言葉を飲み込んだ。

挿絵3

《そ、そっか。それでアウラに怪我はない? 火傷とかしてないよね?》

《心配しなくても平気だし》

 口に出してから気が付いたが、アウラは一言も熱い物を零したとは言っていない。

 今のアウラは少し冷静ではないようでバレずに済んだが、今後発言についてはよく考えてから行なうようにしよう。念話で話してしまわないように注意しつつ反省をしていると、アウラが《でも》と探るように呟いた。

《今日ベッドで寝れないから、リヒトが今から洗濯しに来て》

《え、いや、それは……うーん》

 続けてどこか棒読み臭い感じで放たれた言葉に、二つ隣の部屋にいるだけという事実からつい洗濯しに行きたくなってしまうが、ここはぐっと堪える。

《ごめんねアウラ、もうアレクサンドルの市場まで来ててさ、今日中にはそっちに帰れそうにないんだ》

 アレクサンドルとはユグドラシルの街から北にかなり離れた街だ。もちろん嘘だけど。

《なんでよ、お願いしたらいっつもしてくれるじゃない?》

《流石に遠いから……ごめん》

《……分かった。しばらくリヒトのベッドで寝る、臭いけど》

 僕の謝罪の後の、アウラが放った言葉は、僕の精神に凄まじく深い傷を付けた。

《アウラが構わないならいいけど……無理してない?》

《べっつにー。じゃあ私もう寝るから。早く仕事終わらせて私のベッド、洗濯しに来てよ?》

《うん、頑張るよ。アウラ、帰ったら一緒に美味しいもの食べようね》

《期待はしとかない》

 何だか最後はやけに機嫌が良かった気がする。

 念話を終了させたアウラを画面で確認すると、先ほどの臭いという言葉とは裏腹に、僕の布団に包まったり頭を擦り付けたりしていた。

 何だか今日のアウラの行動は意味が分からなすぎて、僕の頭では理解が出来なかった。

 案の定、部屋中の灯りは点けたままにして、アウラは寝入ってしまったようだ。

 別に寝ている様子までは監視しなくても大丈夫だろう。

 それまで眠っていたにも関わらず、次々に起こる非日常に心が疲れているのか、勝手に下りてくる瞼に抵抗せずに目を瞑る。

 そして倒れるように床に敷いていた布団に寝転がると、ゆっくりと意識を手放すのだった。

『人になれる可能性があるのなら、私……平気。大丈夫だから』

『……分かった。準備するね』

 ああ、またこの夢か──。

『痛みとかはない……?』

『……へ、平気』

 まるで他人の記憶を盗み見ているような──。

『ぷっ、ふふっ、あははっ! リヒトってばなんて声出してるのっ』

『ご、ごめん……その、僕、キスするなんて、初めてで……』

 一体、誰なの──。


「──っ!」

 悪い夢見に、思わず掛けていた布団を跳ね除け、体を起こす。

 無意識に首を振って周囲の様子を確認するが、視界に映るのはいつもと変わらない部屋の光景。

 いや、変わっている──。

 ここにいるはずの最愛の人、リヒトがいない。ただ、それだけ。しかし、それだけで途端に恐怖に包まれ、体が震え出した。

 決して寒くはないのに口の中まで震えが伝わり、急いで布団に包まる。それから何度かに分けて布団の中に充満する匂いを、まるで極上のスープを味わうかの如く堪能する。

「あ、ぁぅ……すん、すんすんッ……はぁ……っ」

 するとだんだんと震えは落ち着き、同時に私の体は熱を帯びていく。より詳しく言えば、下腹部が。

 常に嗅いでいないと倒れてしまいそうな、まるで麻薬のような匂いを嗅ぎながら、穿いていた下着にそっと手を伸ばす。

 グチョリと濡れていた下着を下ろし、割れ目に指を入れるとヌルリとした自らの愛液に包まれた。

 今までにもリヒトの服を嗅ぐとジワリと濡れたことはあったが、流石にここまでは濡れなかった。ハッキリと自覚出来るほど愛液の量が増えている。リヒトがいつも寝ている布団に包まっているという状況が、いつも以上に興奮を煽っているのだろうか。

 布団に潜り、暗闇の中、横向きに寝転び片手で両膝を抱えると、太ももの裏から伸ばしたもう片方の手で秘所を大胆に弄る。

 常に鼻孔を襲う中毒性のあるリヒトの匂いに、私の思考がだんだんと正常な物ではなくなっていく。

「んっくぅ! あぁっ、くんっ!!」

 激しくなった手の動きに合わせ、ぴちゃぴちゃとシーツに愛液が飛び散る。それがリヒトを私に染めていくようで、逆に心地良い感覚となっていた。

 遠慮など一切なく中指を使い、膣内のザラザラとした箇所を引っ掻くように責め立てて絶頂への階段を上がっていく。

『アウラってば、もうこんなに濡らしてるの? ダメだなぁ』 

「りっひとっ♡ そんにゃつよくっ!! ひゃぁ♡」

 途方もない快楽が脳を侵食する中、頭に浮かぶのはリヒトに責められていることだけ。しかしそれだけでいつもの何倍もの快楽が私を襲い、気を抜くとすぐにでも果てそうになってしまう。

「んっくぁっ♡ ……んにゃっ♡ はぁ、はぁっ♡」 

 抑えきれなくなった私は、膝を抱えていたもう片方の手でキャミソールを捲り、胸の先端をコリコリと擦るように指で扱き、あらゆる方向からの快楽に獣のように身を捩る。

『アウラはここが好きだよね。ほらっ』

「ひゃぅんっ♡ い、いきなりさわんないでひょっ!?」

『そんな言葉遣いは誰が教えたのかな? 僕はアウラのご主人様だよ?』

「しゅみましぇんんっ!!? ごしゅじんさまっ♡ ごしゅじんさまっ♡♡ ごしゅじんさまぁ♡♡♡」

 自分の手が誰かに操られているように、まるで言うことを聞いてくれない。そのおかげで与えられる快楽が増加し、考えてもいない動きを次々と繰り出す。

 乳首の先を指で圧し潰したり、扱いたり、弾いたり。様々な刺激を与え、それが下からの感覚と合わさり凄まじい快感を生み出していた。胸を弾けば同時に腰が跳ね、下を弄れば自然と声が大きくなる。

 壊れた玩具のように気持ち良さに悶えた。 

 リヒトの匂いに包まれ、本当はこうして欲しいという欲望が止めようもなく溢れ出る。妄想と理解はしていても、本当にリヒトに責められていると錯覚しながら嬌声を上げ続けた。

『もうイキそうなんだよね、アウラのクリトリスも凄いよ?』

「しょこ、らめっでしゅ♡ ごしゅじんさまにふれられたらぁぁ!! んんくぅぅぅぅうっ!!!」

 そんな想像と共に、今まで触らず無防備になっていたクリトリスを強く抓った。すると目の奥でチカチカと眩しい光が何度も瞬き、全身が抗い難い快楽に蝕まれていく。

 手淫によって溢れた愛液を指で掬って胸や陰核に塗り、両の手の動きを速めていく。

 ぐちゅびちゃとその度に愛液が跳ね、それに伴う全身が震えるような快楽に、頭の中が白く染まっていく。空っぽになってしまった頭に、リヒトという存在が入ってくる気がして、途方もない充足感に襲われる。

 平らにした指で陰核を行き来するように擦っていき、荒い息を漏らす。自然と足がピンと伸びては、快感によってだらしなくガニ股になってしまう。

 淫らに悶える自分の姿をリヒトに見られていると想像すると、内なる快楽が倍増するような気がした。

『アウラって、すごく下品に弄るんだ』

 再び聞こえてきた幻聴に、思わず頷きながら手を速める。

 初めの頃とは比べ物にならないほど水音が大きくなると、滑りも良くなり小さな絶頂を繰り返し、さらにシーツを愛液で汚してしまう。繰り返される指の動きに、徐々に頂上が見え始めた。膣内が震え、リヒトの肉棒に見立てた指を締め付ける。

 入れていた指を三本に増やし、興奮を感じながら、ぐぽぐちゅっ、びちゃぴちゃと出し入れを繰り返す。

 無我夢中で快楽を貪っていると、リヒトの声がまたも頭に響いた。

『そろそろイかせてあげるね』

「ま、まっへっ♡ いま、わらひ、ひったばかり──」

 普段であれば軽くイけば止まったはずの手の勢いが、一向に弱まらない。逆に激しくなっていくことを実感すると、さらに深い絶頂への期待で心が躍ってしまう。

 制限されていた絶頂の階段がさらに伸び、より大きな快楽となって私を襲いにくる。

 そして、

『ほら、ほら! イけっ!』

「──っきゅッ♡」

 限界を迎える直前に耳元でそう囁かれながら、最後に陰核を弄る。

 すると自慰では今まで経験したことのないほどの快感の波が全身を包んだ。大きく腰が跳ね、その余韻に浸るようにピクピクと体が痙攣する。

 それまで動かしていた腕が弛緩し、ダラリと体の上に落ちた。

 快楽と幸福感に満たされたが、すぐにそれは偽りの感情だということを思い出させられる。途端に今までの行為が虚しく感じられて、胸に寂しさが残った。

「……り、ひと……」

 生まれた虚脱感にどうにか抵抗して、しばらく会うことの出来ない最愛の主人の名前を囀るように一度呟いたあと、寸前まで迫っていた睡魔に身を任せたのだった。

「ふわぁ……あれっ?」

 気持ちの良い微睡みからふと気が付き、意識が薄く覚醒する。

 体をゆっくりと起こし、寝ぼけ眼で部屋の一点を見つめ放心していると、怒鳴られないことが不思議に思われた。いつもであればアウラに飯を作れと叩き起こされるのだが、とそこまで考えて思い出す。

 そうだ、昨夜からアウラの監視を始めたのだった。

 少しふらつく体に鞭打って立ち上がると、蔦に覆われた窓の外が微かに明るくなっているのが分かった。早朝。時間的に言えば、まだ六時にも満たない時刻だろう。

 仮眠をしたおかげである程度の疲れはとれていて、いつもより早い時間に目が覚めたのだろう。

 早速アウラの監視を再開、といきたいところだが、映像を見るにアウラはまだ眠っているようだ。それに宿代も稼がないといけない。意外とやることが多いのだ。

 敷いてあった布団を片付け終わると鞄を拾って、陽炎の間を出た。

 アウラにバレないよう音を立てずに月詠の間の前の廊下を通り抜け階段を下りて、カウンターに座っていつも通り本を読んでいたシャネル婆に挨拶をする。

「おはようございます、シャネル婆」

「おやリヒト、おはよぅ。今日は早いねぇ? ユグドラシルかい?」

「えっと、はい」

 シャネル婆はいつもと変わらない柔和な笑顔を見せると、僕も釣られて笑顔になってしまった。

「あの、シャネル婆。折り入ってお願いがあるんですけど……」

「どうかしたのかい、リヒト?」

「アウラのことで。もしこの一週間の間にアウラが僕のことを聞いてきても、帰ってきてないって言ってもらえませんか? あ、月詠と陽炎の間の部屋代は毎日お支払いします!」

「あんなに可愛がっていたのに、喧嘩でもしたのかい?」

 シャネル婆は皺くちゃの顔を心配そうに歪ませて、心から僕達の心配をしてくれる。

 身勝手な理由だとは分かっているけど、僕がここにいるってことがバレたら、きっとアウラの真実を知ることが出来ないだろう。

 シャネル婆に向けて深く頭を下げると、「頭を上げとくれ」と慌てた声が掛かる。

「何か、訳ありみたいだねぇ。分かったよ、黙っておいてあげる」

「ありがとう、シャネル婆! じゃあ僕はユグドラシルまで行ってくるから!」

「いきなり元気になっちゃってまぁ。ふふっ、いってらっしゃい」

 シャネル婆は事情を察してくれたようだ。感謝を伝えるためにもう一度深く頭を下げる。

 外へ通じる扉を開けて最後に小さくシャネル婆に向け手を振ると、ニッコリと微笑んで見送ってくれた。


 ユグドラシルでは、第一階層といえど命の危険がある。

 基本、採取しかしないため軽装な僕でも、ユグドラシルへ入る際には装備品を身に着ける。多少重くはなるが命には代えられない。

 腰には数ヵ月前に購入した、革製の鞘に収まった片手剣を佩く。全く装飾のない直剣だが、鉄本来の鈍い輝きが素材の味を出している。

 上半身は皮で出来た切断に強い素材の長袖服、それに胸当てと肩当てを着けている。腰にはポーチを装備しているが、現在は金欠のため沢山のポケットには投擲用のナイフが数本入っているのみだ。

 下半身は出来るだけ動きやすい素材の長ズボン。靴は不安定な路面環境でも平気な、底に薄い鉄が貼ってあるブーツだ。これも多少重いが、リスクを考えると妥当な選択だ。

 しっかりと装備の確認を終えると、朝市が開かれる前の珍しい光景を歩きながら通りを見渡した。早朝でも準備などがあるのか、商人達とすれ違いながら歩き、巨木ユグドラシルへの入り口がある根本に到着する。

「おー、リヒト。今日も一階層でチマチマ鉱石掘るつもりか?」

 いざ覚悟を決めて内部へ入ろうとすると、僕の身長の倍ほどもある巨大な大剣を肩に担いだ短い黒髪の青年・ヴァルログが入れ違いで出てきて、いつものように冷やかすような口調で話しかけてきた。

 ヴァルログの周りには数人の仲間がおり、どうやら夜通しでクエストを行なっていたのだろう。

「うるさいなぁ、僕はアウラを養えればいいの!」

「前に言ってたがよ、お前その子に嫌われたんじゃなかったのか?」

「ヴァルログには関係ない」

 これ以上話していても時間の無駄だ。顔を背けて冷めた態度でヴァルログの横をすり抜けようとするが、彼は急に話題を変えて再度話しかけてきた。

「ふーん? あぁ、そうだ。耳よりの情報があんだけど聞くか?」

「……なに?」

「第一階層で今、特殊な鉱石が発生してるらしいぜ。滅多に見つからねぇらしいが、売るとかなりの金額になるってよ。ま、話はそんだけだ。頑張って掘ってみるこったな」

 それ以上の情報は知らないのか、こちらから何か質問をする前にそう言い捨て、大剣を担いでどこかへ行ってしまった。

 噂の特殊な鉱石……か。狙ってみる価値はあるかもしれない。

 突然現れた小さな希望を持って再度覚悟を決めると、ユグドラシルの内部へと足を踏み入れた。

 沢山の草木が生い茂り、ピチャピチャとどこかで水が跳ねる音が耳に響く。木の中に森林があるとは、とても不思議な光景だがユグドラシルではそう珍しいことではないらしい。聞くところによると、火山まで存在する階層があるそうだ。

 第一階層は大小無数の森林が続く。しかし、もうずっとこの階層で採取をしているため、見慣れた光景に足を止めずに歩みを進める。

 何事もなく目的の場所に到達すると、一応の警戒をしつつ鞄から採掘用のピッケルを取り出す。

 ユグドラシルの内壁は、木とは思えないほどに硬い。その壁をピッケルで削るとかなりの確率で鉱石が取れるのだ。

 鉱石は純度が高ければ高いほど良い価格で売れる。そして上層へ行くほど希少性の高い鉱石が採れ、その鉱石の純度が低くても、下層で採れる鉱石より高く売れるのだ。

 だけど命が惜しい僕は、こうやってチマチマと大したお金にならない第一階層の壁を掘り続けている訳で……。

 時折出てくる純度の高い鉱石が僕の生命線で、それが採れないと一日中掘り続けることになったりする。

 両手でピッケルを持ったまま、今日は早めに純度が高いものが出てくれないかと思いながら、勘を頼りにユグドラシルの壁にピッケルを叩き付け続ける。

 すると、ガキン! と、木からは考えられないような高い音が辺りに響き、ボロリと壁が削れ落ちた。

「ん? おぉ、これは結構上質だなぁ」

 落ちた壁から、一見ただの石ころと見間違うような小石を拾い集める。どうやら今回は運が良く、かなり純度の高い鉱石が手に入った。いつもより早めの収穫に思わず気持ちが浮わついてしまう。

 それから数回、場所を変えてガンガンとピッケルを振り回していると、第一階層に通い続けてから一度も見たことがない、拳骨大の黄金色の鉱石が足元に転がってきた。

「何だろこれ。ヘッケ鉱石と似てるけど、透明度が全然違うな。あっ、もしかしてこれがヴァルログの言ってた噂の鉱石?」

 だが、今までに見たことがないといっても必ずしもそれだとは限らない。ぬか喜びをせずに、適度に期待しておこう。

 カバンにその鉱石を詰め込んで、ひとしきり壁を掘ってから第一階層から抜け出した。

「でもなんだろうこれ?」

 ユグドラシルから出た後、歩きながら金色の鉱石を手に取って観察してみる。太陽に透かせてみたり、まじまじと見つめてみたりと、色んな角度から眺めるも、何か起こるわけでもなく結局分からなかった。

 そこで今日採掘した鉱石を行きつけの加工屋に売るついでに、この鉱石を見せてみることにした。

「おじさーん!」

 行きつけの加工屋〈アンダラ工房〉に到着すると、カキン! という鉄同士がぶつかり合う暑苦しい音が聞こえてきた。そこで店内に大きな声を掛けると、奥から無精ひげが特徴的なおじさん、アンダラが少し驚いたような表情をして僕の前まで歩いてきた。

「んぁ? あぁリヒトか、今日は早いな、もう売りに来たのか?」

「うん、今日は運が良くって。これなんだけど全部でどれくらいになるかな?」

 アンダラに店の奥へ通され、鉱石の入っている袋を手渡すと、彼は慣れた手付きで純度の高い鉱石を見極め始めた。

「なぁ……リヒトよぉ、毎度思うんだが、流石に一階層の鉱石だけで生活するってのはきついだろ。それに奴隷も持ってるんだろ? いつまでも安い仕事じゃ立ち行かなくなるぞ?」

 アンダラは次々と袋から鉱石を取り出しつつチラッと僕に視線を向けると、呆れた顔で溜息をついて口を開いた。

「たとえアウラに嫌われていても、あの子を養って支えなきゃいけないんだ。だから死ぬわけにはいかない。もちろん、贅沢な暮らしをさせてあげたいけどさ……」

 これは本心であるが、エゴでもある。僕はアウラを言い訳にして上層へ進むことを拒み続けている。

 要するに怖いのだ。死んでしまうことが。

「何で奴隷にそこまでする? っと、いけねぇ主従の儀は破棄したんだったな」

「アウラは本当に良い子なんだ。でも僕が主従の儀を破棄する時に、多分。いや絶対何か間違えたからあんな性格に……」

「その子に報いてるってわけか。ん? …………はぁ?」

「どうしたの、おじさん?」

 アンダラが、渡した鞄の底にあった最後の鉱石──黄金色の輝きを放つ鉱石──を取り出すや否や、口をあんぐりと開け、目を見開くと──。

「お、おいリヒト! こいつをどこで見つけやがったっ!?」

「わわっ、僕が行くところなんて決まってるでしょ!」

 急に迫ってきたアンダラに肩を大きく揺すられて変な声が出てしまった。何をそんなに驚いているんだろう。

「こいつはアルミラージュ鉱石、現最高階層の第十五階層の代物だぞ!?」

「え、えぇッ!!?」

 衝撃の事実。あの時に掘り当てた黄金色の鉱石は、どうやらヴァルログが言っていた噂の鉱石で間違いないらしい。

 これは高く売れそうだと内心喜んでいると、アンダラは顎に手を当てて鉱石を眺めながら唸って、出せる金額を呟いた。

「し、しかもこれは純度が高い。こいつを俺に渡すなら五金貨はかたいが」

 ご、五金貨…………?

 一瞬現実を疑ってしまって、無意識に右手を頬に持っていき、強く抓る。

「いふぁい」

 現実だ、夢じゃない!

「本当に夢だと疑う事態だが、どうやら現実だぜ。どうするリヒト、こいつをここで売ってくか?」

「ぜ、是非! 多少安くても今までお世話になった分があるのでっ!」

 僕のこの一言でアンダラはニンマリと笑顔になると一度店の奥へ入っていき、右手に微かに膨らんだ革製の袋を握りしめて戻ってきた。

「こん中に五金貨と、他の鉱石分の銅貨四十五枚が入ってる。ほら、確認しな」

 手渡された袋は見た目に反してかなり重い。縛っていた紐を解いて中身を確認すると、中から金貨特有の輝かしい光沢が姿を現した。

 確認し終えるとしっかりと縛り直し、鞄に金貨の袋を大事にしまってアンダラに頭を下げた。

「おうおう、やめてくれよリヒト。アルミラージュ鉱石は希少性もさることながら、あのサイズなんて滅多にあるもんじゃねぇんだ。それを少しでも安く買えただけで俺は満足さ。安い頭はいらねぇよ」

 照れ隠しのような表情で頭を掻いたアンダラは、「さぁ仕事だ」と言って、店の奥へ行ってしまった。

 別れを言う機会を失ってしまったので、外に出てから店に軽く頭を下げる。

 大通りにある時計を見ると十三時を示していた。いつもより三時間は早い時刻だ。今から帰ればアウラの監視が捗るだろうと、帰路を急いだのだった。


 普段はあまり通らない路地裏を小走りで通っていた。

「大丈夫かなぁ、アウラ……」

 一応〈ウツスンデス〉を録画モードに切り替えてはおいたが、それでも何かあった時に対応出来るわけではない。なので近道を通り早めに宿に帰りたかったのだ。 

 タタタッと、走る足音が建物の間に響き僕の耳に返ってくる。

 しばらく進むと、路地を抜けて大通りに出た。

 ユグドラシルの市場はいつでも栄えているため、大通りに出た瞬間、ごった返す通行人の波に飲み込まれそうになる。人混みに揉まれてぶつかってしまった通行人のおじさんに睨まれてしまったが、すぐに正面を向き直して何事もなく歩き去っていくのを見て胸を撫で下ろす。

 また誰かにぶつかってしまわぬよう、出来るだけ体を細くしながらゆっくりと進んでいく。

「らっしゃーい! らっしゃーい!! 今日も腕っぷしのいい奴隷に美人な奴隷、大勢入ってるぜー!」

 野太い男の客引き声が聞こえ、思わずそちらへ視線を向けると、奴隷商人が大きく手を振りながら呼び込みをしていた。

 今の時期は祭りなどもないため、奴隷の手を借りることは少ない。変な時期に奴隷を売っているものだと、少しだけ商人の後ろにある檻の中へ視線を送った。

 すると一瞬、生気を失ったアウラの姿が見えたような気がして足が止まりかける。通行人にぶつからないよう、大通りの端まで移動し改めて檻の中を確認する。

「……見間違いか」

 だが檻にはアウラの姿はなく、奴隷がまばらに存在するだけだった。ほっと安心してそう呟くと、気を取り直して先を急ぐことにした。

 昔のアウラはとても可愛かった。だからと言って今のアウラが嫌いなわけではない。

 確かに、今のアウラは以前のような素直な可愛さは消えてしまって何かと口うるさく言ってくるけど、たまに感謝を伝えてくるところは以前の魅力に負けてはいない。

 だからアウラを捨てようなんて思った事もない。口うるさく言ってくるところも、頼ってくれていると考えれば逆に嬉しく思えたりもする。

 別に僕がマゾってわけじゃない。相手がアウラだからこそ、だ。

 大通りの対岸に到着し、ようやく通行人の波から抜け出すと、もう一度路地裏へ足を踏み入れる。人通りが少ない分だいぶ歩きやすい。

 人混みは苦手だな、などと考えていると、曲がり角を挟んだ前方から足音が聞こえてくる。どうやら誰かが走ってきているようだ。

 人目の付きにくい路地裏だ。物取りに会い、せっかく手に入れた金貨を奪われるなんて、笑い話にもならない。十分な警戒をしつつ、曲がり角を注視する。

「はぁ、はぁっ!」

 走り慣れていないことが一目で分かる走り方で曲がり角を抜けてきたのは、一人の女の子だった。短めに切りそろえた黒髪が特徴的な、肌が健康的に焼けた褐色肌の少女だ。

「きゃっ!?」

 僕の横を通り過ぎる瞬間、足元がふらついたのか小さく悲鳴を上げて倒れ込んできたので、反射的に受け止めてしまった。もしかしてスリか? と一瞬思い浮かべるも、今更突き飛ばすことも出来ず、ひとまず倒れかかった少女の体を支えた。

「えと、大丈夫かい?」

「すみませんっ! でも、あたし、追われてるので離してください!」

 細腕を振り回して逃れようとする少女。何か訳ありのようだ。

 こちら側へ倒れる際にボロボロの服の隙間から見えた背中の痣。おそらくこの子は奴隷で、商人の目を盗んで逃げてきたのだろう。

「お、落ち着いて、僕が話をしてあげるから」

「そんなのいいです! あたしは逃げないと──」

 逃げる事に必死な少女を落ち着かせるように声を掛けていると、追手らしき人物が息を切らしながら路地裏に入ってきた。

 片目に傷の入った強面の人物を見た途端、少女の顔が恐怖からか真っ青になり、体はガタガタと震え出してしまった。

 僕は少女を庇うように──正直僕も怖いけれど──背中に隠れさせた。

「おイ、そこの坊主。悪いことは言わねェ。さっさと後ろに隠れてるうちの商品を渡してもらえねェか」

 少し掠れた、魔物の唸り声のような声。やはり奴隷商人のようだ。威圧的な態度と言動に思わず後ずさりしてしまいそうになる。

 チラッと背後の少女に目を向けると、僕の服の裾を掴んで泣き出しそうに瞳を潤ませていた。その様子を見ていると、ふと出会ったばかりの頃のアウラの姿が頭を過り、絶対守らないといけない、そんな思いが湧いてきた。

「……ごめんなさい。あ、あなたにこの子を渡すことは出来ませんっ」

 勇気を振り絞って声を出す。

 するとゆっくりこっちに近づいて来た強面の奴隷商人は、懐から黒い鞭を取り出し、僕に向けてきた。

「どういうことだァ? 坊主ゥ?」

 おでこがぶつかるくらいまで顔を近づけてきた奴隷商人が睨みを利かせてくる。

 怯んじゃダメだ。逃げちゃダメだ。守らなきゃダメだ。

 掴まれた服の裾から伝わる震えが一層強くなったのを感じる。僕は奴隷商人に視線を戻し、ふと考え付いた作戦を実行した。

「こ、これで、この子を買います!」

 凄む奴隷商人にこれ以上怖気付いてしまう前に、背中の鞄から金貨を一枚取り出し、奴隷商人に手に押し付けた。

「んだァ……? って、金貨だァ!?」

「は、はいっ、多めに払います! だからこれでこの少女に関する事を、全て水に流してくださいっ!!」

 僕の決意を籠めた瞳と金貨に、奴隷商人は低く唸りながら一歩後ずさると、今度は怪訝な声で尋ねてきた。

「何でこんなしょんべんくせェガキにそこまでする」

「ど、奴隷を買うのに、理由が必要ですか……?」

「ケッ! 頭のおかしな坊主だゼ。だが分かった、これも商売だ。主従の儀を施してもらいに行く、一緒に来てもらえるかァ」

 奴隷商人にも一応商人魂があるのか、それとも予想外の交渉に味を占めたのか、それ以上言及はしてこなかった。奴隷商人は続けて当然のことを言うように主従の儀を行なおうとするが、僕はそれを否定する。

「いえ、主従の儀は必要ありません」

「はぁぁ?」

「えっ?」

 これに関しては、奴隷商人はもとより、背後の少女までもが驚きの声を上げた。

「お前マジで何考えてるか分かんねェな。そいつに何されても俺は知らねェからなッ!」

 奴隷商人は僕を一睨みして、捨て台詞を吐いて走り去ってしまった。

 商人が去ると、褐色の少女がトテトテと僕の目の前まで歩いてくる。

挿絵4

「あ、あの……お、お買い上げいただき、ありがとうござ──」

 身を案じようと僕が何か言う前に、少女は明らかに棒読みで覚えさせられた感の漂う奴隷用の挨拶をしてきた。思い出すように必死に言葉を紡ぐ様子に耐え切れず、手の平を向けて制した。

「えっと、目の前で君を買ったところ悪いんだけど、もし君が自由になりたかったら、もうどこかへ行ってもいいよ」

「はぇ?」

 出会ったばかりだというのに、他人に聞かせるべきではない気の抜けた声が少女の口から漏れた。

「でも、こんな僕に、少しでも仕える気があるなら、僕の奴隷になって欲しいかな」

「…………」

 右手を差し出しながらそう伝えると、クリクリな瞳が可愛らしい少女と目が合った。

 少女はしばらく思案するように俯き、

「こんなあたしでよろしいのなら……」

 そんな言葉と共に顔を上げ、ギュッと僕の右手を握って微笑み掛けてくれた。

 アウラに相談なく大きな買い物をしてしまった。事後報告になってしまうが彼女にも伝えておかなければいけないだろう。頭の中でアウラに呼び掛ける。

《アウラ? 起きてる?》

《どうしたの、帰りの遅い馬鹿リヒト》

 数秒待つと、アウラが不機嫌そうな声で応答する。今以上にアウラの機嫌を損ねないように気を付けつつ、新しい奴隷が出来たとの旨を伝えたところ……。

《……ゴミ以下ね、クエスト先でも奴隷に作業をさせるなんて。それに女の子の奴隷? どうせ重い荷物やらを持たせるつもりなんでしょうけど、リヒト、それでも男なの? ましてや夜の相手として買ったなら酷いどころじゃない、鬼畜よ。この変態リヒト!》

《ちょっと、アウラ! 誤解だって!!》

 予想していた以上の罵倒が返ってきた。これが嫉妬心からきたのであれば可愛らしくもあるが、やはり言葉に棘がありすぎる。一方的になじった後、アウラは念話を切ってしまった。

 がっくりと肩を落とした僕の様子を見て、少女はオロオロしていた。ここにずっと突っ立っているわけにもいかないな。

 気にしないでと少女に軽く手を振り、とりあえず少女を連れてアラクネの宿へ歩き始めた。帰って落ち着いてから色々考えよう。


 褐色の少女を連れてアラクネの宿の前に着いた。あの路地からアラクネの宿までそう距離はなかったので、ここまで来るのにそれほど時間は掛からなかった。

「さ、ここだよ」

「お、お化け屋敷みたいです……」

 僕が指さした先のボロい建物を見て、少女が苦い顔をしながらひしと腰に引っ付いてくる。

 率直な感想をありがとう。僕も最初はそう思ったよ……。

「大丈夫だよ、こう見えて中は結構綺麗だから」

 安心させるように少女へ優しく呟くと、引っ付いたままだけどいくらか元の表情に戻った。

 宿の分かりにくい入り口を開けると、本を片手にカウンターに座っていたシャネル婆と目が合う。

「んん、リヒト? 今日は早いねぇ。と……? その子は何だい?」

 シャネル婆の視線が僕の隣でおどおどと周囲を確認する少女を捉える。そんな質問をしてくるだろうと思っていたので、カウンターの前へ歩みを進めながら予め考えておいた答えを返す。

「アウラは家事だけは不得意なので、新しい奴隷を買ってきたんです」

「はて? アウラちゃんは何でも完璧にこなす子だったと覚えてるんだけどぉ……婆の勘違いかしらねぇ」

 シャネル婆の記憶は間違っていない。

 以前のアウラは料理も洗濯も何でも完璧にこなして、その度に僕に褒めてもらいにきていた。といっても最近は全部僕がやってるんだけど……。

「ちょっとボケてきたのかな、今度薬草でも買ってこようか?」

「もうだいぶ歳だしねぇ、ふふっ、それはまた今度お願いすることにするよぉ。じゃあそちらのお嬢さん? この婆のことはシャネル婆って呼んでおくれ」

「わ、分かりました!」

 なかなか年を感じさせないシャネル婆のお茶目な言動に、少女の表情はすっかり和らいだものになっていた。

「じゃあ僕とこの子で陽炎の間を二人で。アウラは今まで通り月詠の間でお願い」

 宿代をカウンターへ置いて、少女を連れて二階に上がる。いつもの癖で月詠の間に入りそうになったが、すんでのところで扉に伸ばした手を引く。

 気を取り直して陽炎の間に少女を案内する。

「わわっ、な、何か凄いですね」

「あぁ、ごめんね。いつもはこうじゃないんだけど」

 部屋が〈ウツスンデス〉と携帯食料だらけだったことを忘れており、苦笑いを浮かべながら頭を掻いて取り繕う。少女は室内を興味津々に見回していた。

「えっと、とりあえずそこに座ってね」

 この部屋は借りたばかりで掃除も軽くした程度だ。窓を開けて空気を入れ替え、そのまま床に座るよりましだろうと畳んでおいた布団を敷いて、そこに座るように促した。

「ご主人さま。あたしは……なにをすればいいんでしょうか? シャネルお婆さまに言っていた様子だと、家事全般ですか?」

 布団にぺたんと座った少女は気合いが十分なようで、同じく布団の上に腰を下ろした僕へ、今すぐにでも働きたい、とやる気に満ちた目で見つめてきた。

「んー……そうだね。でもまずはお互い知らないことばかりだし、自己紹介をしようか」

 出会いがバタバタしていたため、少女の名前も知らないのだ。

 早速仕事を言いつけられると思っていたであろう少女は、自己紹介と聞いてきょとんとしていたが、すぐに満面の笑みになり答えてくれた。

「あたしはエレナといいます。好きな食べ物はウレの実で作ったパイです! 趣味はお掃除で、家事全般は大得意なのです。ちなみに、奴隷になったのは二ヵ月前です!」

「エレナか、何だか可愛い名前だね。ウレの実のパイは僕も好きだよっ、安いし美味しいしで、今でも買いに行くなぁ。それにしても奴隷になったのが二ヵ月前? 必死に逃げてきたからもう少し長いのかと思っていたよ」

「あ、あれはあのデブ商人がすっごく臭くて! 耐え切れなくて逃げてきたんです。でも……隠れた時に嗅いだご主人さまの匂いは、あたし、凄く好きでした!」

 まるで冗談のような理由で逃げ出してきた少女──エレナ。

 クンクンと犬のような仕草で鼻をならし笑顔を作る彼女の容姿は、改めて見ればとても可愛らしい。

 まず一番目を引くところと言えば、さっぱりと焼けた小麦色の肌だろう。ユグドラシルの街で褐色肌の人種は少ないわけではないが、均一に焼けたそれは外で元気に走り回る子ども達を連想させる。

 まだ幼さの残る丸っこい輪郭に、クリッとした黒目。深淵を思わせるその瞳に言葉を失ってしまう。アウラとはまた違う宝石のような美しさについ見惚れてしまった。

 活発さを感じさせる、肩に微かに届くかどうかの少し癖のある髪は、暗めの茶色だ。

 総じて子どもっぽい雰囲気を感じさせるエレナだが、すらっとした鼻梁やよく見ると長い睫毛など、少女と呼ぶにも不相応な大人びた印象を与える箇所も見える。

 ボロい布切れに三つの穴を開けて被せただけのような服から覗く、骨の浮いた脇腹から想像するに二ヵ月の奴隷調教の期間中、まともなご飯を食べる事も出来ていないのだろう。

 ただでさえ細い首から続く華奢な両肩、そこから伸びる腕も同じく細い。腕力に自信のない僕でも少し力を込めて掴むと折れてしまいそうで、庇護欲が刺激される。

 しかしそんな痩せぎすな体も、これからのことを思えば期待が持てよう。元が良いだけにどれほどの美少女に成長するのか、という若干の下心が混じった目を無意識に向けてしまう。

「……さまっ、ご主人さま」

「──え? あ、ごめん……ちょっと考え事してて……」

 気が付けば、不思議そうな表情でこちらを見つめるエレナの姿が目の前にあった。

 どうやら何度も声を掛けてくれていたようで、品定めのように眺めてしまったことに罪悪感を覚える。

 曖昧に浮かべた僕の表情を見て、エレナは困ったような表情をさせながらおずおずと口を開いた。

「えと、ご主人さまは……ご自身のことを教えてくださらないのですか?」

 そういえばそうだ。自己紹介をしようと言ったのも僕だし、答えないとエレナも困るだろう。

「僕の名前はリヒト、一応冒険者をやってる。そろそろ十六歳になるかな。あんまり戦闘は得意じゃないし、身体能力も低いけど体力には自信があるんだ。そして奴隷が一人……いや、我儘な女の子と一緒に住んでる」

 僕の自己紹介が終わるとエレナはにっこり微笑んで、よろしくお願いします、と頭を下げた。それから一度グルリと部屋を見回したあと不思議そうな顔で疑問を口にした。

「あの、ご主人さま?」

「どうかしたの?」

「えっと、もう一人の女の子はどこに?」

「アウラっていうんだけど、今は事情があって別の部屋にいるんだ。ほら、そこに映ってるのがアウラだよ」

 部屋の中央に置いてある〈ウツスンデス〉を指さしながら、エレナにアウラを紹介する。

「はわー、美しい銀髪ですねー……あ、もう一つ質問してもいいでしょうか?」

 画面に映るアウラをウットリと見つめていたエレナは、思い出したように手を挙げた。

「な、なぜあたしに主従の儀を行なわなかったのですか……?」

 そう質問するエレナの表情は先ほどの笑顔とは裏腹に、不安や怪訝を通り越して微かな恐怖すら滲ませていた。

 主従の儀を行なうと奴隷は主人に危害を加えることが出来なくなる。それは奴隷の反抗を未然に防ぐためと、その奴隷を売った商人がその後の責任を回避するために、半ば強制的に付与されるのだ。

 そんな自分を守ることの出来る唯一の手段である主従の儀を行なわないなど、頭がおかしい奴だと思われても仕方がないだろう。

 エレナは、お人好しの域を超えた僕の行動に、他に大きな理由があるんじゃ、という良くない想像をしているのかもしれない。

「それはね、さっき紹介したアウラが、主従の儀を破棄して以来、まるで人が変わったようになっちゃってさ」

「主従の儀を破棄……ですか?」

「うん、ちょうど一年前なんだけど、やる気のあった家事すらもやらなくなってね。その豹変が君にも表れて欲しくないって、勝手だけど思ったんだ」

「…………」

 僕の言葉を聞いて、エレナは何かを考えるように顎に小さな手を当てて一点を見つめると黙ってしまった。

 エレナはしばしの沈黙の後、考えを纏めたのか僕と目を合わせて、小さく頷いた。

「これはあくまであたしの予想なのですが。アウラさんには、真実の儀が掛けられていたのかもしれません」

「真実の……儀?」

 聞き慣れない単語に思わず聞き返してしまう。

 ユグドラシルに来てから護身術や野盗に襲われない方法、生活をやりくりしていく知恵などは多数調べたけど、思い返してみれば奴隷に関して知っているのは主従の儀だけだった。

 アウラの性格が変わったのは僕のせいだと思っていたので、奴隷の儀式自体を調べるという考えがなかったのだ。

 アウラが変わってしまった情報を得る、降って湧いたようなチャンスだ。ここでエレナに真実の儀とやらを教えてもらうことにしよう。

「エレナ、真実の儀って何か教えてもらえるかな?」

「あ、でも……あくまで、かもしれない、というだけで、しかも奴隷を調教する施設で関わった人に教えてもらっただけなので間違いがあるかもです……」

 エレナはそう言って不安そうに視線を逸らした。

 今は奴隷の儀式に関して知らないことが多すぎるので、たとえ確証がなかったとしても知識として知っておく必要がある。

「頼むエレナ、真実の儀について教えて欲しい」

「わ、分かったです」

 無意識にエレナに詰め寄ってしまったようで、ハッとして慌てて離れる。微かに頬を染めたエレナはなぜか名残惜しそうな表情をさせながら居住まいを正した。

「で、ではまず確認です。ご主人さまは奴隷が皆忠実で、働き者な性格だと思っていませんですか?」

「言われてみればそう思っているかも……」

 忠実で働き者と言われても、身近な例ではアウラしか見たことがない。確かにアウラは働き者だったけど、それはそういう性格なのだと思っていた。

 だけど街で見かける奴隷は主人が命令をするまでもなく、黙々と作業に勤しんでいたっけ。

「人格に難がある奴隷、例えばご主人さまの命令をいつも聞かないような奴隷には、奴隷として教育される中で、偽りの儀と呼ばれる儀式が施されるのです」

 偽りの儀か、これも聞いたことがないな。

「先に偽りの儀から詳しく教えてもらってもいい?」

「分かりましたです! 偽りの儀というものは簡単に言うと、施された人物の人格を思うがままに変えちゃう儀式、らしいのです」

「人格を……思うがままに?」

 アウラのことが脳裏を過り、反射的に聞き返してしまった。

「ご、ご主人さま? 少々お顔が怖いのです……」

「……え? ああ、ごめんね!」

 エレナに指摘されて気が付いたが、いつの間にか表情が強張っていたらしい。両手で自分の顔を揉み解しながらエレナに続きを促した。

「それから、偽りの儀は奴隷の刻印がされた者にしか効果はないとも聞きましたです」

「なるほど……。そうじゃなきゃ儀士に誰も近づかなくなるしね……」

 儀士とは希少な技術を持っている者で、奴隷に刻印を施したり、主従の儀などの儀式をすることの出来る人物だと聞いたことがある。

 普通に考えれば、儀士によって人格が変えられてしまうというのは恐ろしいことだろう。いくら奴隷であってもそれじゃあ儀士に近づかないよな、と思っていたのでエレナの補足には納得出来た。

「それじゃあ真実の儀は?」

「たしか、偽りの儀で作られた人格を破壊し、元の人格に戻す儀式らしいのです」

 偽りの儀は人格を改変、真実の儀はそれを打ち消し元に戻す儀式。

「なるほど。真実の儀の実行方法は分かる?」

 エレナが分かりやすい説明をしてくれたおかげですんなり頭に入ってきたけど、偽りの儀はともかく真実の儀の実行方法を知りたかった。知らない内に実行してしまったが故に、アウラの性格が変わってしまったのかも知れないからだ。

「ご、ごめんなさいです! あたしも知ったような口を利いてしまいましたが、流石に実行方法は知らないのです……ご主人さまが言う、アウラさんの性格が変わってしまったという話が偽りの儀と似ていたので、そうかもしれないと……」

「そ、そっか。でも教えてくれただけでも助かるよ。ありがとね、エレナ」

 見るからにしょんぼりとするエレナに感謝を伝えると、つい動物的な可愛さからエレナの頭を撫でてしまった。

「はわぁー……」

 まるでダラリと溶けるように脱力するエレナの姿にクスリと笑いが漏れる。

 さて、当面はアウラに真実の儀が施されていたかどうかを調べるとしよう。エレナも増えて少し忙しくなりそうだ。

「色んな情報ありがとね、参考にさせてもらうよ。これからよろしくね、エレナ」

「はい! よろしくです、ご主人さま!」

 しばらく他愛ない会話を繰り返していると、先ほどまでの緊張や不安が睡魔となって襲い掛かってきた。

 エレナには自由にしていてもらい、仮眠を取ることにした。


「……さまっ……ご主人さまっ」

 誰かに優しく体を揺らされる感覚でじんわりと意識が覚醒していく。

「んっ……アウラ……?」

 瞼を開き、まだぼんやりとする視界に一瞬アウラの姿が映った気がして、反射的に口からアウラの名を零してしまった。

「エレナです、ご主人さま」

 徐々に視界が鮮明になっていき、健康的に焼けた褐色の肌が見えてきた。目を擦りつつ体を起こす。

「……あ、間違えてごめんね、エレナ」

「いえ、あたしは全然気にしてないのですよ」

 布団を除けながら体を起こして、大きく伸びをする。その際に背中がポキポキと鳴ったのは疲れが溜まっているせいなのだろう。

「ご主人さま、軽食が出来上がっておりますので、どうぞお召し上がりくださいです!」

 そういえば良い匂いがするなと立ち上がると、視界に映ったのは豪華な料理の数々だった。だがよく見てみると、食材は全て携帯食料を使っているようだ。

「こ、これはエレナが?」

「はいです、これでも料理の腕には自信があったりするのですよ」

 驚きのあまりエレナをつい疑ってしまうが、自慢気に腕を叩く自信に満ちた彼女の表情は到底嘘をついているようには見えない。

 美味しそうな湯気を立てているスープを見て、思わず口内に溢れた唾を飲み込む。

 昨日まで決して美味しいとは言えない携帯食料しか口にしていなかった僕は、もはや顔を洗う事や着替えることも忘れてふらふらとテーブルに近づく。エレナが気を利かせて引いてくれた椅子に座った。

「それにしても驚きましたです! ご主人さまが冒険者さんだなんて」

 料理を食べ始めると、隣に三歩ほど距離を取って立っているエレナが、憧れるような視線を向けながら話しかけてきた。

「冒険者なんて名前だけだよ、ずっと第一階層にいるし」

 常々誇れるようなことではないと思っているので少しぶっきらぼうに返してしまう。だがエレナは「そうじゃないんです!」と両手を胸の前で重ねて、何やら熱く語り始めた。

「ご主人さまが冒険者と自慢出来る奴隷の気持ちを考えてみてくださいですっ!」

「いやぁ、それは良く分かんないけど……」

 さっきも話していて分かったが、どうやらエレナは元々の前向きな性格と奴隷の期間が短かったこともあり、以前のアウラのように精神的に塞ぎ込んでいるということはないようだ。

 それでも僕以外の、常に暴力を振るうような主人に買われた場合は、別だろうけど……。

「ねえ、エレナは食べないの?」

 見た目通り美味しい料理を食べている僕の隣で、エレナはずっと立っている。折角温かいままなので、一緒に食べないかと提案する。

「い、いいのですか?」

「もちろんだよ、一緒に食べた方が美味しいからね」

 元気で奴隷の雰囲気なんか少しも感じさせないエレナだが、やはり奴隷としての作法が染み付いているところもあるようだ。

 少しだけ感傷的な気持ちになるが、それを隠してエレナに座るよう促す。

「そ、それじゃあ……いただきますです」

 目の前に座ったエレナは少し緊張していた様子だったが、料理を食べ始めるとだんだん口数も増え、食欲も出てきたみたいだ。ごちそうさまを言う頃にはエレナの方が多く食べているんじゃないかというくらいだった。

「仮眠もしたしご飯も食べた。よしっ、じゃあもう一度街に出るね」

「もしかして、真実の儀の情報を集めに行くのですか?」

「うん、そうだね。ついでにクエストとかで少しでもお金を稼げればいいんだけど」

 午前中、とんでもない収入が手に入ったわけだけど、それに頼ってずっと過ごすわけにもいかない。街に出て真実の儀の情報を集めつつ、ユグドラシルで少しでもお金を稼ぐことにしよう。

「そこでエレナに頼みたいことがあるんだけど……」

「はい! 部屋の掃除ですよね!」

「その通り。このまま住むには汚いからね、軽くでいいから綺麗にしてもらえると助かるよ」

 この部屋を借りてから色々と忙しいこともあって、しっかり掃除をする暇がなかった。そのせいで所々埃を被っている。エレナは掃除が趣味だそうなので、任せても大丈夫だろう。

「それじゃあよろしく。ああ、念話の受け取り方も教えておくから、もしアウラに何か起こっていたら、すぐに連絡してね」

 念話の使い方を教え、装備と道具の点検を終えると、背中にいつもの鞄を背負う。

 アウラの性格の急変した原因が真実の儀だと決めつけて、危険な薬物を使っているとかの心配はないだろうと判断して録画は確認しなかったけど、大丈夫だよね……?

 部屋を出る直前に若干不安が過るが、玄関までついてきたエレナがそんな不安を吹き飛ばすように元気よく見送りをしてくれた。

「行ってらっしゃいませ! 掃除も監視もエレナにお任せくださいです!」

「うん、エレナも頑張ってね。じゃあ行ってくる」

 可愛らしく胸の前で小さく手を振るエレナに笑みを返す。

 まずはもう一度ユグドラシルへ鉱石を採掘しに行こう。

「おらリヒト、合計で十三銅貨だぜ」

「おじさん、今日もありがとうございました!」

 お金にはかなり余裕があるので、日銭分ほどの鉱石を集めてアンダラの店で換金を終えた。

 手渡された銅貨を鞄にしまうと、子ども達の遊んでいる公園に達っている時計に目をやる。

「十七時か」

 生死と隣合わせのユグドラシルでの探索で張り詰めていた緊張感が解けた。一息ついたところで、もう一つの目的を思い出した。

「真実の儀、かぁ……」

 正直儀式のことならば儀士に聞くのが一番手っ取り早いだろう。だけどそんな知り合いはいないし、下手に一人で接触したら捕まって奴隷にされてしまうかもしれない。

 一体どこで何をすればいいのか分からずウンウンと唸っていると、頭の中に一筋の光明が差した。

「そうだっ」

 情報屋に頼るのはどうだろうか。

 情報屋とはその名の通り、お金さえ払えば聞きたい情報を教えてくれる人達だ。その仕事の性質上、裏稼業に近く、普通の人間には接触が難しいが、僕の数少ない親友が情報屋として働いていることを思い出したのだ。

 信頼出来る人物なので危険はそれほどないはずだ。しかし万が一に備え、護身用のナイフを持っていく。

 情報屋は基本的に夜を活動時間としているため、今から向かうにはまだ少し早い。しばらく時間を潰す事にした。

 さてどうしたものかと、どこへ向かうでもなく足を動かしながら考えていると、エレナの服がボロボロだったことを思い出した。

 襟首も伸びていたので、実は起こしてくれた時に、膨らみかけの柔らかそうな胸の先端にピンク色の突起が見えていたり……。出会ったその日から邪な感情を抱いていると、バレなくてよかった。

 ということで、エレナの服を買ってから情報屋に向かうことにしよう。とりあえず以前にアウラの服を買った服屋に行ってみることにした。

「……んっ?」

 不意に背後から視線を感じたので、ゆっくりと振り返る。

 けれど別段僕を見ている人物は見当たらない。通りには通行人、露店を出しているおじさん、袋を抱える若い女性くらいしかいない。気のせいか、と思い直し目的地に足を向けた。

《……き、聞こえる?》

 服屋に向かい街を歩いていると、不意に頭の中にアウラの声が響いた。しかしいつもの覇気がない。体調が悪いのだろうか?

 エレナを買ったと報告した際、念話をブツリと切られてしまって以来、何度呼び掛けても繋がらなくなっていたのだ。

 エレナに〈ウツスンデス〉越しにアウラを紹介した時には、特に変わった様子はないように見えた。であればいつもの我儘だろうか?

 アウラの性格が変わった原因に当たりはついたわけだし、実はもう帰ってきていると伝えてもいいかもしれない。

 これ以上、無断でアウラを監視することに意味はないだろう。

《アウラ! さっきは急に切れちゃったけど大丈夫なの?》

《へ、平気。あの……さ》

《元気がないみたいだけど、どうしたの?》

 普段のアウラなら一言目か二言目で我儘が飛んでくるんだけど、やはり今日のアウラは様子がおかしい。念話から表情を読み取ることが出来るのなら、今にも倒れそうで、苦しげな表情をしていそうだ。

《な、なんでもない。それより、仕事は? 上手くいきそうなの?》

 仕事なんて嘘なんだけど、思わぬ大金が手に入ったし、ここは上手くいったと伝えておこう。そうすれば帰れる目途が立っていると思われるだろうし。

《それが聞いてよアウラ! 大成功でさっ! そろそろ帰れそうなんだ。出来るだけ早く帰るからもうちょっと待っててね》

 少し大げさ過ぎただろうか? 大成功なのは間違いないし、事前に帰れるって報告もしておいた方が良いだろう。

 服屋に到着すると、そのまま念話を続けながら店内へ入る。人混みの中でも安定して話を続けられるところが念話の便利なところだ。

《………………そう、なんだ》

 長い沈黙の後、呟くような返事があった。

 無理しているようならば、早めに念話を切り上げた方がいいかもしれない。

 念話は便利だけど常に思考力を働かせるため、長時間の使用は疲れやすい。体調が悪い時に使うと熱を出したり頭痛が起きる可能性があるのだ。

《アウラ? やっぱり体調が悪そうだし、念話切ったほうがいいよね?》

《待ってっ!!》

 そう言って念話を切ろうとすると、アウラは急に思念を荒らげて引き止めてきた。いつもなら僕から念話を切ろうとしても何も言わないのに……やはり不安だ。早めに戻った方がいいだろうか。

 アウラの突然の感情的な思念に驚いてしまい、手に持っていた純白のワンピースを落としてしまった。エレナの服を買うついでに、前にアウラにねだられていた純白のワンピースを買おうと思っていたのだ。

 慌てて拾い上げるが、純白だったせいもあり、数か所に黒い汚れが付いていた。

「あちゃー……。前に買った時と同じサイズのはこれしかなかったんだけどなぁ……」

 店員さんに聞いてみると、ちょうど同じサイズの女性物が殆ど買われてしまったのだそうだ。せっかく見つけ出したワンピースだったのにこの始末。汚れをはたいて何とか綺麗に見えるようになるかな。

《あぁごめん! こっちが忙しくって。えっと、何かな?》

《リヒトはさ、絶対私のところに帰ってきてくれる……?》

 服を落としてしまったことに意識が向いていて、ほんの少し間が空いてしまった。

 伝わってきたアウラの思念は先ほどまでの憔悴しきった様子とはまるで違う、どこか甘えるような、そして確かめるような意図を含んでいるようだった。

 帰ってきてくれる? なんて質問の答えは決まっている。

《当たり前だ、僕はアウラを置いて去ったりしない。ユグドラシルに誓うよ。今までずっと言ってきたじゃないか》 

 この言葉はまだ素直な性格だった頃のアウラに、常に言い続けていた言葉だった。

 それを今でも覚えているか分からないけど、アウラを元気付けるようにそう言って反応を待った。

《え、えへへっ。でも! つ、次に私を心配させたら……そんな言葉だけじゃ許さないんだからねっ! じゃあね!》

《ちょっとアウラ!?》

 エレナ用の服も適当にサイズを見繕って会計をしていると、アウラはなぜか嬉しそうに一方的に捲し立てて念話を切ってしまった。今までの経験から考えるに、こちらから念話を繋げてもしばらくは応答してくれないだろう。

 仕方なくエレナとアウラの服の入った袋を受け取って店を出ようとすると、

「すいませーん! お客さんーっ!」

 背後から呼び止める声が聞こえた。

 振り返ると、お会計を担当してくれた店員さんが小袋を片手に息を切らしながら走ってきた。どうやら商品の渡し忘れがあったようだ。

 一つ多くなった荷物を両手に、ゆっくりと日が沈み始めた空を仰ぐ。時間を潰してから情報屋に会いに行こうと思っていたが、思っていたより荷物が増えてしまった。一度宿に荷物を置きに戻ることにした。

 そうして歩いている途中、エレナがどうしているかふと気になった。

 陽炎の間は定期的にシャネル婆が掃除しているとはいえ、汚れが目立っていた。流石に連れてきてすぐにあそこを掃除してくれと頼むのは酷だっただろうか……。

 今更ながらに反省しながらエレナに念話を試みる。

《あ、あー、エレナ、僕だけど》

《ご、ごご、ご主人さまっ!? い、いかがなされましたですか?》

 念話が繋がると、エレナの焦ったような思念が返ってきた。何だかおかしな言葉遣いに、クスリと微笑んでしまう。

《驚かせちゃったかな? 部屋の掃除は大丈夫だった?》

《は、はい! 完璧です!》

《エレナに任せっきりでごめんね、お土産を用意したから楽しみにしててね》

《……はい》

《エレナ?》

《……? あれ? えと、いる……? あ、いや何でもないのですっ!! お帰りをお待ちしてるですっ!》

 エレナの思念が途端に落ち込んだものになった。しかし次の瞬間には元の調子に戻ったので、勘違いだったのだろう。初めての念話で緊張していたのかもしれない。

 掃除も終わらせてくれているようだし、期待して帰ることにしよう。

《じゃあもうすぐ帰るからね》

《分かりましたです!》

 エレナの返事を最後に念話を切って、足早にアラクネの宿に帰ったのだった。

『顔は良いが──はどうにも──んな──』

『しょうがない──はあるが──を──しかないだろう』

『では、──を?』

『──、次に目覚めた──は、──だろう』




「ぅん…………?」

 何とも言えない気怠さと共に瞼を開く。

「ふぁっ……」

 全身が怠い。ゆっくりと体を起こそうとすると不意にリヒトの匂いが鼻孔を擽り、甘い声が出てしまった。

 足に力を入れて立ち上がると、それはもう昨日の乱れ具合が一目で分かるほどの酷い有様だった。

 寝相のせいもあるかもしれないが、綺麗に敷いてあったシーツは皺くちゃで、ところどころに愛液が大きな染みを作っていた。ベッドに残ったリヒトの匂いを嗅いでつい流されてしまったが、事後の惨状を目にすると自己嫌悪に溜息が漏れてしまう。

「とりあえず洗濯…………って、どうするんだっけ……?」

 洗濯をしようとシーツを手に取った瞬間、思考が真っ白になる感覚に襲われて取り落としてしまった。

 いつ頃からかは忘れてしまったが、週に何度かの割合でこの現象が起きる。

 どう動けばいいか分かっているのに、いざやろうとすると頭の中が真っ白になって、しばらく放心してしまうのだ。まるで誰かに一瞬だけ体を乗っ取られるような不思議な感覚……。

 洗濯をしようにもどうすればいいのか分からなくなってしまったので、帰ってきたらリヒトにやってもらおう。…………愛液まみれなのは流石に恥ずかしいので、シーツは浴槽に沈めておこう……。

 リヒトのことを考えるとふいに寂しさを感じてしまい、ボロボロになった本をギュッと抱きしめた。

「あっ……」

 壁に掛かっている時計に目をやると、既にお昼過ぎだった。意識すると空腹を感じてきたので、ご飯の準備をしよう。

 ベッドから降りるのと同時に、突然リヒトから念話が届いた。

《アウラ? 起きてる?》

 恋しく思っていたタイミングで届いた念話に一瞬で答えようとしてしまったが、どこか素直になれず数秒経ってから少し不貞腐れた声で答えることにした。

《どうしたの、帰りの遅い馬鹿リヒト》

《遅いって、まだ一日目だよ? あぁ、そんなこと話してる場合じゃなかった。えっと、単刀直入に言うと、女の子の奴隷が一人、増える……かも?》

 控えめな声でそう聞かされた時、抱きしめていた本をボトリと落としてしまう。先ほどの頭の中が真っ白になる感じとは違う、まるで人生全てを消去されるような虚無感に襲われた。

「あ……え……?」

 まずい。まずいまずいまずい。

 リヒトの説明を完全に理解すると、真っ先に思い浮かんだのは危機感だった。

 リヒトは私のことを以前と様子が変わったとよく言っている。それでも、素直になれない嫌な女の私でも、リヒトは優しい笑顔で接してくれて、どんな我儘でも許してくれた。

 だけど、ついに私は見限られたのだ。

 帰ってきたらリヒトに部屋を追い出されて、一生リヒトと会えなくなって──。

《アウラ?》

《ご、ご……》

 リヒトのことだ、ちゃんと謝れば許してくれる。

 ちゃんと謝れば……。

 ちゃんと、謝れば……。

《……ゴミ以下ね、クエスト先でも奴隷に作業をさせるなんて。それに女の子の奴隷? どうせ重い荷物やらを持たせるつもりなんでしょうけど、リヒト、それでも男なの? ましてや夜の相手として買ったなら酷いどころじゃない、鬼畜よ。この変態リヒト!》

 吐き捨てるようにそう伝え、念話を強制的に終了させる。

 気が付くと、両の瞳から大粒の涙が流れていた。

 嗚咽を我慢しようとしても、意思に反して喉が鳴ってしまう。

 終わった。もう絶対に捨てられる。言い逃れのしようがない。

 違うのリヒト……本当はあなたのことが好きで好きで堪らないの。

 でも、どうしてか素直に口に出せない……。

 お願い分かって……? もう一年以上も一緒に……。

 あれ──? 私っていつからリヒトの隣にいたんだっけ──。

 そんな当たり前の自問に答えることが出来ず、胸の内が不安で埋め尽くされていく。

「何で、何で思い出せないの……?」

 リヒトとの思い出の本を抱きしめながら何度も思い出そうとするのに、すっぽりと頭から記憶が抜け落ちている。

 リヒトに会えばきっと思い出せる。今はただ、少し混乱しているだけなんだ。

 そう自らに言い聞かせて心を落ち着かせる。

 ふと時計を見ると十四時を指していた。いつの間にか長い時間自問自答をしていたようだ。

 刻々と過ぎる時間は、リヒトとの距離が離れていくことを表しているように思えてくる。

 焦燥感を紛らわすために大きく深呼吸をして、気持ちを切り替える。

 どうすればリヒトに会えるだろう。まずはこの部屋から出る方法を探すべく、浴室へと向かった。そして月詠の間の中で一番大きな窓を開け、身を乗り出して下を覗き込む。

 二階なだけあってそれなりの高さがあるが、周りの建物の屋根が足場のようになっているため、屋根伝いに行けば下りられるだろう。ひとまずは部屋からの脱出ルートが確認出来た。

 確かリヒトはユグドラシルの街から北に行った、アレクサンドルの市場に行ったと言っていた。私の足じゃ辿り着くまで時間が掛かるだろうから、荷物も準備しなくては。

 水や携帯食料、地図などを自分の鞄に手早く詰めていく。あまり重くなると外に出る時の足枷になってしまうから、必要最低限に抑える。

 普通に外に出られればこんな苦労はしなくてもいいのに……と気持ちだけが焦ってしまう。

『用がない時は部屋から出ない』

 これは、様子が変わったらしい私とリヒトの間で交わした約束だ。

 この約束事の理由は良く分からない。

 前に一度、興味本位でアラクネの宿から抜け出そうとしたことがある。その際は一階のシャネル婆に見つかってしまい、途轍もない早さで帰ってきたリヒトに小一時間ほど説教を食らったことがある。

 あの時のようにリヒトに怒られたくはないが、今はここでじっと待っている場合じゃない。愛する人に捨てられるかもしれない可能性が少しでもあるのなら、必ず阻止しなければ。

 優しいリヒトのことだ、直接会って頭を下げたならばきっと許してくれるはず。

 しかしリヒトを前にすると、どうしても素直になることが出来ない。ちゃんと謝れるだろうか……。

「よしっ……」

 準備を終えた私は鞄を背負い、浴室の窓から身を乗り出した。慎重に屋根から屋根へ伝っていき、問題なく地面に下りることに成功した。

 予め地面に落としておいた靴を履くと、鞄から取り出した地図を広げる。街の門へ行くには一度大通りに出て、ユグドラシルの根本まで進んだ方が近そうだ。

 久しぶりに駆けるユグドラシルの街は、住んでいる時間の長さに見合わず酷く見慣れないものだった。

 地図とにらめっこしながら建物の角を曲がった先に、ここには絶対いないはずの人物を見てしまった。

「なんで……ここにいるの……?」

 そこには、ユグドラシルの街を旅立ったはずのリヒトの姿があった。

 思わず、私を放っておいてこんなところで何をしているんだと問い詰めたくなり、リヒトに向かって足を動かそうとする。しかし体に力が入らなくなってしまい、ガクリと膝が折れ、地面に座り込んでしまった。

 リヒトが視線に気付いたのか振り返るが、なぜか私はその視線から逃げるように這って、近くの木箱に身を隠してしまった。

「ち、違うに決まってる……。きっと早く仕事が終わってもう帰ってきたのよ……。そう、きっとそう……、絶対そう……。だから、嘘をつかないで……?」

 今まで感じたことのない体の震えを必死に抑えながら自分自身に言い聞かせる。

 ──嘘はつかないで欲しい。

 自らの安心を得るため、そしてリヒトが嘘をついていないということを確認するため、覚悟を決めて念話を繋げた。

《……き、聞こえる?》

 自分でも分かるほど酷い思念だった。掠れて、震えている。必死に隠してはいるけど、リヒトなら私に何かあったのかと分かってしまうだろう。

《アウラ! さっきは急に切れちゃったけど大丈夫なの?》

 リヒトの言葉に、罵声と共に念話を切った事を思い出し、ギリッと奥歯を噛んだ。そんな酷いことを言った私に対して、リヒトは気遣ってくれる。

 そのたった一声だけで、荒れた心が和らいでいく。

《へ、平気。あの……さ》

《元気がないみたいだけど、どうしたの?》

 ずっと一緒にいて分かる、心から案じてくれている声。嘘をついているんじゃないかと疑っているのに、平然と嘘をつく自分の口が憎らしい。

《な、なんでもない。それより、仕事は? 上手くいきそうなの?》

 出来るだけ平静を装ってそう答えると、早速本題を聞くことにした。遠回しにどこにいるかを聞き出す。

もしここでリヒトが嘘を言えば私は既に見限られていることになるのだろう。

 そしてきっと、リヒトは新しい女奴隷と一緒にこの街を出て行ってしまう。

 そうなれば、私はもう生きてはいけない。リヒトは、私という存在を形成していると言っても過言ではないのだ。

 リヒトのいない朝。リヒトのいない生活。リヒトのいない夜。そんなものに耐えられるわけがない。

 だから、絶対に嘘をつかないで欲しい。お願いリヒトっ……。

 ──だけど、そんな儚い思いは砕け散った。

《それが聞いてよアウラ! 大成功でさっ! そろそろ帰れそうなんだ。出来るだけ早く帰るからもうちょっと待っててね》

 終わった。捨てられた。もう会えない。話せない。おはようも言えない。

 ──もう、生きられない。

 やっと止まった涙は再び溢れ、リヒトの姿も輪郭がぼやけて見える。

「うぐっ……っく……」

 しゃがみ込んで醜い嗚咽を漏らす私を、通行人が怪訝な目を向けては通り過ぎていく。もう他人にどう思われようがどうでもいい。

《………………そう、なんだ》

 うわごとのように私は念話を続ける。

 頭の中がぐちゃぐちゃのまま、木箱に手をついて立ち上がる。ふらふらと歩みを進める先は、リヒトが入っていった建物。

 リヒトが私から離れてしまうぐらいなら、いっそ──。

《アウラ? やっぱり体調が悪そうだし、念話切ったほうがいいよね?》

 気遣ってくれるリヒトの思念が届く。でもこれも信じられない。本当は私となんて念話すら続けたくないのだろう。

 全ての物事が前向きに考えられない。これも全部、全部私が悪いからだ。私が素直に思いを口に出来ないから。

《待ってっ!!》

 それでも、リヒトと離れたくない一心で呼び止めてしまう。

 何で私という存在は、嫌というほど心に溜まりきっているリヒトへの愛を口に出せないのだろうか。

 心からリヒトを愛しているのに、アウラという存在は、どこかでそれを否定してしまう。

 どうして私はこんなに矛盾しているのだろう……。

 倒れそうになりながらも、リヒトが入っていった建物まで辿り着いた。

 ここは……服屋?

挿絵5

 服屋の窓越しにリヒトの姿が見えた。涙で滲んだ視界で確認出来ただけでも、体の震えが和らいだのを感じる。

 涙を拭うと、リヒトが手に持っている服に目が行く。それは純白のワンピースだった。

 そういえば、前々から純白のワンピースが欲しいとねだっていたことを思い出した。その時リヒトは、今は買えないけどいつか絶対買ってくる、そう約束してくれた。

 もしかしたら、今がまさにその時なのではないだろうか。

 まだユグドラシルに帰っていないという嘘も、このサプライズのためなのかもしれない。

 きっとリヒトは私の我儘を覚えてくれていたんだ……!

 途中でワンピースを落としてしまったけれど、それはもう凄い速さで拾い上げると頑張って汚れを落とそうとしていた。

 いつでも優しくて、我儘を聞いてくれて、たまにおっちょこちょいで、私を大切にしてくれるリヒト!!

 そのワンピースが、私と一緒にいてくれるというリヒトの意志に思える。

 やっぱり、優しいな……リヒトは……っ。

《あぁごめん! こっちが忙しくって。えっと、何かな?》

 再びリヒトの思念が届く。

 こっちが忙しいなんて、さっきまでだったら死にたくなるくらいの嘘だけれど、今はなぜだか私を優しく包んで温めてくれるような心地にさせた。

 こんな安心感に包まれている時なら、いつもは言えない言葉も言えるんじゃないか。

 そう思って、精いっぱいの好きという感情を込めて、心に突き動かされるまま呟いた。

《リヒトはさ、絶対私のところに帰ってきてくれる……?》

 やっぱり素直に「好き」とは言えなかった……。

《当たり前だ、僕はアウラを置いて去ったりしない。ユグドラシルに誓うよ。今までずっと言ってきたじゃないか》

 少しの間があって、拍子抜けしたようなリヒトの思念が届く。私の質問が当たり前過ぎたからだろう。

 それでも、その言葉でリヒトがずっと私のことを思ってくれているのだと確信した。

 ユグドラシルに誓う。

 これは婚約の儀を行なう際に使われる、最上級の約束の言葉なのだ。

《え、えへへっ。でも! つ、次に私を心配させたら……そんな言葉だけじゃ許さないんだからねっ! じゃあね!》

 最後の抵抗を見せた素直になれない性格が、ちょっとだけリヒトに釘を刺した。

 顔が勝手にニヤけてしまう。

 空にでも飛んでいけそうなほどほわほわと全身が軽くなった私は、部屋を出た時とは比べ物にならない幸せな感情に満たされたまま、スキップでアラクネの宿に帰ったのだった。

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