窓から射し込む太陽光が目に染みる、そんな不快な朝の始まり。いや、時刻はすでにおやつ時も優に過ぎていた。昨晩は色々あったあとなのでヤる気に火が付き過ぎ、空が明るくなるまでヤってしまった。
ひとまず風呂に入って目を覚まそうと、怠い身体を起こして脱衣所へと向かう。
しかし、アークではこれより爛れた生活を送っていたのだから、そう気にすることでもないのかもしれない。ここがアークの俺の屋敷なら、今からまたおっ始めるくらいには性春を謳歌していただろう。
まあ、日本に帰ってきたのだから、少しはこういった生活スタイルも見直すべきか。
色んな液体でどろどろになった身体を風呂で洗い流している時は、そんな風に考えていた。しかし、風呂から上がり何か食べようとキッチンを漁っている時、唐突に思い至った。
別に日本へ戻って来たからといって、今更規則正しい生活へ戻す理由が無いのだ。ゾンビが表を堂々と闊歩するこのような現状では、学校へ行く必要も無く、会社に出勤する必要も無いのだから。
「なら清く楽しく気持ち良く、若かりし頃にし損ねた性春を取り戻すべきだよな」
手始めにアダルトショップを探すのもいいかもしれない。ことエロ方面に関しては、日本の力の入れ具合は世界でも群を抜いている。テュールに『made in japan』を味わってもらうのも悪くない。
これは楽しみが増えたな。
「とーまぁ……」
お湯を入れたカップ麺が出来上がるのを待っているところに、起き抜けのテュールが全裸で顔を出した。見事にこちらもどろどろだ。
「先に身体、洗ってこいよ」
「うむ……そうするのじゃ……」
「飯は?」
俺の質問に、テュールは少し頬を赤らめ下腹部を撫でる。
「今は……お腹いっぱいなのじゃ」
「この家、結構な数のカップ麺が常備してあったけど?」
「……………食べるのじゃ」
暫しの葛藤が見られたが、食欲に軍配が上がったらしい。足早に浴室に向かうテュールを見送る。自分のカップ麺が出来上がるのを待つ間に、もう一つ用意しておくとしよう。
「うにゃーーーーーっ!!」
家中にテュールの断末魔の如き、絶叫が響いた。そういえば風呂の使い方、まだ説明してなかったな。恐らく頭から水でも被ったのだろう。
「仕方がない、か」
この際、麺が伸びることには目を瞑ろう。テュールが風邪でも引いたら大変だ、主に俺の下半身が。
「……急ぐか」
テュールの待つ風呂場へ向かった。
「これは白くて太いのぉ」
「ラーメンじゃなくて、うどんだからな」
「うむ。これはこれで、なかなか良いのじゃ」
元魔王はうどんも気に入ったらしい。渡した時はあんなに怒った癖に、何とも単純な。うどんだと気づきながらお湯を注いだ俺も俺だが、だからといってペニスを握り潰すと脅しをかける程ではないだろう。
……まだ我が息子が小さく震えているではないか。
「ところでとーま」
「何だ? 赤い粉は辛いからやめとけよ」
「違うのじゃ。今日はこれからどうするのじゃ?」
今日をどうするか、それこそやることは多々ある。いつ止まるか分からないライフラインの確保は必須。灼熱や極寒の中での組んず解れつ、それはそれで趣はあるが毎日は御免だ。
次に食糧の確保。腹が減っては戦は出来ぬと言うからな。もちろん、ベッド上での男女間での戦いだ。
と、冗談はさておき。残るは当然……。
「生存者の確認、だな」
「ほぉ、とーまにしては殊勝なことじゃな。さすが元とは言え勇者じゃ」
「ああ、女の生存確認は急務だ」
「…………どうせ、そんなことじゃろうと思うたわ」
野郎を助ける義理は無い。俺に、今更まともな価値観など求める方が間違っている。そんなもの、アークでの十年間の生活で綺麗さっぱり崩壊した。多感な時期に異世界へ呼ばれ、日々命のやり取りをさせられた元勇者に、倫理だの何だのは馬の耳に念仏だ。
所詮、勇者なんてものは気に食わない相手を黙らせる、ただの殺戮兵器なのだから。つまるところ、全て人間側のエゴを押し付けた価値観でしかないのだ。魔物達からしたら、俺が魔王でテュールが勇者である。
「そう考えると、俺とテュールが一緒にいるのも必然か。似た者同士?」
「何の話じゃ?」
「いや、こっちの話」
しかし、そう考えれば考える程、急いでしなければならないことは見当たらない。日本がゾンビだらけでおかしい理由も多少興味はあるが、いくらゾンビがいたところで、今の俺には問題は無い。なら、片手間で十分だろう。
「今日は散策がてら、夜の散歩と洒落込むか」
「ほほぅ、それはでーと? とか言うやつかの」
「ま、そうなるな。ただ、俺もここがどこか分からないからデートコースは適当で」
「クヒヒ、それもまた一興じゃ」
嬉しそうに笑うテュールの手を取り、俺は暗くなり始めた外へエスコートする。少し欠けた月が昇る、雲がまばらに散った夕闇の世界。いざ、ゾンビの徘徊する街へ。
「うあ゛ああぅ……あ゛あぁ……」
「テュール、そっち行ったぞ」
「うむ、任せるのじゃ!」
応えたテュールは倒れたゾンビの足を掴むと、他のゾンビ目掛けてぶん投げる。ナイトデートに出掛けたはずが、どこをどう間違えたのかナイトバトルになっていた。
ことの始まりは、ふらっと寄ったドラッグストアでのこと。ぷらぷら街中を歩き、大抵のゾンビは面倒臭いので迂回し、あまりにも無粋なゾンビには退場してもらっていた。
そんな折に見つけたドラッグストア。
店先に並ぶ商品にテュールが興味を持ったので、店内も見て回ることになった。昨今のドラッグストアは何でも屋かと思う程、大抵の物は置いてあった。
そこでテュールは見つけてしまった。宝の山──カップ麺の陳列棚を。
「ととと、とーま! 見よ、カプメンがこんなにあるのじゃ! 妾が全て食べきるのに、どれくらい掛かるかの!?」
「全部食べる気かよ……。へぇ、十年も経てば俺の知らない味も結構あるな」
スイーツラーメンなる、謎ジャンルまである。ティラミス、チョコ、マロン味と、怖いもの見たさで興味はそそられるが……これが現代の企業の戦略なのだろうか。
「で、テュール。……何をしてるんだ」
スイーツラーメンに気を取られて目を離した隙に、テュールが大量のカップ麺を抱えていた。欲張り過ぎたのか、前が見えない程抱えている。
「とーま、妾は此奴らを連れて帰りたいのじゃ」
「……そんなにいっぺんに持って帰れないだろ。元の場所に返してこい」
「嫌なのじゃ! 連れて帰るのじゃ!」
俺は、カップ麺の話をしているはずだ。なのにどうして、拾ってきた犬の話をしている気がするのだろう。
「分かったから……拗ねるなって。抱えたままじゃ大変だから、入れる物を先に探しに行かないとな」
「そうしたら、此奴らを連れて帰って良いのじゃな!?」
「ああ、だからいったんそのカップ麺はここに入れとけ」
「うむ、分かったのじゃ」
渡した買い物カゴにテュールがカップ麺を移している間、俺はレジに置いてあった周辺地図を手に取った。その中で、ちょうど次に向かうのに良さそうな大型ショッピングモールを見つけた。幸い距離も、魔力で強化して走ればそれ程時間は掛からない位置にあるようだ。
ここなら、カップ麺を入れるための大きなリュックやバッグを探すにはうってつけだ。これからも必要になるだろうし、ついでに俺の分も探すとしよう。
地図を頼りにショッピングモールへ着いて早々、正面出入口の自動ドアと遊んでいるゾンビに出会った。開閉する音に引き寄せられたのか知らないが、その男ゾンビをバールで屠り、俺達は目的の店を探し始めた。
アウトドア用のリュックも考えたが、別に片手さえ空いていればゾンビの相手は出来る。そうなると、ドラム型のスポーツバッグか、旅行用のボストンバッグ、その辺りでいいだろう。
入ってすぐにあった案内板で店の場所を確認する。このショッピングモールは二階建てと階数は少ないが、その分かなり横に広い造りのようだ。俺達が今いるのは、中央からやや東寄りの位置だ。
「となるとまずは……二階の旅行用品店か」
「とーま、早う行くのじゃ!」
「おい、もう少し静かにしろって」
広い施設なだけあり、それなりにゾンビも多いのだ。だが、いくら広いとはいっても、こんな閉鎖空間で大量のゾンビの相手はしたくない。逃げようにもすぐ囲まれるだろうし、かといって殲滅も面倒だ。見つからないに越したことはない。
なるべくゾンビを回避し、どうしてもそれが無理な場合は静かに、速やかに消す。気分は暗殺者だ。
そうして、ようやくお目当ての店舗に辿り着いた。
「ほら、テュールも好きなの選べ。カップ麺達を入れるやつだぞ」
「おぉ、この中からじゃな。沢山入る物を選ぶかの」
気合いを入れたテュールが陳列品へ向かって行った。俺も自分用に選ぶとしよう。
旅行用のバッグは比較的大きい物が多い。ボストンバッグにしても、テュールくらいなら簡単に入りそうだ。だが、これだという程の物が無い。ここで妥協すべきか、他の店舗も見に行くべきか。
「とーま、妾はこれに決めたのじゃ!」
視線を移せば、そこには白くて大きなキャスター付きのスーツケースを携えたテュールがいた。確かに、沢山カップ麺が入ることだろう。だがそれにしても……。
「でかいな」
「うむ、これなら多く連れ帰れるのじゃ。それにの、ほれ」
テュールは得意気にスーツケースを持ち上げると、ハンマーのように振り回して見せた。スーツケースは頑丈に作られている。だが製作者も、さすがに武器としての用途は想定していないだろう。
「カプメンも運べてゾンビも屠れる優れものじゃ」
「……テュールが気に入ったんなら、良いんじゃないか?」
「うむ」
「俺は違う物も見てみたいから、店を変えよう」
次に向かったのは、同じ階にある大型のスポーツ用品店。ここは見るからにかなりの数が揃っているので、気に入る物が見つかるかもしれない。
誰もいない店内は、流れているBGMがやけに大きく聞こえる。
「これも、微妙だな」
拘るつもりなどなかったのだが、ここまで来ると逆に妥協するのも何か違う。かといって、テュールを待たせるのもな。
「ん? ……おっ!」
見つけた、ついに出会った。これぞ俺の求めていた物。片手持ち、背負い、肩掛け、その全てが揃った大容量ダッフルバッグ。まさか候補から外していたアウトドア用品で見つかるとは、なんて因果なことだろう。
俺は見つけたダッフルバッグへと手を伸ばし、途中でバッグ一つ分横へとスライドさせた。
「危ない、何を血迷ってるんだ俺は」
危うく、最大サイズの内容量百数十リットルの物を手に取り掛けた。だがよく考えなくとも、今はそんなバカみたいに大きい物はいらないではないか。拘り過ぎた挙げ句、とんでもない方向へいくところだった。この半分くらいの物で事足りるだろう。
「とーまも決まったようじゃな」
「ああ、決まった。ところで、テュールは何してたんだ?」
「なに、ここは面白い物が多くての。色々見て回ってたのじゃ」
「ゾンビに会っ……ても別に問題無いか。迷子にはなるなよ」
「おい、妾は子どもではないのじゃぞ」
バッグも決まり、ついでにと下着や服を拝借する。だがここはスポーツ用品店、テュールサイズのブラはさすがに厳しい。今のところ俺しかいないから、当分はノーブラでも良いか。その方が目の保養にも良い。
少し膨らんだバッグを背負い、帰ろうと店を出た時、事件は起きた。
──ビーブービーブー
「なななな、なんじゃっ!?」
もう俺は、何も言うまい。店を出た瞬間、テュールのスーツケース内から鳴り響く幾重ものブザー音。盗難防止の物だ。いったい何をいくつ取ってきたのか、凄まじい大合唱となっている。
「と、ととと、とーま!!」
すがるような目で見つめてくるテュールに、俺はため息を零しながら、スーツケースから取り出した防犯ブザーを床にぶち撒け踏み潰していく。
ただ、これだけ騒いだのだ。警備員ならぬゾンビ達が、大挙してやって来るのは時間の問題だった。
そして、現在へと至る訳だ。
「テュール、そのスーツケースは使わないのか?」
「うむ、妾は考えたのじゃ! カプメンを入れる物でゾンビ共を叩けば、食べる気が起きぬ!」
確かにそうだろう、理解は出来る。アークにいたゾンビとは違い、ここのゾンビはあまり腐敗して無いとはいえ、叩けば血は付くし肉片も付く。何よりゾンビはゾンビ、つまるところ死体なのだ。それを食品も入れたりする物で殺るのは、確かに気が引ける。だが、俺は言いたい──。
「やってられるか」
折り重なっていくゾンビだったモノ達。だが、屠れど潰せど、次から次に新たなゾンビがやって来る。まったくもって切りがない作業だ。
「テュール、真面目にやれよ」
テュールの戦いを見ていれば、殴る蹴るはしているものの全て致命打に至っていない。それは、追い払うといった行為だ。痛覚の無いゾンビ共は吹き飛ばされはすれども、すぐに何事も無かったかのように立ち上がりまた向かってくる。
「しかしな、とーまよ。あまりやり過ぎると汚れるのじゃ」
「だからって、このままじゃ埒が明かないぞ」
「そうなのじゃが……妾にバールを貸してくれんかの?」
「俺も汚れたくはないからな」
そう言いながら、俺はバールでゾンビを薙ぎ払う。魔力で肉体を強化しているので、その一振りで五匹のゾンビの頭部が身体と別れを告げる。聖剣ならもっと簡単なのだが、これはバールだ。優秀なバールだな。
「とーまだけ狡いのじゃ!」
「ならテュールもほら、爪とか伸ばしたり出来ただろ」
「結局それも妾が汚れるであろう!」
我が儘ばかりだ、まったく。目の前に迫ったゾンビの胴を横薙ぎに払い、力任せに切断。返すバールで頭部を破壊。頭部を潰しとかないと、上半身だけで這ってくる。
「俺も汚れたくないから、このバールを渡したくない。そこは譲らないぞ」
「む? いや、そうではない」
「じゃあ何だ?」
「……とーま、もう一本くらい、それを出せんのかの?」
「はっ、まさか」
つい鼻で笑ってしまった。簡単に言ってくれるが、バールとはいえ元は聖剣だ。
そう易々と……易々と………。
「……ほれ、出たのじゃ」
二刀流ならぬ、二バー流か。やる俺も俺だが、二本出るバールもバールだな。何なんだお前は、とても優秀な奴だな。しっかり無詠唱でも現れるなんて、この野郎。
試しているのをバレたくなくて無詠唱にしたのだが、出てしまっては言い訳も出来ないだろう。
横で勝ち誇った笑みを浮かべるテュールが、何とも腹立たしい。これは帰ったらお仕置きが必要だ。誰のせいで、今こうなっているのか。
「……ほら」
「うむ、さすがとーまじゃ。これで妾も存分に……」
「何だ? また何か変なこと思い付いたのか」
「うむ、そうじゃの……。のぅとーま、バールはまだ出せるかの」
「…………出るな」
バールよ……いや、バールさんよ。お前はどこに向かう気なのだ。
「であるか! ならば、とーまはじゃんじゃんバールを出すのじゃ。それを妾によこせ」
「いったい何をす──」
「こう、するのじゃっ!!」
テュールは振りかぶり、ゾンビ目掛けてバールをぶん投げた。ぶん投げられたバールは唸りを上げながら回転し、凄まじい速度で、さながら丸鋸の刃が如くゾンビを切断していく。なんという荒業なのだろう。
「クヒヒヒ……ほれ、とーま。次なのじゃ」
「あ、ああ、ほら」
催促するテュールの手に、バールを渡す。それがぶん投げられ、またもゾンビを蹂躙する。もはや、これは戦闘ではない。テュールによる的当てゲームだ。
いったい、バールはいくつまで出るのだろうか。俺はすでに数えるのをやめている。嬉々としてバールを投げるテュールの横で、俺はバールを出して渡すだけになっていた。
そして、それもついに……。
「これで、終いじゃっ!」
最後に残っていたゾンビの首が、テュールの投げたバールによって掻き切られ宙に飛んだ。これで、このフロアにいた、見える範囲全てのゾンビが沈黙した。
日本に帰ってきて初となる、腰を据えての戦闘を終えた俺の目の前には、何の因果かアークで見慣れた光景がこのショッピングモールのワンフロアに再現されていた。
血みどろの中に立っている、元勇者の俺と元魔王のテュール。今この瞬間だけを切り抜けば、見ようによってはまるで最終局面のような絵面だろう。
「お疲れさん」
「クヒヒヒ、久々に血が滾ったのじゃ」
舌舐めずりしながら微笑むテュール。荒れ果てた赤に染まる背景に、金髪赤目の妖艶な美女。見せた笑みは見惚れる程美しくあるが……やはり、その本質は元魔王だ。それを美しいモノとして受け入れられる俺もまた、どこか狂っているのだろうか。
「また盛大に暴れたな……服、ちょっと血が付いてるぞ」
「む、これしき魔法で……は、出来ぬのじゃったな」
「帰ったら洗濯だ」
「……家事は苦手なのじゃ」
荷物を持ち、俺達は何事も無かったかのようにその場をあとにする。
「そういえばテュール。ここにも確か、大きめの食品売り場があるぞ?」
「なんじゃと! カプメンは、カプメンも置いておるのか!?」
「恐らくだが、ドラッグストアよりも品揃えは良いんじゃないか?」
「っ!? は、早う案内するのじゃ!」
引き摺られるように腕を引かれながら、俺はテュールの後を追う。
食品売り場は一階。その道中には、当然集まって来なかったゾンビと出会うのだが、その悉くが、テンションの上がったテュールに一蹴される結果となった。
しかし、無駄に張り切るテュールが出す音で、思っていたより多くのゾンビを相手取ることになってしまった。……まあ次回がもしあるなら、その時が楽になったと思うようにしよう。
「クヒヒヒヒヒ」
スーツケースいっぱいにカップ麺を詰め込み、ご満悦のテュール。今にも頬擦りしそうな勢いだ。この姿を見て、誰が元魔王だと思うだろう。いや、吸血鬼だとも分かるまい。今の姿は完全にただのカップ麺好き、カプラーだ。
入ってきた時と同じ自動ドアを潜り外へ出る。夏が近いのか、冷房の効いた場所から出た時特有の、少しむわっとした空気が出迎えた。今はまだ暗い夜空だが、あと数時間もすればそれも白みを帯びてくるだろう。
「とーま、バールじゃ」
「ん?」
別のお迎えもいたようだ。夜空を見上げていた顔を正面へと戻すと、なるほど、確かに新手なのだろう。街灯
の真下、そこにゾンビが一人佇み、こちらを見ている。
「とーま、早うバールを」
「なぁテュール」
「…………なんじゃ」
あまり長い付き合いとは言えないが、恐らく全世界で一番俺のことを分かっているのはテュールだろう。すでに、俺が次に何を言い出すのかも分かっているようで、呆れたように肩を落とした。
「あの子、連れて帰ろう」
「……とーま、お主ならそう言うと思ったわ」
テュールは手で顔を覆いながらも、否定の言葉は出てこない。もうこれは、了承と取っていいだろう。
俺はバッグから、こんなこともあろうかと詰めておいたガムテープと登山用のロープを取り出した。
「……準備も良いのじゃな」
否定はしない。用意を終えた俺は獲物へと身構える。
少し茶色掛かったショートボブに、膝丈より短めのスカート。そして白に映える胸元のチェックの赤いリボン。これは今日一日頑張った俺へのご褒美だろうか。
「女子校生万歳っ!」
「………まったく」
テュールの呟きを置き去りに、俺は女子校生ゾンビへと踊り掛かった。
絶対に、この期を逃がしてなるものか。
「ぐがあ゛あぁあぁ……」
大きく口を開き、俺を掴まんと目いっぱい伸ばされる腕。その必死ぶりを見るに、よほど俺が恋しいらしい。だが、それは俺も同じことだ。
伸ばされた手を掻い潜り、足を払う。転倒して下手に怪我をさせぬよう、伸ばされていた手を掴み地面へそっとエスコートする。
転倒した衝撃を完全に殺すと、すぐさま女子校生ゾンビの腹の上へ乗り、マウントポジションを奪う。
ここまでくれば捕らえたも同然だ。
手首をガムテープで縛り上げ、振り返って今度は脚をロープで縛る。暴れる脚を押さえ込む際、スカートが捲れ上がり、淡いエメラルドグリーンのパンツが丸見えに…………。
「あ゛あぁうあ゛ぁ!」
「うおっ!?」
凝視していると、女子校生ゾンビの縛られた両手がまるで抗議するかのように、俺の背中へ何度も叩き付けられた。痛くは無いのだが、パンツに集中していたせいで少し驚いた。
気を取り直し仕上げに掛かろう。脚を縛ったロープを、女子校生ゾンビにどんどん巻き付けていく。最後は余ったロープを大きく開いた口へと噛ませ、頭の後ろで縛る。
「……見事な早業じゃの」
呆れた声が聞こえた方に顔を向けると、いつのまにか俺のバッグを持ったテュールが側に立っていた。そして突き刺さる、残念なモノを見る目。だがこれくらいの視線に負けているようでは、俺はアークでの最後の数週間をあれ程楽しんで過ごせてはいないだろう。
「俺が本気なら、亀甲縛りも余裕だ」
「……だろうの」
「さて、テュールはカップ麺を手に入れ、俺は女子校生ゾンビを手に入れた」
「上々じゃの」
「ああ、だから早く帰ろう」
「お主は欲望に忠実じゃな!」
俺はそれに笑みで答え、女子校生ゾンビを肩へと担ぐ。しかしそこで、俺は気づいた。もう片方の手でバッグを持つと、両手が塞がってしまうことに。かといって、バッグを肩に掛けたり、背負ったりするとどうにも走りづらい。俺は呼び出したバールをテュールに差し出す。
「テュール、道中は頼んだ」
「お主は……。其奴を置いていく、という選択肢は無いのか」
「それなら俺はバッグを置いていく」
「まったく……。クヒヒヒ、これだからとーまは」
言いながら、テュールはバールを受け取る。
「ふむ、任せよ。道中のゾンビは皆、妾が屠ってくれるわ」
そしてテュールは有言実行。借宿に帰るまでに出会うゾンビを、いとも容易く全て動かぬ屍へと変えた。
「なかなかのデートであったの」
家に着き、テュールが今夜の戦利品を取り出しながら言う。色々思うところはあったが、確かに良い散歩だった。女子校生ゾンビをダイニングテーブルへ上手く縛り終えた俺は、その足で玄関へと向かう。
「どうしたのじゃとーま?」
「ああ、忘れ物したからちょっと出てくる」
「ふむ、要らぬ心配じゃが気を付けるのじゃぞ」
「大丈夫、すぐ戻る」
確かに、今の俺に心配は不要だろう。元勇者としての血が滾っているのだから。
俺はしっかりと地図を握り締め、今にも明けそうな夜の闇へと再び繰り出した。