カバー

「二〇〇〇円でヤらせろよ」
その日、ぼくは初めて喋ったクラスメイトに貞操を売ることにした。

高校3年生の梅雨の日の放課後。御影悠希は喋ったこともないクラスメイト・新城馨から二〇〇〇円で貞操を買われることになった。とある事情からお金が必要だった御影は、深く考えずに彼女の誘いに乗ってしまう。新城の行動をきっかけに、御影を狙う女子たちの欲望が絡み合い、後戻りのできない深みにハマっていく――。

書籍化に伴い読みやすく大幅改稿!
書き下ろしに「天使なぼくと、爆発物な彼女たち」も収録。

  • 著者:ピジョン
  • イラスト:さめまんま
  • 本体価格:1,200円+税
  • ISBN:978-4-8155-6501-5
  • 発売日:2017/11/30
口絵

タイトルをクリックで展開

「おい、御影悠希」

 新城馨は、つり目で目つきが悪く、態度も悪い。いつも苛ついていて、ところ構わず唾を吐く。暴力的で喧嘩っ早い彼女は、クラスの皆の鼻つまみ者。

 成績は良くない方。制服は少し着崩している感じで、ブラウスのボタンは胸元まで開いている。踝まで届く長めのスカートを履いていて、短めの茶色に染めた髪は、うっすら浮かんだ汗で首筋に張りついている。

 だから、放課後の教室で彼女と二人きりになったとき、

 ──ぼく、終わったかも。

 なんて考えた。

「二〇〇〇円でヤらせろよ」

 それが、彼女のぼくに対する第一声だった。

 驚きで言葉も出ず、頭の中は疑問符で一杯だった。

 何故、ぼく? 二〇〇〇円? よく分からないけど、二〇〇〇円あれば助かる。六二〇円の照り焼きバーガーのセットを、三回食べてもお釣りが出る。

「で、どうなんだ?」

 身長一五〇センチのぼくを見下ろし、彼女は苛つきを隠さない。ブレザーのポケットに手を突っ込み、小さく舌打ちした。

 ぼくは少し考えて、言った。

「いいよ」

 梅雨入りしたばかりのモノトーンの空は今にも泣き出しそうで、この決断を嘆いているように見えた。

 ぼくが童貞を投げ売りした瞬間だった。

「……」

 彼女は少し目を泳がせて、在らぬ方向を見つめて呟いた。

「こんな気持ち、初めてでよく分かんない……合ってるか?」

「……? ごめんなさい。よく分かんない」

「アタシも。まぁ、いいや」

 彼女は険しい表情で首を振った。

 そのあとはついてこいというように顎をしゃくって示し、歩き始めた彼女の背中を追って教室を出た。

 普通に歩く彼女。何も考えずそのあとに続くぼく。

 身長差のせいか歩幅がぜんぜん違う。あっという間に引き離された。

 遅れたことを怒るかと思ったけど、彼女は苛ついた様子は見せず、通路の先で待っていてくれた。

「ありがと、新城さん」

 再び歩き出そうとした彼女は立ち止まり、ぼくを振り返る。何故か不服そうな表情をしていた。眉を下げ、少しだけ悲しそうに言った。

「呼び捨てでいいよ」

「……?」

「名前」

「ああ……」

 ほぼ初対面の相手に何を言っているんだろう。とりあえずぼくは頷いて、彼女に先を促す。

「分かった。行こ、新城」

「って、上の方か……」

 新城はそれの何が気に入らないのか、唇を尖らせている。先導してくれないと、どこに行くのか分からない。

「どうしたの、新城」

「呼び方」

「SHINJO?」

 ガクッと新城の肩が落ちた。右の眉がつり上がる。

「ざけんな」

SHINJOYしんじょい?」

 新城は怒ったようだ。苦笑いしながら拳骨を振り上げ──。

 殴られるのは慣れている。ぼくは、ぼんやりとその拳骨を見つめた。

 新城は、ぎくりとして握り拳を引っ込めた。

「い、今のなし。なしの方向で……」

「……そう? 殴ったらすっきりするのに」

 新城は軽く唇を噛み締め、無言だった。暫く見つめ合った。

「行こ、新城」 

「呼び方……」

「そんな仲良く、ないよね」

 新城は、何て言うか不思議な表情をしていた。困ったように眉を八の字にして、大きい身体がいつもより小さく見えた。

 日中はいつも気分悪そうな、顰めっ面の新城らしくなかった。

「オマエ、アタシが怖くないんかよ」

 ぼくはまた少し考えた。彼女がぼくに何を期待しているのか分からない。試しに本音を言ってみる。

「……ちょっぴり怖い。でも、ちょっぴり可愛い」

 新城は下唇を突き出して不満そうにしていたが、満更でもなさそうに頬を緩めた。

 ──あ、笑った……。

「アタシは客だからな。そのつもりで優しくしろよな」

 そのあとの新城は、つんとすました表情で、振り返らずに歩いた。

 彼女は校舎を出て、グラウンドを横切り、フェンス裏の部室棟の方に歩いていく。

 ぼくもそのあとに続いた。

 新城がやってきたのは、屋外にある運動部の部室だった。金属製のドアには『陸上部』と書かれたプレートが斜めになって張りついている。

「ここ」

 そう言って、新城がドアを開くと、部室の中からむわっと煙草臭い空気と柄の悪そうな笑い声が漏れ出す。

 陸上部は三年前、過剰なしごきが原因で死人が出た。その後、組織ぐるみのイジメが発覚し、半年間の活動停止のあと、廃部になった。以降、部室はヤンキーの溜まり場になっている、らしい。ぼくが入学する前のことだから、それ以上のことは知らない。

 煙草の匂いに辟易する。臭い。なんであんなものを吸っているのか分からない。

「行くぞ」

 新城に背中を押され、部室に入った。部室の中には六人の生徒がたむろしていた。

 女四人。男二人。煙草を吸いながら歓談していて、ぼくの姿に少し驚いたように此方を見たものの、反応はその程度だった。

 どうやら新城はここの常連のようだ。他の連中に変わった様子はない。

 新城は部室奥のドア前に座ってスマホを弄る女子たちに声を掛けた。

「奥、空いてる?」

「あー、使ってるわ」

 答えたのは女子生徒の一人だ。新城ともそれなりの関係なのか、口調は砕けた感じだ。

「そ、じゃ待つわ」

 部室は小さいながらも二つの間取りがある。新城は奥の一室で致すつもりでいるようだ。

「え、御影……?」

 ふと名前を呼ばれ、そちらに向き直る。

「あ、シュウ」

 そこにいたのは女子剣道部の秋月蛍。クラスでは真面目な方で、こんな場所にはそぐわない、意外な顔だった。シュウは結構良いヤツで、ぼくにも気さくに話し掛けてきてくれる。因みに、『シュウ』はぼくが付けた渾名だ。秋月の『秋』の字の読みを替えただけ。

「シュウ?」

 ひくっと新城の眉が動いた。

 シュウはぼくと新城の交互に視線を向けて、露骨に目を泳がせた。

「え、なんで御影、新城? 奥……?」

 そして自分の手に目を向けると、シュウは慌てて持っていた煙草を放り投げた。隠さなくてもいいのに。

 優等生の彼女の喫煙姿には少し驚いたけど、人なんてそんなものだ。どこかに秘密がある。

 新城が眉を寄せてぼくの顔を覗き込んだ。

「仲、良いんだ」

「まぁまぁかな」

 曖昧に答えて、ぼくは部屋の隅にある長椅子に腰掛けると、新城も隣に腰掛ける。新城は、ぴったりとくっついて座り、ぼくの肩に手を回してきた。

「な、な……なんで御影が!?」

 そんなぼくらを見て、シュウは動揺して、ぼくと新城を見比べた。

「なに?」

 新城はぼくの頬を指でつつきながら、シュウを煽るように鼻で笑った。

「……! 御影、なんで新城なんかと一緒なの!」

 シュウも新城に負けないくらい背が高い。すっ、と席を立ち上がり興奮して言った。

 その声は、少し悲鳴にも近かったと思う。

「奥使うって、意味知ってんの!?」

「……知ってる、と思うけど……」

 何が面白いのか、新城がくつくつと笑いながら、ぼくの後ろ髪を指で擽る。ちょっと鬱陶しい。

 シュウの眉がつり上がった。

「ここは御影が来ていいところじゃない」

「……シュウならいいの?」

「……っ!」

 成り行きを見ていた五人が、プッと噴き出した。それを見た新城が嘲笑うように言った。

「はい、論破」

「喧しいっ!」

 シュウは納得できないというように、何度も首を振った。

「なんなの! 御影は新城とどういう関係なの!!」

 その瞬間、今度は新城が動揺し始めた。シュウから視線を逸らし、言葉を探すように口を噤んだ。

 シュウが何に憤っているのか、訳が分からない。

 口数の減った新城の様子に、勢いづいたシュウが益々いきり立つ。

「二人はろくに口をきいたこともないよね、どうなの!」

挿絵1

 なんでぼくがシュウに怒られなきゃならないんだ。だから、言った。

「新城とは、一回二〇〇〇円の関係だよ」

 シュウは口を半開きにして、虚ろな目つきになった。

 このときのシュウの顔を、ぼくは一生忘れないだろう。

「に、にせんえん……?」

 これに反応したのは、他のヤンキー五人だ。手を打って大爆笑した。

「だっは! 新城鬼畜!!」

「にせんて……」

「安!!」

「新城って御影みたいなちびっこが趣味なの」

「まぁオナニーに金使うと思えば」

 口々に感想を言って、五人は抱腹絶倒の勢いで笑った。笑っていないのは、ぼく以外にはシュウと新城だけだ。

「……るせえな」

 新城は苛ついたのか、ぺっと唾を吐き捨てた。

 シュウが、ぽつりと呟いた。

「……淫売」

「うん」

 ぼくを見つめるシュウの瞳はつや消しの黒で、何の光も映していなかった。

 蔑みと、嫌悪。それだけ。

 奥の部屋の扉が開いた。

 中から真っ赤な顔の女子生徒と、やたらスッキリした感じの男子生徒が出てきた。

「いや、おまたせ~」

 自分のしていることは理解しているつもり。次はぼくの番だ。

「行くよ、新城」

「あ、うん。えへへ……」

 頭の悪い新城は、照れ臭そうな笑顔だ。

 奥の部屋から出てきたとき、ぼくはビッチになる。

 お金が、欲しいんだ。


 この日、ぼくはビッチになって、学校の帰りに照り焼きバーガーのセットを食べた。

 新城に二〇〇〇円で童貞を売ってから、一ヶ月が経った。

 あれから新城は毎日ぼくを買うし、相変わらずぼくはビッチだ。

 この日の授業中、新城からの手紙が回ってきた。

『サービスとか真剣に考えてほしい。そろそろ財布がピンチなんだよ』

 ぼくはその手紙をビリビリに破り捨てた。最近の新城はこんなことばっかりだ。しょっちゅう手紙を回してきて、やれたまにはサービスしろ、割引しろと鬱陶しい。

 後ろの席の国崎君が、ぐりぐりとぼくの背中を指でつついた。

 それから、ぽんと手紙が投げ込まれる。一応、中を見る。

『新城に、もう手紙回すなって言ってくれ』

 無理。だって馬鹿だもん。

 国崎くんの溜め息と同時に終業のチャイムが鳴って、休み時間になった。

 次の授業の準備をしていると、すかさず新城がやってきた。ぼくの背中に抱き着いて、

「御影、本当に割引ないのかよ」

 本当に新城はしつこい。

「新城、教室ではその話はしないでって言ってあるよね」

「けど、アタシはお得意様だよね」

 もう新城はうるさいやらしい。

 仕方なく、授業中に妥協案を書いた手紙を押しつけた。

『手と口だけなら一五〇〇円、キスなしなら一〇〇〇円 』

 因みに、新城はすごいキス魔だ。

 致す最中、新城は最低一〇〇回はキスする。もちろん舌を入れてくるし、唾液だって飲ませてくる。

 この一ヶ月で、ぼくはキスが死ぬほどイヤになった。

 嫌がらせもあるけど、キスなしの方を安く見積もったのはそういう理由だ。どっちにしても安いけど、男の貞操価値なんてそんなもんでいい。女の子みたく大事にすれば価値が上がるなんてもんじゃない。新城はそこら辺の感覚がおかしくて、ぼくに金を払っている。

 ぼくは貧乏だから、おかしい新城から金を巻き上げている。

 この一ヶ月で一〇万円くらい稼いだ。ぼくも新城も大したもんだと思う。

 新城は席に戻って、頭を抱えて唸っている。茶色の髪をもみくちゃにして、ぶつぶつ呟いていた。

 この一ヶ月で、新城は変わった。

 顰めっ面をしていることは少なくなり、代わりにちょっとだけ笑うようになった。口数も多くなり、愛嬌みたいなものも見せるようになった。どんな心境の変化があったのか分からないけれど、ひと昔前のヤンキーみたいなスカート丈も改め、今は普通のスカートを履いている。クラスの評判も悪くない。

 まぁ、新城とは毎日のように致している。一日で三回なんて日もあるから、新城にはストレスなんてないだろう。


 放課後。ニヤニヤといやらしい笑顔を浮かべた新城が、帰ろうとしていたぼくの所へやってきた。

「これなんか分かるか?」

 そう言って新城が見せびらかしにきたのは、素っ気ない白い便箋。宛名に新城馨さんへ、とある。無骨な男文字。自慢げな様子から察するに……ラブレターだ。

 今更、新城がそんなものをぼくによこすとも思えないから、誰か他の男子が新城に渡したものだろう。

 これには、ぼくもビックリした。まぁ、新城は頭は悪いし態度も素行も良くないけど、黙って愛想良く笑っていればそれなりに整った顔をしているから、可愛く見える。

 どや顔の新城が激しくウザい。

「これでもう、御影は用済みだな」

「おめでとう、新城」

「え……?」

 キョトンとする新城を置いて、ぼくは席を立ち上がった。

 新城はいやらして汚くてウザいけど、お得意様だった。これは楽してそれなりに稼げる良い商売だから、新しいお得意様が必要だ。

 教室から出ようとしたところで、追い駆けてきた新城が立ちはだかる。

「え、アタシが他のヤツと付き合っていいの?」

「もちろん。ああ、新城とのことは黙ってるから安心していいよ。お得意様だもんね。今までありがとう。お幸せに」

 しかしどうやって顔を売ったものか。この可能性を全く考慮してなかったぼくの手落ちだ。

 新城は、何故かビックリしている。でかい図体で邪魔くさい。

「えっと……あれ? おかしいな……そ、それじゃ今までのことって、あれ?」

「さよなら、新城」

 ボーっと突っ立ったままの新城の脇をすり抜け、廊下を歩く。新たな顧客を掴む為に、ぼくは営業しなきゃならない。新城と遊んでいる暇は微塵もないんだ。

 幸い、新城の後輩の何人かにアプローチを掛けられたことがある。といっても目を合わせたら赤らんだとか、ジュースを奢ってくれたとかその程度だけど。とりあえず、コナ掛けてみても損はないだろう。

 そんなことを考えていると、下駄箱まで追い駆けてきた新城に捕まった。

「ちょ、ちょっと待って、御影」

「……あ、そうだ。新城。代わりに買ってくれる女の子紹介してくれない?」

 そう言うと、新城の瞳孔が開いたような気がした。

「そ、それって……」

「うん、新しいお客さん」

「お客さん……」

 新城の目が光を失う。

「お客さん……って、アタシたち、良い感じだったじゃん……」

「そう感じてたのは新城だよね。まぁ、それがぼくの仕事だったし」

 どうせ新城は、彼氏彼女の関係になれば支払いをしなくて済むとでも思っているんだろう。

 最後だし、ぼくはハッキリ言った。

「新城みたいなクサマンの性格げろしゃぶ女と、ぼくが付き合うなんてあり得ないよ」

 新城が雷に打たれたみたいに震え、目を見開いたまま固まった。

 この一ヶ月で分かったことがある。

 新城は、ぼくを絶対殴らない。キスは嫌だと言ったときも、あそこが臭いと言ったときも、怒りはしたものの、腕力に訴えたことはない。

 要するに、新城は丸くなった。

「あそこ、ちゃんと洗ってるし……」

「あぁ、そうだったね。ごめんごめん。ぼく、新城としか経験ないから分からなくて」

「謝れ」

 謝ったよね、今。本当、新城はいやらしつこい。

「アタシも御影としか経験ないし」

「カマトトぶらないでよ」

「嘘じゃない!!」

 どうだっていい。デカイ声で注目を集めるのはやめてほしい。

 暴言を吐きまくるぼくだけど、言っていいときとヤバいときの差には注意している。

 ──唐突に、新城の目がギラリとナイフみたいに鋭くなる。

 ぼくは素直に頭を下げた。

「ごめんなさい。ぼくが悪かったです」

「……」

 新城は苛ついたように顎をしゃくって、それから唾を吐き捨てた。

 でも、ナイフの視線はぼくに向いてない。

 新城の視線を辿って顔を向ける。そこには──。

 袴姿にポニーテールのシュウが、三人ほどの後輩と連れ立ってやってくるところだった。

 シュウは眉間に皺を寄せ嫌悪を隠さず、ぼくを睨みつけてくる。

 シュウはこちらに視線を向けたまま、後輩に何か言っている。ぺこり、と頭を下げて周りの後輩たちは駆け足で去っていった。

 この一ヶ月で、一番変わったことがこれ。

 ぼくとシュウの関係。

「淫売……!」

「うん」

 ぼくは軽蔑されて仕方のないことをしている。それも、シュウと犬猿の仲の新城とだ。そこそこ仲の良かった彼女が怒りを感じるのは、なんとなく分かる。

 だから、ぼくは甘んじて受けとめる。

「お前には心底がっかりさ。多少はマシなヤツと思っていたのに……!」

 シュウの手が、ぼくの襟首に向かって伸びてきた。

 だが、その手が届く前に、新城が遮るようにぼくの前に立った。

「消えろ、ブス」

 ぼくをロックオンしたままだったシュウの黒目が、ぎろりと上にずれ、新城の方に向いた。

 因みにシュウはブスじゃない。切れ長で奥二重の瞳は冷たい印象があるけど、その分、凛としていて、とてつもない美人さんだ。

「なんだって? 聞こえなかったよ、低能」

「……へぇ、じゃあ側に来いよ」

 新城が、へらりと笑いながらポケットに手を突っ込む。

 ──新城のその様子に、ギクッとした。

 新城のヤツ、ポケットに何か隠し持っている。

「新城!!」

 ぼくは新城の腰に飛びついた。抱き締める要領でポケットに入れた手を押さえ込む。

「あ? あぁ?」

『刺す』ような殺気を放っていた新城だったけど、ぼくが抱き着くと困ったように眦を下げ、肩の力を抜いた。

「新城、分かった。分かったから、やめるんだ」

「でもよ、コイツ……御影を侮辱しやがって……」

 そう言いながら、新城は腰を左右に揺する。端から見れば拘束を解こうとしているように見えるかもしれないが、全然力を入れてない。すごく手加減している。

 本気になれば、ぼくの拘束なんか、あっという間に振りほどいてポケットの中の『それ』を使うことができる。やはり新城は丸くなった。

 抱き着いて離れないぼくに諦めたように、新城が舌打ちした。

「御影は淫売じゃない。謝れ」

 新城、おまえがそれを言うのか。

 シュウは、ふんと鼻を鳴らしただけだ。でも、その鼻が真っ赤だ。

「淫売……!」

「うん、ごめん」

「うらぎりもの……!」

「……?」

 それは意味が分からない。シュウがぼくを罵る声は震えていた。

 怒るというより、悲しそうで──。

 ぼくは、シュウから目を背けることができなかった。

 シュウは、泣いていたように思った。


 肩を怒らせて仁王立ちで睨みつけてくるシュウを残し、ぼくと新城は『奥の部屋』に向かった。下駄箱で新城とシュウがこじれたのは、ぼくが原因だ。新城にそのことをあとからねちねち言われるのも癪だから、今日の内に精算しておきたかった。

 放課後になってまだ早いお陰か、今日は一番乗りだ。

 奥の部屋は三畳ほどの座敷がある。他にはロッカーに座布団、ちゃぶ台と少人数で寛げるようになっている。

 ぼくは座布団を出し、そこに新城を座らせた。

 新城は少し頬を染めて、何だかご機嫌だった。

「御影って小さいけど、やっぱ男なのな」

 満更でもなさそうに言って、ぼくが抱き着いた腰の辺りをさする新城の口元はだらしなく緩んでいる。

「当たり前でしょ。それより新城。ポケットの中の物、全部出して」

「ん、いいよ……」

 新城は座布団の上で胡座をかいた姿勢のまま、ポケットの中身をちゃぶ台に並べた。

 タバコ、ライター、ブランドものの財布、それから──折りたたみナイフ。

 ──やっぱり持ってた。ぼくは折りたたみナイフを手に取った。

 刃渡り十二センチというところか。人を殺傷するには十分だ。尖った刃先を触りながら尋ねる。

「新城、これ、本気で使うつもりだったろ?」

「あ、あぶない……御影、返して……!」

 テンパる新城の様子に仕方なく、ナイフを返す。新城はそれを下に向け、やたら真面目な表情で柄を折るようにして刃先を閉じた。

「あのな、御影。このナイフって、すげえ危ないから、絶対自分に向けちゃダメだぞ?」

 真剣な目でぼくに諭す新城に、何だか疲れてしまった。

「その危ないのを持ち歩いてる新城に言われたくない」

「アタシはいいんだよ」

「いい訳ないだろ、バカ」

 ぼくは新城の琥珀の瞳を見つめる。

「そのナイフで刺すつもりだったのか?」

 これでも新城とはヤりまくった仲だ。本気か、そうじゃなかったかくらいは見れば分かる。

 新城はムッとして目を逸らした。

「だったら悪いんかよ」

「当たり前だろ。なに考えてんだ」

 そっぽを向く新城の頭を捕まえ、視線を合わせる。ややあって、ぽつぽつと話し出した。

「あいつ……秋月は、強いよ。たぶん、デタラメ……」

「だからナイフなの?」

 新城が視線を伏せた。

「アタシはさ、いいかげんなヤツさ。でも、譲れないものもある。負けたくないときだってあるんだ」

「でもナイフはダメだ」

「だから、あいつにはそれくらいやんないと通用しないって……」

「通用しないでいい。新城は女なんだからケンカなんてするもんじゃない」

 新城は本物のバカだけど、ぼくの為にそうするというなら、ぼくは本気でこれを止めなきゃならない。

「あのね、新城。ぼくは、新城を犯罪者にしたくない」

 ぼくが原因の刃傷沙汰なんて冗談じゃない。売りが学校にバレたらどうするんだ。クサマン新城め。

「わ、分かった……御影がそこまで言うなら、ナイフは持たない」

「うん、ならいい」

 ぼくは新城の頭を抱き寄せ、茶髪を撫でた。

「約束だよ」

「分かった。絶対」

 新城は瞬きもせず、じっとしていた。部屋の中に、暫く新城の髪を指で梳く乾いた音だけが流れた。

 それから新城は満足するように一回伸びをして、思い出したように、呟いた。

「アタシ、御影以外とは付き合わないから。今日は冷やかしてごめん」

「うん、分かった」

 まぁでも、ぼちぼちで新規開拓といきますか……。

 ぼんやりそう考えていると、ぼくの胸の中で新城が泣きそうな顔で言う。

「あの……今日は三〇〇円しか……」

「いいよ、タダで。ぼくも少し意地悪しすぎたし」

 本音を言えば、少し新城から巻き上げすぎた。犯罪に走る前にここらで躾をする必要がある。

 そんな心配をしなきゃならないくらいには、新城はぼくにハマってる。

 バイトでもさせるか。

 そんなことを考えた。


    ◇◇◇

 新城が、ぼくの上でゆっくり腰を振っている。

「当たってる……御影のが、欲しいところに当たってるよう……!」

 今日はタダだし、ぼくは動かずにいて天井の染みを数えたりなんかしてる。

 新城がいつものようにキスの雨を降らせてくる。だらだらと涎を溢すので、ぼくの顔はベトベトだ。

 生唾って、乾くとすごく臭い。

「御影、動いてよう……!」

 新城の褐色の肌をさする。おっぱいは釣鐘型の手のひらサイズ。カップはCくらい。

 新城が一番感じるのはGスポットの辺りで、ここを強く擦るように突き上げるのがポイント。

 尻たぶを揉みながら、ゆっくり腰をグラインドさせると、新城は込み上げる快感を噛み締めるように動きを止め、四つん這いの姿勢で深いキスを求めてくる。

 指と指を絡め、舌を吸い上げると、新城の腰が大きく震えた。

 だらっと陰嚢の裏を新城の分泌液が流れ落ちる感触。

 荒く、熱い吐息を漏らす新城の頬に涙が伝う。

 新城が、イった。

 深いエクスタシーのあと、新城は必ず泣く。

 胸がいっぱいになるんだと言っていた。

 一方、ぼくが射精に至るのは三、四回に一度くらい。これは、ぼくにとってビジネスで、快感を得るのが目的じゃないからだ。

 ぼくの上でさめざめと泣く新城の背中をさする。後戯は超重要。頬に軽くキスして、それから耳を甘噛みする。

 新城は時折、思い出したようにピクリと震え、小さな喘ぎを漏らす。この時点で盛り上がれば、またする。

 新城が、またゆっくりと腰を振り始めた。

「御影、もう一回、もう一回……」

 ぼくは新城の緩やかな動きに合わせるように腰を突き上げる。ねちゃっと大きな水音がして、独特の臭気が鼻を衝く。甘く、生臭い匂い。他の女の子は臭くないんだろうか。

 新城が強く抱き締めてくる。立て続けにイってるのか、腰が大波を打っていた。

 ちゃぶ台の上に置いてある時計が十七時半を指しているのが目に入った。

 ──父さん、もう仕事に行っちゃったな……。

「イぐ、イぐうううう……!」

 新城がゴリゴリと腰を押しつけて、大きな絶頂に達した。

 ぼくはまた後戯を開始する。

 だって、ビッチだもん。

 お客さんは大事にしないとね。

 ぼくの上でまた泣き始めた新城の熱い吐息が聞こえる。

「ううう……! 御影となら何度でもできる、怖いよ……!」

 因みに、二回目からは有料になります。

挿絵2

「ありえねーよ。バレーボールやってたときはなんもなかったのに……」

 無性に苛々していた。その日の授業はすっぽかし。昼過ぎには帰宅して、アタシは気の合う友人と過ごしている。

「アタシがなんでハブられなきゃならねーんだ? センコーまで無視しやがって!」

「そりゃカオルがロクでもない生徒だからなんじゃねーの? ウチが思うに……」

 友人に愚痴っても、アタシの置かれた状況が良くなることなんてない。

 アタシは、恵まれた体格と優れた運動能力を評価されB級特待生として高校に入学した。

 本来、B級特待生の優遇を受ける為には、運動部に所属している必要がある。

 二年に上がってすぐ膝を壊し、バレー部を辞めることになった。しかし、その負傷が、バレー部の活動中のものであった為、優待取り消しは保留された。

 アタシは元々成績は良くない。自分で言うのもなんだけど、態度も素行もよろしくない。

 通う高校は、アタシには分不相応のレベルだった。

 唯一の拠り所だった部活を辞めてしまったら、居場所なんてない。けど学校からは優遇されている。

 入学当初、うっかり自分がB級特待生──所謂B特待であると口を滑らせたことがあった為、部活を辞めてから、すぐに排斥対象になった。

 挨拶をしても返事がない。

 プリントの類いは回ってこない。

 連絡網は自分だけ外されていて、台風の日に登校してしまったことすらあった。

 地味だけどこたえた。

 アタシはこの学校生活をほぼ二年残していて──限界が近かった。

 陸上部の部室に集まる連中は、元より素行の悪いヤンキーたちがメインだったけど、部活のドロップアウト組も多く、気が合った。ドロップアウト組の中には、アタシと同じ境遇の者も珍しくない。

 そして、その殆どが耐えきれず、学校を辞めていく。

 授業を受けても分からない。クラスの皆とは馴染めない。学校は、アタシにとって苦行の場所でしかなかった。


 そんなある日、教室の床に落ちている紙を拾った。


 ──新城ハブしない?

    yes  no  


 yesに丸がしてあった。

 じわっと視界が滲んだ。目元を拭っていると後ろからクスクスと笑う声が聞こえる。

 アタシの反応を面白がり、そういった陰湿な行為は授業中にも行われた。

 斜め前の座席の小柄な生徒にメモ紙が回る。アタシからはよく見える位置だ。

 ──御影悠希。発育不良の小動物。

 長身のアタシにはミクロの生き物にしか見えない。そんなヤツにも馬鹿にされないといけないのか。そう思うと泣きたくなった。

 でも、御影悠希はメモ紙を一瞥し、その場でビリビリに破き捨て、あまつさえ吹き散らして見せた。

 そのつまらなそうな横顔が、アタシの脳裏に強くこびりついた。

 御影悠希の行動に、にわかにざわつく教室内で、フッ、と小さく笑う声が紛れた。

 秋月蛍。

 特別だったアタシには分かる。こいつも特別だ。


 数日後、授業中の事故を装って、御影悠希が腕を折られた。彼も排斥の的になったのだ。

 アタシは衝動的に立ち上がった。授業中だが構いやしない。どうにもこうにも、むしゃくしゃする。小っちゃいの相手に無茶しやがって!

 御影悠希にタックルを仕掛けた男子生徒の後頭部に、渾身のスパイクをお見舞いした。

 久し振りの感触に、腕が痺れたが悪くない。胸がスッとした。

 三週間の停学が明け──アタシの学校生活は、良い方向へ変わった。恐れられるようになり、大分、やり易くなった。

 プリントの類いはキチンと回ってくるようになったし、連絡網はちゃんと情報を共有できるようになった。

 それ以来、御影悠希を視線で追うようになった。

 御影悠希の近くには、いつも秋月蛍がいて、なにくれとなく世話を焼いている。

 普段、秋月蛍の奥二重の瞳は冷酷に見えていたが、御影悠希に構っているときは和らぎ、まるで別人のように見える。

 秋月蛍は嫌な女だ。

 いつもアタシが手の届かないところで得点を稼ぐ。

「ん、瓶の蓋が開かないの? 貸してみて」

「あんがと」

 毎日プラス1点。アタシと秋月蛍との差は、今どの程度だ?

 胸の奥にチリチリと灼けるような思いが募る。

 ──そのチッコイの、アタシにくれよ。

 スマホを取り出し、秋月蛍をフレームから外して、御影悠希だけを隠し撮りした。

 未だ、はっきりと形は持たないものの、御影悠希に対する好意のようなものがあった。


 ある日の日曜日。

 アタシは気心の知れた友人と、自室でのんびりしていた。

 この日もスマホ片手にくわえ煙草。胸の思いは膨らむばかり。さしてアタシと体型の変わらない秋月蛍が、後ろに御影悠希を連れているのを見ると、嫉妬の焔が胸を灼く。

 ──アタシの方が面倒見いいし。超尽くすし。だからもっと、側においでよ……。

 友人が画面を覗き込む。

「……あれ、ソイツって御影じゃん……死んだのか……」

「あ゛? テメーなに言ってんだ!? ぶち殺すぞ!!」

 アタシのとても小さな堪忍袋は瞬時に破裂した。

「はぁ!? それって小学生くらいのときの写メだろ?」

 アタシはショタコンじゃない。見た目じゃなく、媚びない中身を気に入っている。頭に益々血が上った。

「ちげーよバカ! 高校生だっつの!!」

「はん? マジかよ……」

 友人は分かったような顔をして、嫌悪に眉を寄せた。

「な、ナンだよ、それ。なんか知ってんのかよ」

「知ってるもなにも、ひでー虐待が原因で成長止まってんだろ?」

 目の前が、ぐるっと回ったような気がして、アタシは混乱してしまう。

「聞かせろ! はぁ!? 虐待だと!? そんなことするヤツ、人間じゃねえよ!!」

「いや、ウチも小学校同じだっただけだし」

 アタシの剣幕に、友人もたじたじで肩を竦めた。

「キレんなよ! ……アイツのこと、気に入ってるみたいだけど、結構キツイ話になるぞ……?」

 友人が不穏な前置きをするので、居住まいを正す。

 何でもいい。御影悠希のことを知りたかった。

「あ、ああ。頼むよ。知ってること、教えてくれよ」

「よし。ちょっと長くなるぞ……」

 友人の語った御影悠希の過去は、アタシが想像していたよりも遥かに衝撃的な話だった。

「──まぁ、冗談でも暴力は絶対NGだな。ウチならやらない」

「…………」

 確かにそうだ。ノリで軽く叩くだけでも、良くない結果に繋がるような気がする。それを強く胸に刻んだ。

「でだな。御影の父ちゃんは、裁判やら離婚の慰謝料やらなにやらですげー金使ってっからメチャ貧乏……聞いてっか?」

「ガンガン聞いてる」

 アタシの中で、どんどんと『人間』御影悠希の姿が大きくなっていく。

「ふん……で、御影がすげー父ちゃん子なのは分かるな? 父ちゃん馬鹿にすんのもNG」

「おう……おう……けど詳しいな……?」

「それだよ」

 友人はやはり眉を寄せ、嫌悪の表情をして見せた。

「まあ、ウチも当時は小学生だったし? 担任のセンコーも若かったんだよ。授業の時間割いて、御影の過去、全部喋っちゃったんだ……」

「ああ……」

 その教師に悪意はなかったのだろう。友人の口振りからはそれが察することができる。ただ、先走りすぎただけだ。

「御影、なにも言わねーで学校来なくなったわ。分かるな? すげープライド高い。だから同情もNG」

「……」

「こういうヤツは手強いぞ。あとはテメーで考えな」

 要するに、御影悠希は見た目よりずっと繊細で複雑にできていた。

 考え込む時間が増える。

 気がつけば、秋月蛍のことはそっちのけで御影悠希のことばかりを考えていた。そしてアタシは、あんまり賢くない。馬鹿の考え休むに似たりを地でいった。

 それでも悩みに悩み、考えに考えた期間が半年を超え、とうとう最終学年に上がる。

 アタシは考える。

 来年の今頃は就職して働いているだろう。想いを告げるとしたら今しかない。

 ちらりと耳にした話では御影悠希は大学に進むようだ。そうなってしまえば接点は断たれる。どうやらあの秋月蛍と同じ大学に行くらしい。それがなんとも腹に据えかねる。

 アタシはその日も仏頂面で腕を組み、眉間に険しい皺を寄せていた。

 視線の先では、今日も秋月蛍が得点稼ぎに精を出している。

「御影、一緒にお昼ご飯を食べないか?」

 プラス1点。

 アタシとの差がまた開く。本当に腸の煮えたぎる思いだ。

 秋月蛍がああしている限り、アタシは側に寄ることすら難しい。

「──食欲ない」

 答えた御影悠希は、浮かない表情だった。

「ん、昨日もそう言ったじゃないか。どこか──待て、御影!」

 御影悠希は逃げるようにして教室から飛び出していった。

 対して秋月蛍は、宙を掻くように手を差し伸べている。

 それがたまらなく滑稽で、アタシは心の中で嘲笑った。


 ──御影の父ちゃんは、裁判やら離婚の慰謝料やらなにやらですげー金使ってっからメチャ貧乏……。


 アタシは、御影悠希が去った方を、じっと見つめていた。


 考えに考える。悩みに悩む。今から上手くいっても、マイナスからのスタートだ。

 でもやるなら今しかない。だから、夕暮れどきの教室で──。

「二〇〇〇円でヤらせろよ」

 対する御影悠希は困惑した表情だ。無理もない。言ったアタシですら、最低の告白だと思っている。

 沈黙。

 腋の下にじっとりと湧き出した汗が横腹を流れる。緊張のあまり、大量に噴き出した汗が尻の割れ目を伝う。

「いいよ」

 恋が、ここから始まる。

 そう思うと、アタシは泣きそうになった。


 溜まり場には、秋月蛍の姿があった。

 最近、顔を出すとは聞いていたが、実際ここで会うのは始めてだ。

 無視。もうやったことは変えられない。どうせなら……。見せつけてやった。

 ──アタシのもんだ。

 ぴったりとくっついて座り、細い肩に手を回す。御影悠希の髪は、少し日向の匂いがした。

 ──新城とは、一回二〇〇〇円の関係だよ。

 胸に、大きな釘を刺されたような痛みが走った。

 マイナスからのスタート。

 秋月蛍との差は、今どの程度だ?

「……淫売」

「うん」

 御影悠希は逃げなかった。それが一番大事なことだった。

「行くよ、新城」

「あ、うん。えへへ……」

 アタシは笑った。もう苛々は、しなかった。

 ぱたん、と音を立てて木製の扉が閉まり……。

 鼻を衝いたのは、うっすら薫る情事の匂い。

 ドキン、と心臓が一つ跳ねた。

 アタシの誕生日はとうに過ぎていて、もう十八歳を回っている。経験はないけど興味はある。

 御影悠希が顔を顰めて呟いた。

「くさい……」

「窓、開けるか?」

 御影悠希は首を横に振って、小さな手のひらを向けてくる。

「お金……」

「あ、うん」

 高すぎれば、このプライドの高い少年は受け取らない。アタシの財布も続かない。安すぎれば意味がない。

 そういう意味では、手頃な金額。

 本当は、この一〇〇倍積んでも惜しくない。だったら。

 ──いっぱいシよう。

 すりきれるまで。

 戸惑ったように視線を伏せ、御影悠希が呟いた。

「どうしたらいいか、分かんない……」

 ゴクリと息を飲む。

「……アタシが言う通りにしてればいいよ。自分でも考えて……そういうもんだから」

「分かった。やってみる……」

 肩に手を掛けると、はっとした表情の御影悠希が見上げてきた。

 長い睫毛。大きな瞳は真っ直ぐに、アタシの目を見つめ返してくる。

 誘うように唇を舐めてみせると、御影悠希の頬にサッと朱の色が散った。

 恥ずかしがっている。

 瞬間的に理解して、肩から無駄な力が抜けた。

 人間相手にすることだ。御影悠希も緊張しない訳がなかった。

 身体を折って、御影悠希に一息に口づける。

 ファーストキスは、小さく、柔らかい唇。そして口中に広がる、甘い味わい。それだけで目眩がした。

 舌を差し込むと、口中の甘さが強くなった。

 ──あ、これ癖になるわ……。

 離れる。糸を引く雫を切りながら、アタシは壁を背に腰を下ろした。

 素知らぬ体を装うが、腰が震えて立っていられなかった。

 横を叩いて着座を促すと、御影悠希もそれに倣う。

 胸が張り裂けんばかりに鳴っている。身体中が火を噴くのではないかと思うくらいに熱い。悟られないように、御影悠希に言う。

「甘い」

「食堂でコーヒー飲んだ……」

「ああ、『いいこ』か。それで……」

「……?」

 不思議そうに首を傾げる御影悠希の姿に、思わず噴き出した。

 腰の奥が、じんじんと痺れている。パンツの中は、ぐしゃぐしゃに濡れていて、まるで漏らしたみたいだった。

「もう、しよっか。脱げよ。アタシも脱ぐからさ」

 こういうのは恥ずかしがったら負けだ。なるべく考えないようにして、ブラウスとスカートを脱ぎ捨てた。

 アダルトビデオの影響で、全裸になるのが当然だと思い込んでいた。スポーツタイプのブラを剥ぎ取り、最後の一枚に手を掛けたとき、流石のアタシも怖じ気づいた。

 躊躇いがちに視線を流すと、そこには既に全裸になった御影悠希が所在なさそうに立ち尽くしている。

 御影悠希の身体中に走る無数の傷痕を前に、愕然とした。友人から聞いていなければ悲鳴を上げていたかもしれない。

 逆三角形の火傷はアイロン。ポツポツと穴のように残る傷痕は煙草。切り傷に至っては無数に散見される。

 御影悠希と目が合った。

「やっぱり、やめる……?」

 酷く虚無的で透明感のある瞳だった。アタシを見ているようで、実際は何も見ていない。それが手に取るように分かった。

 自分の間抜けっぷりに臍を噛む思いだった。この可能性は十分予想していたことだ。己の不甲斐なさに喚き散らしたくなった。

 それでも、何でもないことのように鼻を鳴らして見せた。

「傷くらい、アタシにもあるさ」

 そう言って、右膝にある二ヶ所の手術痕を指す。

「もう、治らないの?」

「ああ、永遠に治らないよ」

 ぶっきらぼうに言って見せたのは、涙が出そうになったからだ。

 御影悠希が手を着いた姿勢で近寄り、アタシの右膝に舌を這わせた。

「な、なにを……」

「自分でも考えろって……」

 アタシの中で何かが弾ける。五体を駆け巡る、熱く激しい何かだ。

 粘りを伴う熱い体液が内股を伝い、ポタリと音を立てて畳の上に落ち、薄暗い色染みを作った。

 御影悠希が顔を上げ、そっとアタシの下腹部に手で触れる。

「ここ、泣いてる……苦しいの……?」

 馬鹿みたいに濡れていることを指摘されても、何故か恥ずかしいと思うことはなかった。その代わりに優しい笑みが込み上げる。

「気持ちいいと濡れるんだ。そういう風にできてる」

「よく見ても、いい……?」

 その言葉に、アタシは首を横に振る。

 もう余裕なんてない。一人でするときよりクリトリスは固く勃起して、嘘みたいに濡れている。腰に力が入らない。直に触れられると腰が抜けるかもしれない。

 今すぐ、一つになりたかった。

 結果から言って、初体験は素晴らしい体験だった。

 破瓜の痛みは殆どなく、微量の出血を見た程度だ。

 御影悠希の小さな身体にのし掛かり、挿入した。

 最初は、軽く腰を揺すったり、回したり。始めは違和感があったけど、慣れてきて、アタシに合わせて御影悠希が動くようになると興が乗ってきた。

 それからはもう夢中だった。焦っていたこともあるけど、胸に湧く愛しさが溢れ出しそうだった。

 最後は、しっかりイけた。

 行為のあとは胸がいっぱいで涙が止まらなかった。お互いの初めてを捧げあった。そう思うと何度でもできる気がする。

 ことの終わりに、御影悠希が言った。

「新城は優しいね……」

 ──二回目も、した。


 翌日も。その次の日も。

 アタシは御影悠希を買った。頭の中は空っぽで、ひたすら御影悠希と交わることしか考えられなかった。

 最初、御影悠希はアタシの言いなりだった。それをいいことに、アタシは散々横着を言った。

 性器を舌で愛撫させ、事後は必ず後戯を要求した。納得いくまで、離れることを許さなかった。

 御影悠希の性知識は皆無に近かったが、学習能力はかなりのものだ。観察力もあり、自主性も高い。そして何より、指導したのはアタシ自身だ。

 自爆めいたあと押しの成果もあり、半月もした頃には横着を言う余裕はなくなった。

 一ヶ月もした頃。『奥の部屋』での二人の立場は、完全に逆転していた。

 キスをせがんだところ。

「煙草臭いから嫌だ」

 これはまだマシな方だ。抱き締めるとウザがられ、話し掛けるとそっぽを向かれる。

 極めつけはクンニのときだ。

「臭いから、拭いていい?」

 これには大きなショックを受けた。自身で何度も匂いを確認し、風呂場では赤く腫れ上がるまで洗い倒した。ネットでのくだらない情報を真に受け、軽く香水を振り掛けてみたところ、返ってきた答えは──。

「腐った果実の匂いがする……」

 というものだった。アタシは頭を抱えた。御影悠希には少し潔癖症のきらいがある。

 神は死んだとすら思った。同時に、理解している。

 この関係はマイナスからのスタートなのだ。落とし穴は幾つも空いている。綱渡りの関係と言ってもいい。アタシが己に課すルールは多く、制限は少なくない。

 絶対に暴力を振るってはいけない。

 父親を侮辱してはいけない。

 お金はちゃんと払わねばならない。

 同情してはいけない。

 呼ばれもしないのに家を訪ねてはいけない。

 一つ間違えただけで、その他大勢に成り下がることを、誰よりも強く知っている。

 アタシはズルをした。ゲームで言えば裏技だ。歪みはどこかで必ず現れる。攻略に必要なアイテムは不足し、プレイヤーであるアタシのレベルは低い。いいところまで行けても、到底、秋月蛍には敵わない。

 無理をする必要があった。アタシが好きになった少年は、もう十分すぎるほどに傷ついている。

 ──新城は優しいね……。

 どんなにつれなくしていても、本当はとても愛情深いことを知っている。アタシの、羽根の折れた天使。

 慎重にならざるを得ない。

 秋月蛍が恐ろしい。

 アタシとの差は、今どの程度だろう?

 近づいているのか、離れているのか。それとも、もう──突き放してしまったのか。

 アタシには分からなかった。

 新城がぼくに借金をするようになった。

「ユキ、ちょっといい?」

 その日の休み時間、新城がデレデレに緩んだ笑顔でやってきた。

 ──御影悠希。ぼくのフルネーム。

 最近の新城は、ぼくを下の名前で呼ぶ。

「ユキじゃない。ゆ・う・き」

「うふふ、ゆうき」

 新城は益々ぼくにのめり込み、脳がお花畑になっていた。

「トイレ行こ? 一回ぱぱっと手で抜いてよ」

 頭の中はエロいことしかないらしく、廊下だろうが教室だろうが、ところ構わずぼくに抱き着いてくる。

「あのね、新城。ツケはいいけど、もう七万超えてるから」

「うん、えへへ」

 駄目だこりゃ。

 そんな新城がテストで赤点を取って補習を受けなくちゃならないのは当然のことだ。

 新城は推薦枠で入学したスポーツ特待生だ。授業料は半分が免除されている。並外れた長身と運動神経で、元はバレー部の有望選手だった。しかし現実は残酷で、新城は膝を壊しバレーを諦めた。膝を痛めなければ、ぼくにハマって脳内お花畑になるようなことはなかっただろう。

 残ったのは特待生という肩書だけ。やりづらいだろうと思う。

 元々成績は良くなく、バレーをやっていた以外に取り柄はない。それでも学校にいる以上、優遇されている。これが他の連中にどう映るか。

 ぼくにハマっている原因の一つにそれがあるのかもしれない。

 そう無責任に考えながら、久々に一人の放課後を楽しむ。

「さて、営業しますか」


 当てなんてそうそうある訳がなく、ぼくは学生食堂で安いカップのコーヒー牛乳を飲んでいる。

「と言ってはみたものの……」

 放課後の学生食堂の人影はまばらだった。主に部活動開始前の生徒しかいない。

「こんちわ」

 今後どうしようかと思案していたぼくに、ヤンキー新城の後輩の女の子が声を掛けてきた。陸上部の部室でも、何度か顔を見た気がする。

 ボーイッシュな短い髪に健康的に焼けた肌が印象的。

 身長は一六〇センチくらい。おかっぱ頭のどんぐり眼。少し微笑んだ口元にはいたずらっぽい八重歯が覗いている。相手の背丈が気になるのは、ぼくが身長にコンプレックスを感じているからだろう。

「今日は新城センパイと一緒じゃないんですね」

「うん、新城は補習」

 金の切れ目が縁の切れ目。新城とは程々に付き合っていかないといけない。

「また『いいこ』ですか?」

「良い子?」

 どちらかというと、ぼくは悪い子だ。

 彼女はくすりと笑いながら、ぼくの飲み掛けのコーヒー牛乳を指差した。

「その砂糖とミルクたっぷりの乳飲料のことです」

「ああ、なるほど……」

 これを飲んでいるとやけに新城が笑うと思っていたけど、そういうことか。納得。

 彼女がくすくすと笑う。

「御影さんって、新城センパイと付き合ってるんですか?」

「いいや、新城とは一回二〇〇〇円の関係だよ。知ってるでしょ?」

「…………」

 そう答えた瞬間、彼女は目を瞠り、固まった。冷たい空気が流れ、時間が止まったような気すらする。

 なんだろう。すごく寒くなった気がする。

「いいえ、初めて聞きました……」

 新城は自分の後輩に、ぼくのことをなんと説明しているのだろう。彼女は言葉もなく、じっとぼくを見つめている。

挿絵3

 そのおとがいが、ゴクリと鳴った。

「自分、葛城瞳子です。その……」

 ぼくは黙って『いいこ』を啜りながら言葉を待つ。

 意を決した葛城が言った。

「自分も、その……買うことって、できます、か……?」

 ──来た。お一人様、入ります。

「その……新城センパイには」

「もちろん、言わないよ」

 その後、葛城は堰を切ったように話し始めた。

「前から可愛い、いいなって思ってて……睫毛長くて、手も、すごくちみっちゃくて……」

 葛城の歪んだ性癖はどうだってよかった。

「あと、新城センパイから色々聞いてて……」

 そう言って葛城は、膝をもじもじと擦り合わせる。

 つまり、新城の盛りに盛ったエロ話に濡れてしまったと。新城、使えるじゃないか。

「自分は、新城センパイのあとのちょっと空いた時間に幸せな気持ちにさせてくれれば……」

 そんなこと言っても、新城を裏切っていることには変わりがないよね。でもいいよ。都合のいい女の子大歓迎です。だってビッチだもん。

 葛城は照れくさそうに鼻の頭を掻いている。その仕草がすごくバカっぽい。やっぱり新城の後輩だけある。

「あの、これ自分の携帯番号です」

 葛城は準備よく、携帯番号とメールアドレスを書いた紙を差し出した。

 準備が良すぎる。前から考えてたのだろうか。本当、新城はいい後輩に恵まれてる。

「夜、掛けていい?」

 葛城は、むふうっと荒い鼻息を吐き出した。

「ドンと来やがれ、です!!」

 チョロい。チョロすぎる。

 やっぱり、顔を売るのって大事だね。いそいそと葛城の連絡先が書かれた紙をポケットにしまう。

 ふと見れば、葛城が出入口の方に煙たがるような視線を投げていた。

 三人の後輩を引き連れ、ずかずかと学生食堂に入り込んできたのは、袴姿も凛々しい、髪をポニーテールにしたシュウだった。

 ぼくは俯き、なるべく気配を消すことに努めるが、シュウは真っ直ぐぼくの前までやってきた。

 シュウは、ちらりと葛城を一瞥して吐き捨てるように言う。

「淫売、精が出るじゃないか。いや、出すのは別のものか?」

 あれ以来シュウの当たりは益々キツくなる一方だ。ぼくのことはもう放っておいてほしい。

「秋月先輩、知り合いですか?」

 シュウの子分Aが余計なことを尋ねる。

「こんな屑、名前を知ってる程度さ」

 シュウは威嚇する虎みたいに鼻の頭に険しい皺を寄せている。

 隠そうともしないあからさまな悪意に、三人の子分はビビったようにたじろぎ、それから好奇の視線をぼくに向ける。

 軽蔑したようにぼくを見下ろし、シュウが言った。

「なあ、コイツ、二〇〇〇円でなんでもするんだ。お前たちも気が向いたら使ってやるといいさ」

 こんなときでも営業チャンス。ぼくは顔を上げ三人に、にこっと微笑んで見せた。

 子分A、Bはこっちを見ない、脈なし。Cは、ぼくと視線を合わせ、反射的に微笑もうとしたが、俯いた。Cはあとで名前を調べよう。

「お前……!」

 シュウが、ギリギリと歯を食い縛る音が聞こえた。

「誰にでも色目を使う──」

 刹那──。

 葛城が、持っていたカップのジュースをシュウの顔面にぶっ掛けた!

 ぼくは鼻から『いいこ』を噴き出しそうになった。

 なんてことするんだ。そんなことは、あの新城ですらやらなかった。

 葛城は澄ました顔だ。

「帰れ。御影さんに関わるな」

「…………」

 シュウは表情を変えず、睫毛に掛かったジュースを指で拭っている。

「自分、新城センパイに、アンタには手加減すんなって言われてるんで」

 新城……! 居ても居なくても何て迷惑なやつなんだ。

 シュウが水滴で張りついた前髪を掻き上げ、押し殺した声で呟いた。

「新城の……ホント、邪魔くさい……」

 シュウの子分たちの顔色は紙のように白かった。ビビりすぎて動けない、そんな感じ。

 異様な空気。シュウの身体から黒い炎が立ち上っているような気すらした。

 これ以上はモメると面倒臭くなる。そうなる前にぼくはシュウに言う。

「シュウ、これ以上邪魔するんなら、二〇〇〇円で買ってよ」

「……!」

 シュウは驚いて目を見開き、それから耳まで真っ赤になった。

「今ならサービスで、一回分半額にしてあげる」

 煽るように重ねると、葛城もシュウも、その子分たちもびっくりして目を丸くしていた。

 シュウの唇が、ワナワナと震えている。

「なん、で──」

「お金ないんなら帰って」

 もう、シュウは本当に面倒臭い。いつも絡まれて嫌な思いしてるぼくの身になってほしい。

「葛城、行こっか?」

「あ、はっ、はいっ!!」

 なべて世はこともなし。誰が泣こうが怒ろうが、ぼくには全然関係なかった。

 シュウを振り切ったぼくは、葛城に連れられて『奥の部屋』に向かった。

 葛城とよろしくヤるのでなく、新城の頼みらしい。そもそも学生食堂でぼくを捕まえたのも新城の指示なんだとか。狙いが見え見えなのが腹が立つ。金もないのに厄介なヤツだ。

 ぼくにハマり切った新城が、そのうち犯罪を犯しても、ぼくは全然不思議だとは思わない。だから、そうなる前になんとかする必要がある。

 部室前で、飲み物を買ってくるという葛城と一度別れて、ぼくは部室のドアを開ける。今日も、暇なヤンキーどもが五人ほどたむろして煙草を吸っていた。

「よぉ、ビッチ」

 部室に入るなり、ご挨拶。

「やぁ、お邪魔するよ」

 ヤンキーどもとはつかず離れず。無視するのも関わるのも、ろくな結果に繋がらない。

「奥、誰か使ってる?」

「いんや、まだ。今日も新城か?」

「まぁね。先に入らせてもらうけど、他の人が来たら出るから」

 新城がやってくるまでの間は奥の部屋で待つ。ヤンキーどもも、ぼくが煙草を嫌っているのは知ってるので、特に何も言われなかった。

 奥の部屋で一人、ボンヤリと考えた。

 葛城は、ちょっと癖がある。ぼくよりも多少上背があるくらいだ。でも、あのシュウの威圧にもビビらない。流石は新城の取り巻きというところか。

 新城は厄介だけど顔は利く。ここにたむろするヤンキーも、新城には一目置いている。

 相手を選ばずそれなりにやるつもりなら、多少のハッタリは利いた方がいい。ヤンキーの女相手なら、同じ女の新城の方が抑止力があるだろう。金を巻き上げる以外の、新城の使い道。利用価値。

 そんなことを考え込んでいるとノックの音がして、扉の間から葛城が顔を出した。

「失礼していいですか?」

「いいよ」

 考え事も一段落したところだった。話し相手がいるのは素直に嬉しい。

 葛城は、ぼくの為に『いいこ』を買ってきてくれた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 葛城は座布団を持ち出すと、ちゃぶ台を跨いでぼくの向かいに陣取り、それからくすくす笑った。

「御影さんは、自分らの回りには居ないタイプの人ですね」

「そうなんだ」

「はい。新城センパイの相手なんて、どんなゴリラなんだろって思ってましたので」

 まあ、女子相手に売春する男子は珍しいだろうと思う。

 葛城がぼくの手を取った。すりすりと指を絡めてくる。

「ホント、ちみっちゃい手ですね。肌もきめ細かくて、赤ちゃんみたいです」

 好きでそうなった訳じゃない。そんな誉め言葉は嬉しくないけど、積極的なのは手間が省けて嬉しい。

「早速ですけど、今晩、会えますか?」

「……いいよ」

 葛城。やっぱり癖がある。新城に従順なようでいて、それでも自分のやりたいことはしっかりやる。

 危険か? 売りをやる以上、そこはキチンと見定めないと厄介なことになる。

 その後、葛城は聞きもしないことをよく喋った。

 葛城の初体験は中学生の頃、所属していたバスケ部の先輩だったらしい。

 初体験の感想は悲惨の一言に尽きた。葛城の処女喪失の場所は、なんと合宿所のトイレだそうだ。痛いだけで何の感慨もなく、おまけに膣に出された。そのあとの交渉も乱暴で、前戯なしの挿入が殆ど。飽きたとフラれたとき、心底ホッとしたらしい。それ以来、男は苦手なんだそうだ。

 葛城は話している間に盛り上がってしまったのか、少し涙ぐんでいた。

「不思議です。御影さんにはなんでも話せます」

 お金の力は偉大だ。

 葛城が割り切れる理由は、金の介入で行為と感情を分けてしまえるからだ。それ以外には、ぼくの無害そうな見た目か。学生食堂でシュウに言ったことが印象に残っていることもあるだろう。

「大丈夫、ぼくは無理にはしないから。嫌になったら、すぐ止めるから言ってね?」

「は、はい……」

 なるべく優しく言うと、なんだか葛城の肩から力が抜けたような気がした。

「新城センパイ、遅いですね……」

「補習は十六時までだから。あと少しかかるよ」

「そうなんですか……」

 葛城は頬を上気させてこちらを見ているが、まだぼくの『お客さん』じゃない。

 理想は、生かさず殺さず。

 ぼくはビッチだけど悪魔じゃない。相手の資金力を見極め、そこそこに搾り取るのがベスト。これは新城で学んだことだ。負債がある程度を超えると、開き直ってしまう。

 葛城がジリジリとにじり寄ってくる。猫のようにパッチリした瞳は潤んでいて──。

「御影、さん。キス、していいですか……?」

「ごめんなさい。それはNGでお願い」

 最初が肝心。きっぱりと断る。

「そんな! 新城センパイとはして──」

 ──そのとき。

 薄い木製の扉一枚を隔て、机をひっくり返したような物音が響き渡った。

 魔法が解けたように、ハッとした葛城と目が合った。

「見てきます!」

 そう言って素早く立ち上がり、葛城が扉を開いたのとほぼ同時に、一人の女子生徒が突っ込んできた。

 女子生徒はぼくの前でつんのめるように膝を折った。鼻血を垂らしているけど、この陸上部室で何度か見たことがある顔だ。

 続いて奥の部屋に入ってきたのは──新城。

 顔を赤くして、激しく息を荒げている。

 激怒。それも何故かぼくを見て、更にヒートアップした。

「死ねや!!」

 新城は声を張り上げ、よろよろと立ち上がろうとした女子の尻を思い切り蹴飛ばした。

 ヤバい。これは事件になるレベルだ。

 新城は猛烈に興奮していて、矛を収めるつもりなんてない。倒れ込んだ女子生徒の茶髪を引っ掴み、無理矢理引き起こすと渾身の平手打ちを見舞った。元バレー部スポーツ特待生のビンタ。威力は想像したくない。

 新城に殴打された女子がピンポン玉みたいに飛んで、ぱぱっと音を立てて血飛沫が散った。

 葛城はビビりまくり、壁に張りついて固まっている。

「新城、やめるんだ!!」

 ぼくの制止の声に、一瞬新城は動きを止め、ぼくと視線を合わせた。

 くしゃくしゃ、と新城の顔が悲痛に歪んだ。それで悟った。これはぼくが関係している。

 だから止まらない。ぼくじゃないと止められない。決死の覚悟で新城に飛びついた。

「新城! もういい! もういい!!」

「うーーっ、うーーっ……!」

 新城はぼくを背中に張りつけたまま、獣のような呻きを上げた。新城の中で破壊衝動とぼくの制止とが猛烈に綱引きしているのだろう。首筋まで赤黒く染まり、全身がブルブルと緊張している。

「離せ! 離せええ!!」

「だからもういい! 葛城! ボーッとしてないでその娘をどこかに連れてけ!!」

 ぼくが原因の暴力事件なんて冗談じゃない!

 必死で新城の頭を抱え込み、胸に押さえつける。殴られないと分かっていなければできることじゃない。

「葛城!!」

 そこでようやく葛城の金縛りが解けた。殴り飛ばされ、倒れ込んだままの女子生徒に駆け寄る。

「早く! 早く!!」

「はいいっ! はいいいっ!!」

 ぼくも葛城も馬鹿みたいだけど、これ以上ないくらい大真面目だ。葛城が完全にのびた女子を引き摺るようにして奥の部屋から部室に移動する。

「扉閉めて、早く!!」

 それにしても葛城。お互い、このタイミングでヤらなくて本当に良かったね。チョロいチョロいと思ってた新城はこれだもん。ぼくらも死ぬ寸前だったよ。

 我慢。超我慢の新城。理性と衝動がまだ綱引きを続けてるのか、いつの間にかぼくにガッチリ抱き着いて、嵐が過ぎるのを耐えている。

 そこでようやく、奥の部屋の扉が閉じた。室内は一気に静まり返り、新城の荒い吐息だけになる。ぼくは新城を固く抱き締めて、暫くそうしていた。

 奥の部屋の三畳のスペースで、ぼくはずっと新城のお腹の上に座り、その頭を抱えて押さえ込んでいる。新城は、ぼくの心音が間近に聞こえるこの距離が落ち着くみたいだった。


 すっかり陽が落ちて、星が瞬くようになった頃、新城はようやく落ち着いた。

 ぼくに抱かれたまま、顔を上げずにぽつりと呟いた。

「アイツ、ちゃんと死んだかな……」

 ドン引きの暴力性。良くも悪くも、新城には抑止力がある。──これは使える。

 女だということがなお良い。客になる女は固く口を噤んで秘密を守るだろう。

 悪くない。ぼくは優しく新城の頭を撫でた。

「暴れてごめん、ユキ。怪我しなかった?」

「うん……」

 しっかりと落ち着いたのを確認して、ぼくは身体を起こすと、転がったままの新城の頭を膝の上に乗せる。

「ユキ、エッチしたい」

「いいよ……でも、ちょっと休ませて……」

 ぼくは小さく溜め息を吐く。長時間、無理な体勢でいたお陰で身体中が軋んでいる。

「ユキは、アタシには勿体ない男だと思う」

「どうしたの……藪から棒に……」

 ぼくの小さい身体で、新城の巨体を押さえるのは疲れる。膝枕も、このまま続けたら痺れそうだ。

「お金、ちゃんと払うから」

 どうせ新城には払えない。無理させれば、絶対に良くない形で返ってくる。だから、別の形で取り立てる。抑止力として、ぼくの後ろ盾になってもらう。あと、エッチの練習台になってもらうくらいか。

「それはもういいよ……」

「いや、払う。心配しないでも、カツアゲとかそんなんしないし」

「だからいいって」

 新城は頑なに首を振った。あれだけ割引だサービスだ言っていたのにどういう心境の変化だ。そんな殊勝なタマじゃないだろう新城。落ちてるものでも食べたのか?

 ぼくは、また深い溜め息を吐く。

「払うって。払わないとさ、ほら……」

「……?」

「ユキ、客取っちゃうだろ?」

 違和感。なんだろう。何かが、ちぐはぐな感じがする。

「ユキの客はアタシ一人でいいんだ」

 つまり寝取られ属性はないと。ええ、分かってましたよ。

 でもね、新城。おまえ一人が払うお金じゃ足らない。ぼくにはもっとお金が必要なんだ。

 これはおまえが始めたことなんだから、ぼくの客でいる以上、振り回すよ。最後までついてこれたら、ちゃんと好きになってあげるから。

 ぼくはそれ以上、新城の意志に背くことはしなかった。くれるというのなら貰う。それだけ。


    ◇◇◇


 ブラウスのボタンを外し、新城の薄い胸に触れると、尖端は固くなっていた。

 赤く頬を染め、瞳を潤ませた新城は熱い吐息を漏らしている。その唇に、ぼくは大嫌いなキスをする。唾液を送り、軽く舌を絡めて離れる。

 その感触に新城が跳ね起きて、あっという間に制服を脱ぎ捨てた。

 褐色の肌。薄い胸の尖りはセピア色。目元を潤ませて、下着まで脱ぎ去ると、生まれたままの姿になった。薄めの草むらは、銀の糸の雫を垂らして泣いている。

 髪を掻き上げる仕草をする新城の草むらに顔を埋め、滑る陰裂を舌で舐め上げながら、膨れ上がったクリトリスに吸いつくと、新城は腰砕けになって膝を震わせた。

「あぁ……い、いいよユキ……」

 クリトリスを吸い上げながら、愛液をまぶした二本の指を膣口に侵入させる。抵抗は殆どなく、目的地に到着すると円を描くように擦りつける。

「新城……今日はサービスするから、いっぱいイってね……」

「う……んんっ……」

 陰裂から滲む液体が粘度を増した。指から腕へ、とめどなく溢れる新城の愛液が伝わり、座布団に水たまりを作る。新城の口元から、だらしなく涎が垂れ下がり、腰を引き前のめりに身体を折り、イった。

「ユキ……ユキ……なまえで呼んで……おねがい……」

 息も絶え絶えに呟く新城の腰を引きつけ、膣に舌を差し込む。もちろん、指での愛撫も忘れない。

 丹念に、淡々と新城を追い詰める。より深いエクスタシーへと導く為の入念な作業。

 新城はぼくの髪をまさぐり、膝を震わせて何度も何度も小さい絶頂を迎える。

「カオル……綺麗だよ……もっと感じて……」

 そうして新城は腰を震わせて、ぽろぽろと涙を流す。切なそうに眦を下げた表情からは、先に見せた暴力性は微塵も感じられない。

 こうしていると、彼女はやっぱり女の子なんだなと思う。

 吐息が重なる距離になり、カオルが遠慮がちに震える唇を寄せてくる。

「ユキ……あぁ、もう……」

 舌を絡め、唾液を交換しながら、いつもより大人しめのキスを交わす。静かな室内に、ぼくらが吐き出す荒い息と粘る水音が響いていった。

 煙草の匂いに混じり、甘ったるい女の匂いが鼻を衝く。カオルはぼくの腰の上に跨り、膝立ちの姿勢になると、涎を垂らして情交を催促する媚肉にペニスをあてがう。

「くうぅぅぅぅぅぅ……!」

 大きく息を吐き出すと同時に、一気に腰を下ろす。

 滑る膣肉が肥大した陰唇を内部に巻き込みながら、ずぶずぶとぼくのペニスを飲み込んでいく。

「あぁ! あぁぁぁぁぁぁ!」

 カオルは激しく首を振って、膣から大量の愛液を吐き出しながらスクワットの要領で腰を上下させてぼくを貪る。匂いが強くなる。

 蚊の鳴くような声で囁いた。

「もぅ、ダメ……イきそう……」

 もっと、もっと、深く堕ちてね。

 ぼくのカオル。

 翌日、教室にカオルの姿はなかった。

 ホームルームの時間、担任の坂本先生が黒板の隅に書きつけた。

『新城馨 無期停学』

 黒板に書き込まれたそれを、教室の前の席に座るシュウがじっと見つめていた。

 ぼくの携帯は古臭いガラケーで、それにはカオルからのメールが頻繁に届いていた。

『無期停だって。ユキの名前は出してないから安心して』

 カオルのメールでは、少なくとも一ヶ月は登校できないようだ。赤点の補習も含めれば、留年する危険すらあるってのに。

 それ以外は、『逢いたい』『キスしたい』『エッチしたい』

 そんな感じ。ぼくは全部のメールに、『一回二〇〇〇円になります』って返信しておいた。

 それはさておき、ちょっと困ったことになりそうだ。前の座席のシュウが、再三振り返ってはキツい視線を浴びせてくる。いつもなら、ぼくにべったりなカオルが居ない。言いたいことがあるようだ。

 さて、シュウはどう出るか。本当、面倒臭い。

 そして期待を裏切ることなく、ホームルーム終了直後に動きがあった。

 シュウは普段は下ろしてある髪をポニーテールに纏めている。窓の外では蝉が鳴いていて、見上げると、色白の素肌にうっすらと汗が浮いているのが見えた。ぼくの座席の前で腕組みして言った。

「おはよう、淫売」

「おはようございます。御影さん!」

 シュウの横に、笑顔の葛城が立っている。

「なんなのお前は。ここは三年の教室だ。二年は出ていけ!」

「おはよ、葛城」

「御影さん、昨夜はずっと電話待ってたんですよ~?」

「こらっ、無視するな!」

 朝からうるさいめんどい。ぼくは、まずシュウからやっつけることにした。

「シュウ、オリモノ臭いからあっち行ってよ」

「なっ……」

 ついでに葛城にも釘を刺す。

「あのね、葛城。昨日の激おこを見なかったの?」

「昨日はお互い大変でしたね!」

 葛城もカオルのあれを見て、流石に引くだろうと思ってたけど、そうでもないようだ。シュウに楯突くだけのことはある。大物か。それとも、とんでもないバカか。

「カオル無期停学になっちゃったね。そもそもなんであんなことになったの? カオルからなにか聞いてる?」

「……カオル、ですか」

 葛城の笑顔が曇る。呼び方が気になるのだろうが、説明するのも面倒なので無視する。

「御影さんは聞かなかったんですか?」

「聞く訳ないでしょ」

 カオルは本気で怒っていた。その理由を聞くなんて、もう一度、その強い怒りを思い出させるのと同じことだ。そんなことする訳がない。わざわざ見えてる地雷を踏むなんてことはしない。

「なんで新城センパイに直接聞かないで、自分に聞くんですか?」

 何故か葛城が食い下がってきて、ウザい。

「新城センパイ、御影さんが言えば隠しごとなんてしないと思いますよ」

 そんなことは言われなくても知ってる。

「御影さんにとって、新城センパイは特別っていうことですか?」

 何コイツ。すごくウザい。

「特別だから昨日、自分にはキスしてくれなかったんですか?」

「……!」

 その問いに激しく反応したのはシュウだ。むきになって突っ掛かってくると思ってたのに、黙ってぼくを睨みつけてきた。それにしても、わざわざシュウの怒りを買うような言い方をして、ムカつく。

「キスありなら五〇〇〇円」

「はい、払います」

 葛城は澄ました表情だ。本当にそれがムカついた。

「昼休み、奥の部屋に来てください」

「……いいよ」

 葛城は、またニコッと笑った──けど目が笑ってない。

「絶対に来てくださいね」

 念を押してから、葛城は帰っていった。来たときと同じように勝手なやつ。カオルのことは答えずに帰った。

 あとにはムカついたぼくとシュウが残った。

「御影、その……新城は──」

「オリモノ臭いから、あっち行けよ」

 カオルがぼくの特別? 誰に向かって言ってんだ。


 二時間目が終わり、休み時間。

 スッ、と席を立ったシュウがこちらに真っ直ぐ歩いてきた。やだなぁ、もう。シュウは本当にしつこい。

「御影、貼り出しもの手伝ってくれないか?」

 唐突に救いの手は差し伸べられた。声を掛けてきたのは、ぼくのすぐ後ろの座席の国崎君だった。

 うっ、とシュウが立ち止まる。

 全治一年の事故に遭ってダブった国崎君は、ぼくらの一つ歳上になる。無茶苦茶浮いていて、クラスではぼっちさんだ。でも、ボクシング部の元、超エース。去年の選抜大会ダントツ一位。テストでは常に三位以内。噂じゃ、英語ペラペラだとか。そんな国崎君は、クラスの誰もが無視できない。

「悪い、御影借りる」

「あ、ああ……」

 シュウが悔しそうに引き下がった。日頃の行いの賜物だね。

 国崎君と二人で教室の壁に貼ってある掲示物を貼り替えていく。

「なあ、御影。お前って、秋月と付き合ってたんじゃなかったのか?」

「え、なんで?」

「一緒にメシ食ったりしてたろ?」

「ああ……そんなこともあったかも」

 カオルと関係を持つ前は、シュウとの関係も良好で、一緒に昼食を摂ることもあった。

「あと、新城のヤツに授業中は手紙回すの止めろって言っておいてくれ。あいつ、俺に思い切り投げつけやがるから集中できねえよ」

 結局、こっちも因縁だった。

「っつーか、御影は新城と秋月、どっちと付き合ってるんだ?」

 うるさいなぁ、このダブりは。助けてくれたのはありがたいけど、余計なことは聞かないでほしい。だからぼくもやり返す。

「国崎君こそ、生物の折笠先生と付き合ってるの?」

 あくまでも噂だけどね。

 ぼくらは、ニッと笑い合って、それからは無言だった。

 そんな感じで休み時間の度に掲示物の貼り替えをして、シュウをやり過ごした。

 昼休み。

 シュウが真っ直ぐやってきた。

「オリモノ臭い」

 シュウは般若のような表情でぼくを睨みつけていたけど、ややあって、険しい表情を緩め、ついっと二〇〇〇円を机の上に置いた。

「話がある」

「ぼくにはない。なに、これ?」

 ぼくは机の上のお札を指でさした。シュウは鼻を鳴らす。

「なにって、二〇〇〇円だろ?」

 偉そうに。葛城といい、ムカつくなぁコイツ。

「全然足りない。一万円なら話くらいは聞くけど」

「なっ……」

 驚いて目を剥くシュウの前で、ぼくは席を立った。

「話したいなら一万。遊びたいなら二万から」

「なんで……!? あの下級生だってそんなにしなかったろ?」

 そんなの決まってる。空気読めないのか。

「キライだから」

 その言葉を聞いて、シュウは悲しそうな顔をして俯き、それきり口を噤んだ。

 ちょっとだけ、スッとした。


    ◇◇◇


『奥の部屋』では、葛城が正座して待っていた。

「御影さん、遅いです」

 ぷうっと頬を膨らませる葛城は、紺のスパッツに上は体操服という格好だった。

「午後はサボるから、それでいいでしょ」

「やったあ!!」

 おまえをメチャクチャにしてあげる。そんなぼくの黒い腹のうちを知りもせず、葛城は嬉しそうに笑った。

「んじゃんじゃ……まず、ちゅーしていいですか?」

「いいよ」

 言って、ぼくは壁を背に腰を下ろした。

 部屋の中が、しんと静まり返り、葛城の息を飲む音がやけに大きく響いた。

 そっと肩に置かれた葛城の手は、少しだけ震えている。

「ん……」

 唇が重なる。カオル以外の女の子とキスするのは、これが初めて。

 葛城は触れ合うだけのキスをしたあと、唇を押さえて俯いた。うなじまで赤く染まっている。

「……しちゃいました」

「カオルにバレたら殺されるよ」

「バレなきゃいいんですよ」

 今度は、引き寄せられて深いキスを交わす。ぴちゃぴちゃと水音をさせて唇を舐めたあと、おずおずと小さな舌が口腔に侵入してくる。

 男が苦手。そう言っていたのを思い出し、ぼくは身体の力を抜いた。そのまま倒れ込むように横になったぼくに、葛城がのし掛かってきた。頬を真っ赤に染め、葛城は熱い息を吐き出した。ぼくに馬乗りになり、少し腰を揺らして股間を擦りつける。

 葛城が体操服を脱ぎ捨て、躊躇わずブラも外して放り捨てた。

 ピンク色の乳首は固く尖っていて、痛みを感じるんじゃないかと不安になるくらいだった。四つん這いのまま、ぼくの顔にその未成熟な胸を近づけてくる。

「胸、してください……」

 掠れる声の要望を聞き入れ、ぼくはピンク色の果実を啄む。

「あは……かわいい……」

 おそらくはAカップくらいであろう膨らみを、優しく包むように揉みながら、舌で乳首を転がす。

「んふっ、ンフッ……!」

 声にならない喘ぎを上げて、また葛城がキスを求めてくる。ぼくの口内の粘膜を削り取るかのように激しく舌を絡ませる。

 スパッツの上から薄いお尻を撫で回す。葛城はキスに夢中で、喉を鳴らしてぼくの唾液を飲み込んだ。

 膝立ちになり、スパッツごとパンティを引き下ろすと、ぴったり閉じた陰唇から、つうっと銀の糸を引く。

「……あの、ここは、優しく……」

 ぼくは黙って頷いた。不意に、カオルのときはどうだったろうと考える。

 最初の内こそ、あれやこれやと注文に忙しかったカオルだけど、半月もした頃には、快感を貪るのに夢中で口をきかなくなったことを思い出した。

 いけないいけない、目の前に集中する。

 葛城を横にして、カモシカのように伸びた脚を撫で上げる。太股を焦らすようにさすり、なるべくそっと陰部に手を置くと、ぎくっ、と葛城が固まった。

 緊張が解れるように陰部に触れたまま、葛城と深いキスを交わす。口腔を舌で混ぜ込み、唾液を流し込んで嚥下させると、徐々に葛城の瞳が虚ろに蕩け、くてりと脱力した。陰裂に添えた指先が湿り気を帯びる。

 指を差し込んで、内側をゆっくりと愛撫すると、たちまち滑る粘液で潤った。ぴったりと閉じた陰裂の内側は、灼熱の熔岩が熱く燃えている。

 葛城の膣は久し振りの感触に濃い蜜液を流して応えていたが、それとは裏腹に内部は狭く閉じている。

 愛液をまぶした指で、クリトリスを押すように軽く揉む。

「ひぃ……ひぃんっ……!」

 鼻に掛かった嬌声が耳を擽る。こちらを見つめる瞳には不安の色が残っていた。

 行為に慣れてない。或いは久し振りであるせいか、カオルに比べたら濡れ具合が悪い。潤滑を良くする愛液の出が良くない。おそらく、日頃の経験量に比例するのだろう。カオルも最初の頃はあまり濡れなかった。

 濡れてはいるけど、狭い膣道は挿入に痛みを感じるだろう。入れる前に、もう少し解す必要がありそうだ。

「なめて、いい……?」

 熱に魘される病人のように顔を紅潮させた葛城が、小さく頷いた。

 脚を割って、間に入り込んだ。視線を下げると、大きくなったクリトリスは包皮につつまれて窮屈そうだった。視線に晒されて、割れ目から垣間見えるサーモンピンクの膣口がヒクヒクと蠢いている。

「み、ないでぇ……」

 微かに上がる拒絶の声を無視して、クリトリスを包皮ごと口に含んだ。

「うっぐ……!」

 葛城は、過去の経験では前戯はなかったと語った。未知の感触に、葛城の腰が跳ねた。

「あ、あ、あ、あ……!」

 口の中で舌を動かして、狭苦しい包皮からクリトリスを解放してやった。つるりと剥けた包皮から、磯の匂いがする。恥垢が溜まっていたのだろう。軽い吐き気を感じた。それとは裏腹に──。

「かはっ────」

 葛城が腰を波打たせて、強めの絶頂を迎える。口中に癖のある粘液の味が広がった。

 絶頂の余韻に浸り、ぼんやりする葛城を見下ろし、ぼくはズボンを脱ぎ捨てた。

 固く勃起した陰茎を軽くしごく。ネットで調べたけど、サイズは並。カオルは一八五センチも上背があるし、サイズ負けするんじゃないかと思っていたけど、ちゃんとコレでイかせることができた。

 アレのサイズにコンプレックスを感じるのは、男の宿命だろうか? 以前調べたところ、女性をエクスタシーに導く為に最低限必要なペニスの長さは、なんと五センチらしい。目からウロコだった。

 葛城はとんでもない太平洋という訳でもないので、通用するだろう。

「挿れるよ」

 葛城は夢うつつでいるのか、視線をぼくのペニスに向けている。焦点が合うと、瞳に期待の光が灯った。

「はぃ……どぅぞ……」

 滑舌の怪しい葛城の陰裂を押し広げ、膣口にペニスをあてがう。亀頭を愛液で濡らし、ゆっくりと挿入を開始した。十分に解したつもりだったが、葛城の膣内は狭く、掻き分けるように腰を進める。

「ふんっ……んんん……あぁ……すごぉいいいィ……」

 葛城が間の抜けた喘ぎを漏らし、ぼくのペニスが根元まで膣に埋まった。亀頭の先に、こつんと行き止まる感触があった。途端に生暖かい粘液が陰茎に絡みつくように溢れ出る。

「うぐっ!」

 と呻いた葛城は、口を魚みたいにパクパクさせていた。眉尻が下がり、苦悶と快楽の狭間にいるような表情をしている。返事を待っていたら暫くかかりそうだった。

 抽送を開始する。陰茎を先っぽまで引き抜き、根元まで挿し込むと、強い粘りを持った愛液が、ズチョッといやらしい音を立てた。あとはこれを淡々と行うだけだ。

 五分ほど単調なリズムを刻むと、葛城は壊れた玩具になった。陰茎が膣奥を叩く度に、小さい悲鳴が上がる。葛城の膣は肉を切り裂くような感触から、ねっとりと握り、絞られるような膣圧に変化していた。

「ひぃ、ひぃ、ひぃ、ひぃ!」

 小さなぼくに制圧され、既に屈服した葛城を見下ろし、ぼくは不思議な感じだった。

 ──そっか、正常位だから。カオルとの行為では、騎乗位が多かったことを思い出す。

 ストロークを長めに伸ばし、変化をつける。子宮を押しつぶすように亀頭を捻じ込む。

「う~~~~っ、う~~~~っ!」

挿絵4

 葛城の喘ぎが壊れた玩具からサイレンに変化した。視線を下ろすと、陰裂から噴き出した愛液が畳に大きな染みを作っていた。絶頂が近いのだろう。座布団を掴む手に力が入るのが分かった。

 やがて──。

「ひいんっ!!」

 がくんっ、と腰を突っ張るように跳ね上げて、葛城は最後のエクスタシーを迎えた。


 ぼんやりと薄目のまま涎を垂らし、時折痙攣する葛城を尻目に、着衣を整える。

 焦点の定まらない視線を向け、葛城が言った。

「週末……また会って、ください……」

「三万」

「はぃ……はらいましゅ……」

 財布から今日のお代を頂いて、葛城の後始末はせずに、ぼくはその場を去った。

 射精はしてない。

 葛城は、あんまり良くなかった。



 午後の授業はすっぽかし。

『奥の部屋』を出たとき、時刻は十四時半になろうとしていた。やっつけ仕事に一時間くらい費やしたことになる。部屋を出るときに見た葛城は、全裸で大股を開き、ぱっくり開いた膣口が丸見えで、口から涎を垂れ流していた。

 ぶっちゃけ、少し笑えた。

 携帯を確認して、カオルのメールには『二〇〇〇』とだけ返信しておく。

 来た道を逆に辿り、校舎の玄関口に向かう途中で、怒りに震えるシュウに遭遇した。

 シュウは俯き、手を強く握り締め、ひたすらぼくを睨みつけてきた。どうせ屑だの淫売だの、酷いことを言われるのは分かりきっている。うんざりした。

「なんで、私だけ……!」

「あれだけ酷いことを言われれば、普通は嫌になるよね」

「それは御影が悪いだろ!」

 もうシュウは、本当にうるさいしつこい。言いたいことがあれば全部言えばいいのに。

「だからって、こんなところで待ち伏せしなくてもいいよ」

「……少し、話がしたいんだ……」

「お話しは二万円からになります」

 シュウの口元が引きつった。

「なんでまた値上がりするの!!」

「キライだから」

 ぼくがはっきりそう言うと、シュウはビクッと肩を震わせた。でも、一瞬あとには肩を怒らせ、圧し殺した声で言った。

「あの下級生と、したの……」

「ぼくがなにしようと勝手だろ?」

 お客さんの秘密は守らないとね。

 くしゃっとシュウの端正な顔が悲痛に歪む。

「私、は──」

「サヨナラ」

 そこで立ち去ることにした。シュウに目を合わせず、横を通り過ぎる。すれ違う際、シュウは手を上げ、宙を掻くような仕草を見せたものの、その手がぼくに触れることはなかった。


 無駄な時間を食った。

 帰宅してすぐ、ぼくはシャワーを浴びた。それから、歯を磨く。洗っても洗っても、身体の汚れは取れない気がした。

「悠くん、帰ったのか?」

 薄いドア一枚を隔て、父さんの声が聞こえた。聞こえなかったふりをして、シャワーを止める。

 それから脱衣室で身体を拭いていると、父さんが下着を持ってきてくれた。

「ありがと」

「あ、うん。それより悠くん、どうした? 学校が終わるの少し早くないか? もしかして、身体の具合が悪いのか?」

 父さんは矢継ぎ早に質問を重ね、それから軽くテンパり始めた。相変わらず心配性だなあと髪を拭きながら思った。

「ん、サボった」

「そうかぁ……」

 父さんは、ホッとしたように胸を撫で下ろした。それから、腕捲りして。

「よおし、父さん、ご飯作るぞ!!」

 まだ十六時にもなっていないけれど、施設で夜勤の仕事をしている父さんは、十七時過ぎには出勤してしまう。

「いっぱい食べて、悠くん、おっきくならないとな!」

「もうすぐ十八なんだから、身体の成長なんて止まってるよ」

 父さんが固まった。

「なる……! 悠くんは、絶対におっきくなる!!」

 それから、いつものようにぽろぽろと流れる涙を拭うこともせず──。

「おっきくなるんだ……」

 父さんは、早めのご飯を作り始めた。


 父さんと二人で狭い食卓を囲む。母親はいない。この世でぼくと父さんだけが家族だ。ウチはすごく貧乏だけれど、ぼくは結構幸せを感じている。

「悠くん、このお肉も食べて」

「もういいよ。お腹パンパンだから……!」

「また悠くんはそんなこと言って!」

 それから、父さんは暫くゆっくりして、出勤する。このまま朝の九時くらいまで帰ってこない。

 父さんはぼくを母親から引き取る為に、全財産を投げ出した。それでも足りない分は、勤めていた会社の退職金で賄った。

 その父さんも、今年で五十七歳になる。ぼくはなぜか少し泣けてきて、食器を洗ってから宿題を片づける。

 ──悠くん、絶対に大学行こうな!

 それが父さんの口癖。


 携帯電話に、カオルからの着信があったのは、二十一時を過ぎてからだ。

『あ、ユキ? 超逢いたい。今からダメ?』

 カオルの能天気な要求に、ぼくは噴き出しそうになった。

「……いいよ。会おうか」

『やったね! ラッキーラッキーラッキー☆ カオル!!』

 そこで何かの違和感。何かがおかしい。何かが……。

『じゃあさ、今××のとこの公園にいるんだけど、大丈夫?』

「…………」

『ユキ? …………おーい!』

「あ、ごめん。ちょっと考えごとしちゃった。××の公園なら近くだから五分もあったら行けるよ」

『おっしゃあ! 待ってる待ってる超待ってるから急いで!!』

 なんだろ、これは。何かがちょっとずつ……。

 ぼくは正体不明の違和感を抱えたまま、近所の公園に向かった。

 途中、自動販売機でジュースを二本買った。ここでは、なんと『いいこ』の缶バージョンが購入できる。

 街灯の光が眩しい公園で、カオルは煙草を吸いながらブランコを漕いでいた。

「ユキ!」

 ぼくを見つけるなり、カオルはブランコから飛び降りて駆け寄ってくる。

 カオルの顔を見ると、ぼくはなんだか安心してしまった。抱えた違和感も、夜の帳に覆い隠されて消える。

 猛ダッシュで駆け寄ってきたカオルに抱きすくめられる。

 カオルは頻りにぼくに頬ずりして、髪の毛の匂いをくんくんと嗅いだ。

「な、なに?」

「補充だよ、補充。ユキ成分の。あー……癒される」

「煙草臭いし」

 まとわりつくカオルを引き剥がし、ベンチに二人並んで腰を下ろす。買ってきたジュースをカオルに渡す。

「あ、サンキュ!」

「カオルのお金だけどね」

 それからカオルは、ぼくの耳を噛んだり、舐めたり。なんだか痴漢される女の子の気分がよく分かった気がした。

 暫くカオルの好きにさせていると、ご機嫌な声で言った。

「今日のユキは大人しくて可愛いな~」

「って、普段のぼくはどんななの」

「すぐ、ウザいとか臭いとか、グサッとくるよ」

 言ってから、カオルは失敗したと思ったのか、ばつが悪そうに頬を掻いた。


 ──御影さんにとって、新城センパイは特別っていうことですか?


 なんでこんなときに思い出すんだ。

 上目遣いにカオルを見やり、ぼくはぺろりと唇を舐めた。

 そこに何か嫌な予感を感じ取ったのか、カオルは目を逸らし、これからのことについて話し始めた。

「アタシ、学校行けない間はバイトすっから……」

「大丈夫なの?」

「ああ、叔父さんが店長やってるところで、結構融通利くし、ちゃんとやってけそう」

「そうじゃなくて、学校。退学とか……」

 カオルは驚いたようにぼくを見つめ、それから、ぼんと頬を赤くした。


 ──御影さんにとって、新城センパイは特別っていうことですか?


「心配してくれるんだ……」

 カオルは感動したのか、目に涙すら溜めている。

「大丈夫。ほら、もうすぐ夏休みじゃん。停学はその期間中に解けるし、全然」


 ──バレなきゃいいんですよ。


「カオル、エッチしよう」

 上目遣いに、ぺろりと舌舐めずりして見せる。カオルの目がぼくの唇に集中するのが分かった。ゴクッと喉が鳴る音が聞こえた。

「あ、いや……今日はそういうつもりで来たんじゃないっつうか……でもでも! それはユキとしたくない訳じゃなくて……ああ、もう……エッチばっかが目的じゃない……」

 カオルは別に特別なんかじゃない。今日は、そう。あの女──葛城となんかヤったから、少しおかしいだけだ。

「ぼくのを舐めて」

「あ……」

 ぼくが要求するのは初めてのことだ。カオルは、みるみるうちに顔を紅潮させて俯き、視線を逸らした。

「してくれないの? ぼくの──」

 淫乱の癖に勿体ぶりやがって。

「ぼくの、カオル」

「……!!」

 ばっ、と音がするほどの勢いで顔を上げたカオルの眦は、困ったように下がっている。目元は少し潤んでいて、泣きそうなくらいの切実さを感じる。

「する……したい、させて……!」

 夜の公園に人影はない。ベンチの上で腰を下ろしたまま、下履きをずらし、半勃ちのぺニスを外気に晒す。

 カオルは躊躇わず、ぼくの股間に顔を埋めぺニスを口に含んだ。

「んぐっ……ちゅ……」

 夜の虫の鳴き声に、淫らな水音が混ざり込み、夜陰に流れて消えていく。

「あぁ……」

 ぼくは深い溜め息を吐き出した。

 初めての感触。カオルの口中は生温く、少しヒンヤリしている。

「んぐっ! んぐっ……ちゅっ!」

 カオルが陰茎に強く吸いつき、舌で亀頭を舐め回す。熱い鼻息が陰毛を擽るように吐き掛けられる。酷く興奮しているみたいだ。でも。

 ──舐められるって、こんな感触なのか。

 ぼくの頭は、そんなことを考えるくらいには、冷えきっていた。

 挿入するのとは違う感覚に最初は戸惑ったけれど、時折亀頭に当たる前歯で鋭い痛みを感じる。激しい吸いつき。亀頭ばかりを刺激するので快感より痛みの方が強い。

 徐々に勃起を支える力が抜ける。カオルが必死になって奉仕するほど、却ってぼくのぺニスは力を失っていく。

 やがて完全に萎えきり──。

 焦ってなおも必死に奉仕をするカオルに、労いの──そして、今日は最後の言葉を掛ける。

「……へたくそ」

 カオルは肩を震わせ、ぼくのぺニスをくわえたまま、涙を流していた。

 ──葛城がなんて言ってたかなんて、もう思い出せそうになかった。

 仕事中毒の父が体裁だけの結婚をして、家柄以外になんの取り柄もない女の腹から生まれ落ち、葛城瞳子は家族愛を知らずに育った。

 物心がついたとき、母は既に若い男との関係に溺れていた。仕事漬けの父は、これをいいことに家に寄りつこうとはしなくなっていた。瞳子に家庭の味を尋ねれば、ハウスキーパーのヨシコさんのレパートリーを答えるだろう。因みに、ヨシコさんはヨシコさん。それ以外の何者でもない。

 中学生の時分、なんとなく憧れた先輩と、なんとなく関係を持ち、ろくに清掃もされていない合宿所のトイレで処女を捨てた。そして、そこから悪夢が始まる。相手も中学生ということもあった為か、繰り返される行為は荒っぽく、稚拙な上、単調だった。前戯のようなものは殆どなく、申し訳程度の湿り気を頼りに挿入に至る。快感など全くなく、身を裂くような激痛を伴うセックスは、まさに性を使った拷問だった。出血を見ることも珍しくなく、オリモノに膿が混じることすらあった。避妊の意識すらなく繰り返される拷問に、瞳子が積極的になれるはずもなく、ほどなくして、飽きたと言われフラれた。

 それから地元の高校に入学し、中学のときと同じようにバスケ部に入部した。

 新城馨と出会ったのはこの頃だ。無愛想で柄が悪く、すぐ唾を吐く。膝にガチガチのテーピングを施し、厚いサポーターを着けている。このとき、馨はまだバレー部に所属していた。

 高校二年に上がり、明らかに増えた練習量に音を上げて、瞳子が退部を決意したときには、馨はバレー部を去っていた。

 バレー部とバスケ部は、体育館を二分して活動している。既に顔見知りであったし、校舎の中で何度か顔を合わせるうち、口をきくようになっていた。極めつけは、運動部のドロップアウト組が溜まり場にしている陸上部部室で顔を合わせたことだ。

 そこでは傷を持つ者同士、時折しんみりすることがあり、馨はクラスでハブられていると告白した。

 憔悴して、弱った瞳だった。これはもう保たない。瞳子はそう確信していた。

 一度だけ、馨がクラスメイトのことを話したことがある。

「小さいけど、ガッツがあるんだ」

 それから、馨はスマホ片手にボンヤリとすることが多くなった。ちらりと待ち受けを覗き込むと、酷く儚げな少年が柔らかい笑みを浮かべていた。

 退学も時間の問題と思われていた馨だったが、なんとか持ちこたえ、最終学年に上がった。

 馨はいつも苛ついていて、少し焦っていた。部室で煙草をくわえたまま、考え込む時間が増えた。

 夏本番を控えた、梅雨入り直後のある日のこと。

 馨が『奥の部屋』を利用したと聞いて吃驚した。馨といえば、いつも所在なく陸上部部室に留まり、煙草を吸って唾を吐く。つまらない理由から運動部と揉め事を起こし、そのときはもちろん力で解決する。そんな問題児。身長一八五センチの体躯から繰り出されるスパイクという名の張り手は、男女の別に関わらず恐怖の対象だった。当然、男っ気などまるでなく、ヤったのはどこのゴリラだとそのときは思った。

 その翌日、瞳子は御影悠希に出会った。

 身長一五〇センチほどの小柄な体つき。肌は雪のように白く、睫毛は女より長かった。透明感があり、幸薄い印象。馨のスマホの待ち受けで見た、あの少年だった。

 瞳子は、はっと息を飲む。ストライクゾーンど真ん中だった。

 すげなく扱われても気にもせず、ところ構わず少年を抱き締め、頬ずりし、歯の浮くような台詞で掻き口説く。馨は少年に夢中だった。夢中になる理由が分かった。

 しかし、少年の目はいつも斜め向き。馨以外の何かを見つめていた。

 半月も経った頃、奥の部屋から馨の悩ましすぎる嬌声が聞こえるようになった。

 瞳子には悪い癖がある。一度興味を覚えると、どうしてもそれを確認しなければ気がすまない。この性分が悲惨な初体験に繋がっているのだが、気にすることはなかった。

 そして梅雨のある日、瞳子は奥の部屋の裏手に回り込んだ。

 使用中の奥の部屋を覗くのはルール破りだが、こっそりと裏の窓を開いた。

 馨がまだ来ていないことに、瞳子は小さく舌打ちした。

 瞳子にとって、セックスは一種の拷問だ。馨がどのような拷問を受けているのかどうしても知りたかった。

 部屋の中、少年は雨に濡れた衣服が気になるようで、頻りに身じろぎしている。時計を何度か確認して、それから──衣服を脱ぎ捨てた。

 それを見て、瞳子は思わず口元を押さえた。

 少年の背中には数え切れないほどの傷痕が刻まれていた。主に火傷だ。アイロン、煙草、おそらく火箸。よく分からないものもあるが、その数は軽く一〇〇を超えている。いずれも治癒した形跡がある。つまり古い傷痕ということになる。もちろん、馨の仕業じゃない。

 瞳子は小さく喉を鳴らした。

 欲しい。もう傷ついているのなら、自分がそれを癒してみせる。馨より上手くやる自信がある。この少年となら、以前のように悲惨なことにはならない。

「……誰かに喋ったら、ぶっ殺すぞ」

 瞳子の背後に、茶色の髪から水を滴らせた馨が立っていた。

「御影を傷つけたヤツは殺す。他のヤツらにも徹底させとけ」

 有無を言わせない馨の圧力に、瞳子はひたすら頷くしかなかった。

「あいつは他の誰でもない、アタシが幸せにするんだ」

 馨がポケットに手を入れたまま、瞳子に近づく。壁を背にしているので、逃げられない。

「キスすると、すっげぇ甘いんだ。ちっさい舌で必死に応えてくるよ。そんだけで、頭おかしくなる」

 お互いの鼻が触れ合う距離、目の端に銀の刃が閃いて、瞳子の首筋にぴたりと当たる。

「抱き締めると、肌が吸いつくんだ」

 馨の声には何の抑揚もなかった。目には動かし難い決意が映る。

「挿れられると狂うよ。馬鹿みたいに腰振っちまう」

 瞳子の首筋から一筋の鮮血が溢れ出て、濡れたブラウスを紅く染めた。

「御影に手を出したら殺す」

 初めて見せた馨の狂気に当てられ、瞳子は──。

 ──相手にされてない癖に。まだ、アンタのモノじゃないよね。

 そう思ってしまった。

 翌日、教室にシュウの姿はなかった。

 実に平和だった。二時間目のチャイムが鳴るまでは。

 休み時間。頬を赤く紅潮させた葛城に手を引かれ、校舎裏に向かった。

 先を行く葛城は早く二人きりになりたいようで、殆ど小走りで目的地に急ぐ。

「葛城、急がなくても、最悪放課後があるよ」

「ああっ! はい……はいっ! そうですね!」

 そして目的地の校舎裏に着くと、今度はもじもじして葛城は黙り込んでしまった。

 葛城は気の毒なくらい赤面して、胸の前で両手の指先を合わせている。

「あ、あの……!」

「うん、なに?」

「…………」

 活発な印象を受ける葛城らしくない態度。意を決したように、顔を上げた葛城が言った。

「昨日の御影さん、素敵でした……!」

「どうも」

 これで緊張が取れたのか、葛城は堰を切ったように話し出した。

「すごかったです! エッチって、あんなに素敵なものだったなんて知りませんでした!」

 それはカオルに感謝しないといけない。今のところ、ぼくにはカオルと葛城の二人としか経験がない。こういう商売をする以上、それなりに経験を積む必要がある。

 葛城が、はふぅと艶かしい溜め息を吐き出した。

「……全然痛くなくて、天国にいるみたいでした……」

 天国って、大股開きで微睡んでいたあれか。

「最初は怖かったけど、すごく優しくしてくれて……」

「うふふ、ありがとう」

 手放しの誉め言葉に、ぼくはちょっといい気分になった。

「今度の週末が楽しみです!」

 葛城は普通の恋愛っぽくしているけど、これは歴とした売春だからね。

「世界が広がりました!」

 浮かれてステップを踏んでいる葛城には、正直、苦笑いしか出ない。

 そこでぼくは、一つ釘を刺しておくことにした。

「でも、お金は大丈夫?」

 夢は覚めるもの。葛城は水を掛けられたみたいに素の表情になった。

「……自分、結構金持ちなんで」

 それは結構。理想は生かさず殺さず。

「足りなかったら言ってね。相談に乗るから」

「相談……?」

 カオルのようになられてもしょうがない。逃げ道を作っておいてやる。

「誰か紹介してくれたら、そのときはサービスするから」

「……!」

 眉根を寄せ、葛城の表情が苦しそうに歪んだ。

 校舎間に予鈴のチャイムが鳴り響いた。


 なべて世はこともなし。シュウの居ない一日は何事もなく過ぎていく。

 早くもカオルはバイトに行っているそうだ。コンビニのバイトで、就業時間は朝八時から夕方十七時のフルタイム。昼休みに届いたメールには、

『今日も逢いたいよ』

 とあった。

『やだワン!』

 送信っと。放課後は貴重な営業時間でございますので。

『リベンジしたい。っていうかさせろ』

『また泣きながらしゃぶる羽目になっても知りませんよ』

 っと、送信! 

『上等!』

 むぅ……カオルのヤツ。あれを吹っ切ったみたいだ。

 その後、少しのやり取りを繰り返し、学校まで迎えにきてもらうということで決着した。

 そして放課後。もちろん、ぼくは営業目的で学生食堂に行くことにする。

 放課後から部活動開始までの短い時間、学生食堂には運動部の連中が集まる。それらの女子に当たってみるつもりだ。

 自動販売機でもちろん『いいこ』を買ったあと、辺りを確認する──いた!

 シュウの子分Cだ。部活動開始までの時間、ここで寛いでいるのだろう。袴姿で椅子に腰掛け、文庫本を読んでいる。

 ぼくは二つ離れた席に腰掛け、Cに一枚の紙片を丸めて投げた。

 Cがぼくに気づき、一瞬、はっとして、それから思い出したように少しムッとした表情になった。ぼくは目礼して、Cのすぐ側に転がる紙片を指さした。

「……?」

 怪訝な表情のCが丸まった紙片を開くのを確認して、ぼくは学生食堂をあとにした。

 紙片にはぼくのメールアドレスと秘密厳守の文言のみ。あとはCが勝手に決めるだろう。

 ぼくがどんなヤツかは、シュウが既に説明してくれているだろう。待つだけでいい。

 Cはカタギのお客さんになってくれるか。

 最初が一番肝心。

 カオルのように搾り取ったり、葛城のように馴れ合った関係にはしない。黒い関係はなし。安心安全、信用が第一のビジネスライクの関係でいく。それを糸口に新たな顧客を開拓するのが狙い。

「ハマりますように、っと」

 校門に着いたとき、ちょうどカオルもやってきた。

 カオルは大きい単車の二人乗りで、後部座席に座っていた。

 少し離れた路地で停車して、ライダーがフルフェイスのヘルメットを脱いだ。

 ベリーショートの金髪。カオルに負けないくらい気の強そうな三角目の女の子。

 カオルは、そのライダーの女の子と少し会話したあと、ぼくを見つけて大きく手を振った。

「ユキ~~~~!」

 でかい声で、あの馬鹿。ぼくは片手で顔を覆った。


 それから、ぼくとカオルは手を繋いで一緒に帰宅した。

 カオルはバイトの疲れがあるのか、ちょっとしんどそうだった。

「お疲れさまでした」

 ぼくが言うと、カオルは微笑んで一つ頷いた。

 指と指を絡める恋人繋ぎ。クラスの女子たちの話では、これは『もうヤってます』って言うのと同じらしい。ぼくとカオルはその恋人繋ぎで歩いた。

 道中、カオルはバイト中のことを話した。あれをやった。これはやらなかった。そんな取り留めのない内容。

 三十分も歩いた頃、ぼくと父さんが住んでいるアパートが見えてきたところで、カオルは急にソワソワと落ち着きをなくし始めた。

「あ、あの……アタシ……」

「ぼくの家、そこだよ。どうしたの?」

「え、あ、そうなんだ。どうしよう……」

「おいでよ」

 父さんはもう、仕事に行って居ない時間だ。カオルには外で待てという話はないだろう。

「ぼくしか居ないし、気を使わなくていいよ?」

「…………」

 少しの間があった。カオルは胸の前で小さく拳を握り込んだ。

「……っしゃあ」

「なにそれ」

「ユキも大分ユルくなったな~って」

 カオルはご機嫌で言った。

 ──何言ってんだ。家の場所知ってる癖に。


    ◇◇◇


 古い木造のアパート。間取りは3DK。

 ダイニングの座布団に正座をするカオルは、ガチガチに緊張して、額に汗を浮かべていた。

「ぼくとカオルだけだから、足、崩しなよ」

「あ、はい」

 などと言っているカオルは、なんだか挙動不審だった。

 その後、ぼくが軽くシャワーを浴びている間も、カオルは借りてきた猫みたいにお行儀良く、じっとしていた。楽な部屋着に着替えてダイニングに戻る。

「カオル、シャワーは?」

「……! あとでいい」

「する?」

「…………ぅん」

 カオルは期待していたのか、目が既に潤んでいた。

 寝室に移動して、ぼくが布団を敷く間に、カオルは待ちきれないのか、ストレッチパンツと肩口が大きく開いたシャツを瞬く間に脱ぎ去り、全裸になった。目元まで赤くして、ぼくの下半身にすがりついてくる。

「リベンジ、する?」

 カオルは黙って頷くと、ぼくの下履きをパンツごと引き下ろした。

 たちまち半勃起のぺニスが口に含まれると、昨夜とは違った感触があった。カオルは口内に滴るほどの唾液を蓄えていて、それが潤滑をよくしている。

「う、く……」

 背骨を引き抜かれるような感じがして、ぼくは思わず呻いた。なるほど、これはリベンジだ。

 カオルはもう、最初からトップスピードだ。舌で亀頭を舐め上げ、空いた手で陰嚢を軽く揉む。素早く上下する唇の端からは、唾液が溢れ出していた。

挿絵5

 家に居るのがまずかった。鍵の掛かった部屋で、完全にプライバシーが守られる。安心して行為に集中できる。それがカオルの積極性をあと押ししているようだった。

「んムッ、ちゅ……」

 唇と手の両方で陰茎を強くしごかれると、ぼくは強い射精衝動に駆られた。

「カオル……飲んで……!」

 頬を真っ赤に上気させたカオルが、笑みを浮かべて頷いた瞬間、ぼくは強かに射精した。

 陰茎をすっぽりくわえ込んだまま、喉奥に直接射精したというのに、カオルは咽ることもなく受けとめていた。ゆっくりとぺニスを唇で絞り上げ、一滴残らず精液を飲み下すと、ぼくを見上げて、にっこり笑った。

 それでいいよ、ぼくのカオル。

 もっと堕ちて。ぼくだけになって。

 ──メチャクチャに壊してあげるから。

 ぼくと目が合って、暫くして、カオルは俯き、少し気まずそうな表情になった。

「どうしたの?」

 昨夜のリベンジというなら、カオルはやり遂げただろう。でも、納得できないのか、弱々しく首を振った。

「昨夜、ゆっくり考えたんだ……」

 カオルは眦を下げ、大きな身体を小さくした。回復には時間が必要だ。ぼくはカオルを押し倒して軽くキスしたあと、琥珀の瞳を覗き込んだ。

「ユキって、あんまりイかないよな……」

 セックスは、なんだか生々しくて、少し嫌悪を感じてしまう。

「アタシ一人でヨガってたんだと思うと、すげー悲しくなってさ……」

 カオルは、少し泣いているみたいだった。

「ユキに詰られるのも、無理ないって……」

 ぼくはカオルの首筋に抱き着き、囁いた。

「好きだよ、カオル……」

 その瞬間、ゾワッとカオルの身体が震え、その痺れはぼくにまで伝わった。

 さあ、始めよう。

「お金は抜きだよ……」

 それがおまえを狂わせるから。

 回復したばかりの陰茎を、カオルの膣に押し込んだ。

「あぅッ、く─────」

 フェラをしながら濡らしていたのか、前戯もなかったのにズルリとペニスが飲み込まれた。

 遮二無二腰を振り立てる。粘性の水音がうるさいくらい響き渡り、カオルの腰が大きく跳ね上がった。

 始めは浅く。徐々に深く。変化をつけて、カオルを激しく責め立てる。

「うぁ、あ! は、はげしい……! はげし、すぎる……!」

 膣口から噴き出した蜜液が、小さな飛沫になって散っていく。カオルは少し漏らしたみたいだった。それでもぼくは、攻め手を抑えることはせず、全力で腰を振りたくった。

「ひんッ! ひんッ! ひんッ! ひんッ!」

 腰を振るリズムに合わせ、カオルが息も絶え絶えな喘ぎ声を上げる。

 下腹に固く尖ったクリトリスの感触がある。粘る愛液が陰毛に絡み、壮絶な水音をまき散らしていた。

「あんっ! はぁんっ! はぁぁぁんっ!」

 鍛え上げられたカオルの腹筋がキリキリと盛り上がり、膣全体が僅かに痙攣を始めた。

 ぷしゃっ、と水音がして膣口から温い液体が溢れる。今度こそ、カオルは本当に漏らしたみたいだった。

「ごえんっ! ごえんなしゃいっ!」

 涙ながらに謝りながら、カオルはぼくにしがみついて行為を催促する。

「ごえんなしゃいっ、まだでましゅっ!」

 ぼくが一突きする度に、泣き咽ぶカオルのだらしない膣穴が愛液と尿を交互にまき散らす。

「ああっ! ああああああっ!」

 もっともっと悦んで。いやらしい、ぼくのカオル。

 全身を紅潮させ、快感に打ち震えるカオルの膣穴を強く打ち据えるようにして蹂躙する。

「うぐぅっ! あぁ! はぁんっ!」

 部屋中にカオルの甘い発情臭が充満して、軽い目眩すら感じる。ぼやけたような意識の中、妖しく蠢く膣肉が、じんわりとペニスに快感を蓄積させていく。

「ああもうっ! ぃくぃくぃくぃくうっ!」

 悲鳴を上げ、カオルは大きく腰を震わせて達した。

 ぼくも徐々に高まる射精衝動を堪えることはせず、フルスロットルでGスポットを擦り上げ、ポルチオを全力で連打する。

「ぎぃ! ぎぃ! ぎぃ! ぎぃ!」

 やがてカオルは、獣のような嬌声を発するようになった。だらだらと涎を垂れ流し、涙を流して悶え狂うカオルの耳元で、そっと囁いた。

「膣に出すから」

「……!」

 その瞬間、カオルは最後の力を振り絞り、長い脚をぼくの腰に巻きつけ、精液を子宮で受け止め──。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーッ!!!」

 全力で、絶頂した。

続きは書籍でお楽しみください!